1話 学園潜入開始

「赤坂第二高校から転入してきました。三日月凛音です。どうぞよろしく」


 こうして教壇に立って自己紹介をするのは何度目になるんだろう。十回を超えてからは面倒になって数えるのをやめたので、正確な回数は分からない。しかし今年に入ってからは三度目だ。今は二月の初め。つまり今年の僕は四ヶ月に約一度は転校している事になる。

 学校の転校というものは、未知に対する希望や不安を孕んだ人生の一大イベントと言ってしまって良いのだろうが、こうも同じ事を繰り返し続けては何の感慨も得られなくなる。


「みなさん、お静かにお願い致します」


 騒ついた生徒たちを収めるのはいつだって担任教師だ。それでも雑談は否が応でも耳に入ってきてしまう。血統やら血筋を重視する富豪の子供達が集まる日本一高貴な学園と聞いていたが、取り立てて他と変わった所はないようだ。顔がどうだ、髪がどうだ、良い事も悪い事も内混ぜにしたどうでもいい事を口々に勝手に話している。

 しかし、どうでも良い事で盛り上がれるというのは、長い人生を歩いていく上で非常に大切だ。それを僕は社会に出てからも何度となく知った。実行に移せているのかと言われれば、そうではないのだけど。


 ――社会に出てから。


 実の所、僕はもう成人している。中等教育はもちろんの事、高等教育はとうに終えている。というかもう二十歳だ。ハタチと言ったら進学、或いは就職をしている年齢だ。何にも属さないという手段はあるけれど。それは兎も角として、高等学校に通っている人間は少数だろう。

 そんな子供とはもう呼べないであろう年齢の僕が、高等学校を転々としているのには当然理由がある。

 ――話は、僅か三日前の事だ。


 ◆

「凛音ちゃん御苦労さん」

「お疲れ様です」


 ご苦労様とお疲れ様の違いを明確にするならば、それは上下関係を表す。それは社会人としては基礎中の基礎だ。

 警備会社EOS。

 僕は上司に呼び出され、都内にそびえ立つ本社である高層ビルに久々に出頭していた。

 秘匿された秘密結社などではなく、主に自宅や、美術館、信用金庫などを警護する警備員を派遣する世間一般に広く知られている普通の民間企業だ。あくまで表向きは、だが。表立って出来ない仕事――いわゆる裏業界の仕事も任されているのが実情だ。

 僕はこの警備会社の裏側、特殊任務課の実動班に配属されている。


「甲賀峰高校、どうだった? 楽しかった?」


 僕に嬉々として話しかけてきているのは僕の直属の上司、特務課の部長である古谷五郎。

 歳は確か五十三。身長は百八十五センチ。元は海外で世界の金持ち――VIPの護衛をしていたボディガードらしい。引退した今でも、服の上からでも分かる筋肉と強面で堅気ではない雰囲気が隠しきれていない.


「仕事ですよ。楽しい訳がない」

「仕事は楽しんでなんぼだよ、凛音ちゃん。いいじゃない女子高生と合法的に話せるんだよ〜? いいなぁオジサンなんてお金出してやっと偽物のJKと話すんだよ〜あ、ほんとに偽物だからね? そんでさ――」

「報告です。今任務の甲賀峰高等学校における連続脅迫犯を捕縛しました。護衛対象『華菱可憐』の身の安全も確保致しましたので、帰還しました」


 長くなる様なので、僕は話を切った。どうせ話のオチは『ブルセラショップに駆け込んだ』だろう。もう聞き飽きた。

 既に任務遂行の連絡は済ませているし、僕が話す迄もなく諜報班が認知して上へ報告をしているだろう。隠蔽を任された人達なんかは大忙しだ。

 だが、この人は僕の顔を見て、それを聞きたがる。


「ったく相変わらずつれないなぁ。表情筋もっと使ってあげないと可哀想だよ?」

「顔面神経が根刮ぎ死んでるので無理です」

「凛音ちゃんは嘘吐きだねぇ……兎も角、ご苦労。今回は全寮制だったからねー気疲れなんかも溜まってるだろう」

「はい」


 『体調が悪いのか』と教師に問われた時、体調が悪くなくても『はい』と即答するのが僕だ。平たく言えば屑。

 全寮制の高校に生徒として潜入し、護衛対象生徒を護るというのが今回の任務だった訳だが……これが実に骨が折れた。どんな時でも人目があり、警戒を怠る事が出来ない状況が連続三週間だ。唯でさえ慣れない環境で、それに適応する事と護衛を同時進行しなければならないのは正直言って本当に疲れた。


