夕食も終わり、自室に戻って携帯を見ると、先に彼女からメールが来ていた。普段ほとんど連絡を取り合わないので珍しい。メールを開いてみる。

『面倒なことさせちゃったね。ごめん』

 思い当たるのは怖い話くらい。でも、その件で謝られるようなことは彼女、やっていないはずだ。少なくとも僕は思いつかない。

『何かあったっけ?』

『横山先輩と美術館行ってくれたでしょ?』

『何で知ってるの?』

 送ってから、聞こえてたか、と気付く。

『聞こえたの』

ほら。

 よく考えなくても当たり前だ。僕らがいたところとカウンターの間に本棚があるとはいえ、そんなに離れてはない。いつもの調子で話していたら聞こえていて当たり前だ。図書室中に響いていた気がしてくる。

『二人とも暇だったから、気にしないで』

 そう送ってしばらく後、携帯が震える。早苗ちゃんだ。

『もしもし。今、大丈夫?』

 思いのほか声が明るくて、ちょっと以外だった。さっきまでのメールの内容とはちょっと不釣合いだったから、僕は彼女のテンションに合わせることにした。

「大丈夫。どうしたの?」

『打つより話すほうが早いなって。先輩いたらうまく話せないでしょ?』

「あはは」

『待って言わないでよ。先輩ってそれだけでなんか……あるじゃない。丁寧語使わなきゃだし、気が張るっていうか』

 僕は笑う。

「わかる、わかるよ。僕としては、早苗ちゃんの丁寧語が面白くて大変なんだけど」

『だって仕方ないじゃん。何で私真広くんと同じとこ来たんだろ』

「びっくりだったね。全然話さないからね、普段」

 僕が引越してから、早苗ちゃんたちの家族と会う機会はめっきり減った。長期休み中に会うくらい。同じ高校に通えるくらいにしか遠くに引越さなかったのに、不思議なものだ。

『お母さんは知ってたみたいよ。何で言わなかったんだろ』

「またお母さん同士しか知らなかったってやつだよ。叔母さん、元気してる?」

『元気元気。あ、でもちょっと夏バテ気味だって言ってた』

 少しの間があった。

『美術館、何かあった?』

 彼女の声はどこか不安そうだった。

「何もなかったよ」

 安堵したような息づかいが聞こえる。

『よかったあ。昼間だったし、同じことがまたあるわけないしって思ってたけど、やっぱり不安で……』

「もう大丈夫そう?」

 これで大丈夫なら、目的を半分達成したようなものだ。残りの半分は謎の解明。

 何秒かの沈黙があった。

『んー。昼間、通ってみようかな。夜はまだちょっと心構えが』

 どうやら、半分達成というにはちょっと早すぎるみたいだ。

「そうか。昼間通って大丈夫になるといいけど」

『うん。――もしかしたら、なんだけど、あの影、子犬なんじゃないかと思うの。光のトンネルの、向日葵の陰の奥にいた』

「子犬?」

 彼女の口からその単語が出たことに驚いて、喉でつっかえたようなおかしな声になってしまった。

『大丈夫?』

「大丈夫」

『昔、いたでしょシロちゃん』

「シロ?」

『何言ってるの。飼ってたじゃん……すぐいなくなっちゃったけど』

 シロ、シロ。まったく口馴染みのない名前。なんというか、想像以上に長い時間が流れていたようだ。同級生の名前は全員言えるのに。

「覚えてるけど、名前、忘れてて」

『うそ。うーん、そうか。そうか』

 開けた窓から生ぬるい風が入り込む。

『私ね、あの影を見たときに、シロちゃんじゃないかなって思ったの』

「美術館、元の家とはちょっと離れてるけど……」

『うん、そうなんだけどね、ちょっと……』僕が小さく相槌を打って、続きを待った。『うん、それだけ。ありがとう』                                  

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