宿題の進みは相変わらずのまま、また水曜日がやってきた。八月の一週目だ。

 気温はますます暑く、確認するのも嫌になるから天気予報は見ていない。少なくとも僕が見える範囲は晴天。

 電車で座れた僕は、いつもより少しだけ機嫌よく鞄を背負いなおした。先週よりもいくらか遅い電車だから、空いていたのだ。駅を降りてすぐの踏切で止まる。ここで止まらず通れたことは何回くらいだろうか。いつも邪魔してくるのは自分が降りた電車だ。

 電車を追いかけるように強い風が吹いて、体が左に押される。電車が通り過ぎて、でもまだ風が吹いているタイミングで遮断機が上がる。押された勢いそのままで足を踏み出し歩き始める。

 後ろから来た小学生が、パタパタ走りながら僕を追い抜かしていく。機嫌のいい僕よりずっと元気だ。

「あ、猫いた!」

「なんて名前だろ」

「ねこ、どこ?」

「もう通り過ぎたよ」

「タマ」

「ポチ」

「ポチは犬でしょ」

「ねこでもいいじゃん」

「背中にミって書いてあった!」

「ミミ!」

「ねこ見たかった。ミーちゃん?」

「ミーコ」

 僕はあたりを見渡す。どこにもいないけど、ピアノがいる気がした。今のピアノはピアノというよりカタカナのミの方が近い模様をしているから。彼か彼女か知らないが、元気そうで何よりだ。


「おお、完璧」

 図書室で本を読んでいる海斗を見て、僕は呟く。何の本かわからないけど、ちゃんと図書室って感じがして良い。なのに、海斗は眉をひそめる。

「は? とうとう暑さでおかしくなったか」

「ひどいな。すべてが順調だったんだ」

「ふーん?」

「電車で座れたし、水やりも、皆なんだかんだ真面目にやってるし」

 そう言いながら気付いたけど、僕が順調である理由に特に興味もなさそうだ。

「数年前、枯らしたんだっけ」

「みたいだね。入学前だし、顧問の先生も違うときの話だけど」

 よっぽど酷かったのか、先生が変わってからも毎回長期休みの時はこの話を聞く。

「早苗さんの件はどうなった?」

 僕は、メールと電話で話した内容を伝える。こっちでいろいろ動いていることを早苗ちゃんが知っていると知って、海斗は悔しがるが、もう遅い。知られていても、いなくても、結果はあまり変わらなかったんじゃないかと思う。

「とりあえず昼間は通れるようになったんじゃないかな。電話ではそう言ってた」

「おお、順調じゃないか」

「問題は日が暮れてからだね。そこがまだだ」

 昼間、大丈夫になったのなら、もう一息な気がするのだが、恐怖心を相手にするのはなかなか手強い。

「吹部がいつまでやってるのかわからないけど、冬になったら終わりだな」

 海斗が閉じた本をくるくる回す。

「そうだね」

「でも、他に何ができる?」

「ちょっと考えてみたんだ。何がトンネルになったんだろうって」

 海斗が、ほう、と相槌を打ってそのまま続ける。

「光って、影が映ったんだっけ。早苗さん的にはトンネルから出てきた何かの影が見えた、と」

「そう。別に、摩訶不思議なトンネルにしなくても、光るものなんてたくさんある。早苗ちゃんも車とかのライトかと思ったっていってたし、街灯、携帯何でも光る。だから、誰かが向日葵に身を隠して懐中電灯でも付けたんじゃないかなっ思ったんだけど、意味わからないし」

「人はいなかったんだろ?」

 僕は、ついこの間見た向日葵畑を思い出す。限界ぎりぎりの密度で植えられていた。

「夜だったらしいし、庭の端から照らしたんだとしたら、早苗ちゃんからは完全に隠れててもおかしくないよ」

「何の目的で?」

 僕は首を振る。さっきも言ったけど、さっぱりだ。だって僕が通りすがりの人を照らしても、何も面白くない。それに、僕らが見に行ったとき、向日葵の一部が倒れてもいなかった。体の小さい子どもならともかく、あの向日葵を踏まないように、折らないように進むのは難しいだろう。

 海斗が手を打つ。

「何かが反射した!」

「何が?」

「何かが」

「それじゃあ僕のと大差ないよ」

 僕はため息を付く。

「いいや違うね。お前のは早苗さんを認識しているけど、俺のは早苗さんがいようといまいと関係ない」海斗が本の、どこかのページを探し始めた。「俺は俺で謎を解決したんだ」

「謎? そんなものあったんだ」

 初耳だ。

「そーこの前美術館言っただろ。そしたら虫がまっすぐに飛んでいたんだ。なんというか、変な感じに。一直線って言えばいいのかな」

「え、なにそれ」

 虫の飛び方に、法則性があるようには思えない。僕の知っている範囲内のことでしかないけれど。でも、「変な感じに」という勘は、馬鹿にできない気がした。

「一周ぐるりと回ったときだな。覚えてるか? 猫がいてさ」

 まだページ探しは終わらない。本を閉じたのが失敗だった。

「言ってくれればよかったのに……」

「変な飛び方の虫より道端に突然現れたピアノの方が驚くじゃんか。猫だったけど」

「それは確かに名前が悪かったな……。それで、それの何を解決?」

「ああ、虫がまっすぐ飛ぶ理由をどこかで読んだことがある気がしたんだ。家にある本探してみたけど見つからなくてさ――あったあった」

 そして開いたページを僕に見せてくれる。小説の一場面だ。僕はざっと読む。

どうやら虫は赤外線に向かって飛ぶ習性があるらしい。虫には見えても人間には赤外線は見えないから、虫が何もないところを一直線に飛んでいるように見えるのだとか。

 僕が読みきったタイミングを見て海斗がまた話し出す。

「きっとあの虫も、本と同じでセンサーライトか何かの赤外線に反応したんだ。あー見つかってよかった。ずっともやもやしてたんだ」

 話を続けようとして口を開いた瞬間、僕はピンと閃いた。

「海斗! 今度こそ、全てが順調だ。謎が解けた」

「本当か!」

「本当だよ」

 カウンターから咳払いが聞こえる。見ると、松井さんが声を下げるようジェスチャー。これじゃあ先週と一緒かそれより酷い。僕らはなぜか身も潜めながら話す。

「で、何を」

「決まってるだろ。怪奇現象だよ」

「……まじか」

「……多分」

 確認されると自信をなくす。

「おまえが弱気になってどうすんだよ。とにかく行こうぜ。忘れないうちに」

 早速立ち上がった海斗をとめる。

「夜にならないと、意味ない気がするんだけど」

「じゃあ、時間つぶしに……っても、ここら何もないな」

「一旦帰る? 早苗ちゃんもいないし。あ、いや、先に一度試したい」

 もっと言うと、もう一回来るのもめんどくさい。

「わがままだなー盛大にミスるのは嫌だけどさ。どうしようか。早苗さん来週もカウンターらしいけど、早く解決してしまったほうがいいような気もする」

「詳しいな」

 ちなみに、彼女は今日図書館にいない。楽器の音がするから、学校にはいるはず。

「カウンターに当番表がぶらさげてあっただろ?」

「知らなかった」

 結局、僕の記憶を信用して金曜日の夜に一度集まることにした。その日はレモン島の中で一番大きい神社の夏祭りがあって、元から遊びに行くつもりだったからちょうど良かった。そこで、僕の思い付きが正しければ、水曜日に早苗ちゃんを連れて行く。

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