「だよねーそこでだ! 休暇を与えよう――」

「……なんと」


 そうと決まれば何をしようか。先ずは寝る。十八時間位連続で寝て、それから録画して溜まっているバラエティを見て、ゴロゴロして、それからそれから……。


「――と、本当は言いたいんだけどねぇ」


 連ドラ何かも溜まっていたはずだ。もう待ち切れない。あ、そういえばHDDの容量もう無いかも知れない。折角、裏番組録画機能を搭載の奴もなんだし、それを使わない手はないな。そうと決まれば帰りにノヂマ電器にでも寄って……。


「……ゑ?」


「本当に申し訳ない! 悪いねー! お仕事です!」

 ……些細な希望こそが大きな絶望を生む最大の要因だと吐き捨ててやろうか。

 という内心こそを殺すのが社会人である。


「――地獄への道は善意で舗装されている」

「何故今、カール・マルクス?」

「深い意味はありません」


 殺しきれない僕だった。そんでもってカール・マルクスが引用しただけで彼の言葉ではない。


「ま、いいや! 次の任務はねー! 好きだと思う」

「やっとまともな仕事ですか。もういい加減、僕も高校生は無理ですからね」


 何かの書類を見ながら煙草を吹かしているこの上司を脳内で攪拌にしながら僕は言った。その書類、バラまいてやってインシデント案件にしてやろうか。

 年齢的に厳しくなってきたし、高校生に成り切るのには無理がある。


「いやいや! まだまだでしょ! 女の子よりも女の子してるその外見! 活かさない方がウチにとっては損だから」

「僕、もう成人してるんですよ。高校卒業からもうすぐ二年。この年頃の二年はかなり大きいですよ……思春期に混じるのは無理があります。現実を見て下さい」

「言うよね〜!」

 茶目に両人差し指を僕に向ける部長。腹立つ。


「そろそろ卒業って事ですね。現役高校生もウチには居ますし……て事で次は何ですか? 怪盗Xから信用金庫でも守りますか? 悪霊退治でもしますか?」


「……学園」


 ボソッと聞こえた声を僕は認めない。

「ヤのつく自由業の闘争の仲裁かな? 怖いなー」


「学園潜入ッ!!!!」


「嫌です」

「頼むよ」

「無理です」

「給料弾むから!」

「……何で現役使わないんですか。僕もう無理ですって……『マジ、やべぇんだけど! 今の子マジ可愛くね? お前声掛けてこいよ! いや、お前が行けって〜!』とか、無理なんですよ……もう本当に限界」


 彼らの青春力を舐めてはいけない。彼らの目には確実に僕と違う風景が見えている。そう感じてしまう今日この頃だ。詰まる所、もう僕の青春は終わってしまった、そういう事だ。


「楽しそう〜」

 楽しくないんです。最初はウキウキウォッチングだったけど、もう限界なんです。

「勘弁して下さい。毎回キャラ作るのも大変なんですよ」


 高校潜入などという珍しい任務には大人の事情が多かれ少なかれ必ず絡むもので、公に警察に依頼しない、或いは出来ないケースが多い。そういった際には事件解決だけではなく、ほぼ必ず対象生徒の護衛が任務に付随するのだ。

 護衛対象に接触する際、時には側近として、時には影からサポートする訳だが、これを滞りなく行うには必要不可欠な事がある。

 それは、その場に最適なキャラクター、つまり人格の作成とその演技だ。

 護衛対象に不快を催させず、目立たない高校生。ある時は破天荒、ある時は根暗、ある時は可愛く、ある時は明るく元気で気さく。それを演じなければならない。因みに僕の素は毒虫。


