***


 その男は、愛していた。

 この街のことも、そこに住む人々のことも、自分自身のことも、そして何より一人の女のことを。


 誰よりも背が高く、誰にでも優しいその男を、街で知らない者はいなかった。牛乳の配達を仕事にしている男は、朝早くから街を巡り、人々と穏やかな会話をした。町に住む人の多くは、牛乳と、優しい男の笑顔が配達される事を楽しみにしていた。



 彼女と出会ったのは、よく晴れた日の事だった。

 キャンバスを塗りつぶすように街を駆けた後、丘の上で休んでいた男に彼女は声をかけた。


「毎日同じ道では、退屈じゃない?」


 彼女の声は透き通るようで、男の疲れた耳には驚くほど自然に響いた。



 それからというもの、二人は決まった時間に杉の木の下で会い、ありとあらゆる話をした。街の話、両親の話、愛の話、未来の話。

 二人の間に流れる時間は、その他のどの瞬間よりも速く、お互いを恋人と認識するまでにも、そう時間はかからなかった。

 男は女を愛していた。女も男を愛していた。それだけが二人にとって重要なことであり、それ以外のすべての事柄は、互いを愛する為の燃料に過ぎなかった。





 男がこの街を去る決断をしたのは、二人が出会ってから三回目の夏のことだった。

 彼女に対する愛情は、変わらないどころか日増しになっていくばかりであったし、この街も、この街の人も、男は変わらず愛していた。本当だ。


 男はただ退屈だった。変わらずに彼女を愛し続けることに。人々から愛され続けることに。決まった道を歩き続けることに。




 男はほとんど言い訳のような手紙を書いた。出会った時の思い出が汚されてしまいそうで、本当の理由以外の全てを手紙に記した。

 最後に会わなかったのは、誰よりも優しい男が彼女にした、初めての優しくない選択だった。



 最後の行には自らの名前と、返信はいらないという一文を添えた。





 男はその足で、永い旅に出た。

 

 その後、男は一度だけこの街に戻り、また去っていったが、

 それはまた別の話。

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