「いや今回は大丈夫! 本当! 何と今回の潜入先は――あの、聖アクナシア学園だから!」

「――あの、ですか?」


 全然回答になってないとは思うが、驚いた。

 私立聖アクナシア学園。

 現代日本では世にも珍しい貴族と呼んでもいい御曹司、御令嬢が一挙に集う超名門校だ。アクナシアに籍を置いたという事実は、日本だけでなく世界中に対して強烈なブランドになる。どの位凄いのかは庶民である僕には実態が把握出来ない。異世界だ。一体どんなキャラを作っていけばいいんだ。全く案が浮かばないぞ。


「そう、そのアクナシアだよ」

「いや、だったらそもそも僕なんて要らないじゃないですか」


 そんな世間に疎い僕でも知っている程の超名門校が、警備と無縁な訳がない。想像を絶する超最新設備が二十四時間体制で稼働していて、尚且つ何十人という一流ボディーガードやらエージェントが警護、護衛しているだろうという予想くらいは簡単に立つ。


「今回はなんというか……特殊? 奇妙? 異常? なんだよ」

「殺人ですか? 犯人は教師ですか? イジメですか? はい、僕不要――」

「――生徒が次々と自殺しているそうなんだ。その数、七人」

「いち人?」

 思わず聞き返す僕。

「なな人。これは公式発表されていない極秘事案だよ。何せ『あの』アクナシアだからね」


 超名門校で相次ぐ自殺。

 こんなもの世間――主にマスコミが知ったらお祭騒ぎにしかねない。いや……マスコミにも何処からか圧力が掛かってどちらにせよ公にはならないか。しかし……七人は流石にヤバいだろ。死んだ人間でカバディのチーム作れるじゃん。


「他殺ではなく、完全な自殺なんですね?」

「それは正直な所、判断がついていないんだ。でも警察はそう断定して捜査を進めてる。しっかし七人は異常でしょ。何かしら原因があるはすだ――それが解らない」


 警察が既に介入している事案か。ウチに話を持ってきたクライアントは、個人だろうな。我が子可愛さに、といったところか。


「成る程。潜入調査が必要な事は分かりました。しかしやはり現役を使うべきでは? 彼らの中には自称戦う美少女探偵がいたでしょう。僕は何も探偵ではありませんし、原因究明に貢献することは出来かねますよ」

 僕は高校にも殆ど通ってない正真正銘の馬鹿だし。

「その美少女探偵はもう既に潜入済みさ。彼女の調査では、何も分からなかった」


 無能か、あいつは。

 あのゴシックロリータフリフリドレス美少女探偵は無能か。


「何も分からなかった事が分かった、という事ですか。そして僕に話が下りてきたとすれば」

「そう――《咒いまじない》絡みなんじゃないかなと俺は思ってる」


 《咒》。

 言葉の意味そのままの、《咒い》だ。魔術、奇術、呪術など。この世にはそんな馬鹿らしい事を成し遂げて――いや、やらかす連中が少なからず居る。

 例えるなら「こっくりさん」。これは比較的ポピュラーなものだが、これもそれに当る。「一人隠れんぼ」などの都市伝説もそうだ。あれらは簡易的な降霊儀式だ。それから何も無い所から炎や水を出したり。そういう非科学的な事象を起こしている事例も多々ある。

 世間一般に浸透していないだけで現実には《魔術師》も《奇術師》も《陰陽師》も存在する。

 そういうのを引っくるめて専門家ではない僕達は面倒なので《咒い》と呼称している。

 この世には、気付いてしまえば天国も地獄も魔界も霊界も悪魔も天使も妖精も鬼も仏も神も閻魔も隣人の様にしれっとそこに有るのだ。

 この仕事をして知った事。それは、生きるという行為は、綱渡りだという事だった。一歩踏み外せば非日常へようこそ。そしてそこからの死。


「そういう事ですか。呪われて来いって事ですね」


 ブラック企業は実在した。


「いやー凛音ちゃん、《呪い持ち》だろ?」

「……そうですね。専門家ではないですが」

 家柄の事もあり世の裏事情は多少知ってはいるが、知っているから何だという話だ。知っていても、対処法を身につけていなければ遭遇した時、何も出来ない。殺されて終わりだ。


「頼むよ! 君しかいないんだよ!」


 僕しか居ないって事はないだろう。EOSエージェントは千人から居る訳だし、僕より適任も大勢いるはずだ。しかし、いい歳したオッサンに懇願されては断るに断れない。仕事だし。


「仕方がないですね。どっかのゴスロリ名探偵に無能って烙印を押しに行きますよ」


 確かに普通の捜査では限界がある。探偵というのは超常現象を加味しない。ノックスの十戒やヴァンダインの二十則なんて守っていたら永遠に解決しない事があるのを知るべきだ。

 いや、彼女は知っているか?


「流石『ミステリスポイラー』」

「何ですかそのダサい異名」


 影でそんな事を言われているのだとしたら何とも不名誉だ。まあ、確かに僕のような《呪い持ち》がクローズドサークル何かに参加しては話が成り立たない。全てのトリックが二秒で台無しになる。犯人は殺意を忘れて大爆笑するだろう。


「という訳で、これが今回の資料。それと制服」

「了解」


 差し出された資料を受け取り目を通す。二年A組に三日後に転入か、早いな。

 教員名簿、学生名簿、簡易的な人物相関図、自殺者の氏名、性別、年齢、特徴、死亡前の行動、死亡時の状態、ご丁寧にカラー写真付きかよ。

 それから施設内の構造、間取り、監視カメラの位置、死角。警備員の配置。出入りする業者一覧。これは学内警備の為に学園側が作ったものだな。何処から手に入れたんだよ、万一流出したらヤバイだろこれ。

 死亡箇所は最初の一人が校内で飛び降り自殺。この一件だけは生徒も認知している訳か。

 二年F組、名前は『神崎梨乃』。

虐めを苦に自殺、という事らしい。これを学園側は『虐めが原因ではない』と否認している、か。何やらキナ臭い。

 その他、六人は全員自宅で多種多様な死に方だ。手首からの出血多量、首吊り、脳味噌が飛び出た、腹を割いて自分の内臓を食べたなんてのもある。こんなのを自殺だとしたのはどういう了見なんだ。

 この六件は秘匿され、一般生徒は知らされていないとの事。欠席扱いにしているそうだ。これは時間の問題だろ……最初の一件とその後の六件は分けて考えた方が良さそうだ。

 それから『神崎梨乃』を虐めていた連中からは自殺者は出ていない様だ。

 共通点と言えば皆、容姿が整のっているという点くらいか。しかし、必ずしもクラスで一番の美人、美男子という訳ではないらしい。性別も学年もクラスも所属クラブもバラバラだ。だがバラバラ過ぎるとも思える。となると自殺者が集まって何かエンジェルさんの様な降霊儀式――《咒い》を行ったという可能性は除外できるが……。


 うん。なるほど、わからん。


 と、軽く読んだだけだが、二点ほど気になることがあった。


「部長、僕の潜入名ですが」

「それなんだけど……まあ……その、潜入名は本名でお願いしたいんだ」


 今までの任務の際、名前は毎回適当な偽名を使っていた。本名を使った事は一度もない。


「理由を教えて下さい。本名で潜入するのであれば『三日月本家』に確認を取らなければならないので」


 正直面倒なので嫌なんだけど。どんな文句を言われるか分かったものではない。


「実は『三日月本家』からの了承は既に貰っているんだ。理由なんだが……非常に言いにくいんだけど……」と、伏し目がちに言う部長。

 そういう事か。中々エグい事を思いついたもんだ。


「【天花五家】をエサにしたい、ですか」

「まあ……そういう事だ。ここまで説明しても何だが、嫌なら今まで通り偽名で構わないよ」


 本家の爺さんが許可を出したのであれば断る理由もない。『お主の好きにせい。ホッホッホ』という意味だろう。相変わらず僕に甘過ぎる。何が起きても知らないからな。


「構いませんよ。つまり、キャラ作りしないで普段の僕で良いって事ですよね?」

「そうだ。その他、細かい事は美少女探偵に聞いた方が分かりやすいかも知れない。同じクラス、二年A組に転入するよう手配してあるからね」


 それは有難い。『あの子可愛くね?』をしないで済む。


「それともう一点。護衛対象者の欄が空欄ですがクライアントは一体……」

「自殺したよ――一昨日ね」



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