七
夕食も終わり、自室に戻って携帯を見ると、先に彼女からメールが来ていた。普段ほとんど連絡を取り合わないので珍しい。メールを開いてみる。
『面倒なことさせちゃったね。ごめん』
思い当たるのは怖い話くらい。でも、その件で謝られるようなことは彼女、やっていないはずだ。少なくとも僕は思いつかない。
『何かあったっけ?』
『横山先輩と美術館行ってくれたでしょ?』
『何で知ってるの?』
送ってから、聞こえてたか、と気付く。
『聞こえたの』
ほら。
よく考えなくても当たり前だ。僕らがいたところとカウンターの間に本棚があるとはいえ、そんなに離れてはない。いつもの調子で話していたら聞こえていて当たり前だ。図書室中に響いていた気がしてくる。
『二人とも暇だったから、気にしないで』
そう送ってしばらく後、携帯が震える。早苗ちゃんだ。
『もしもし。今、大丈夫?』
思いのほか声が明るくて、ちょっと以外だった。さっきまでのメールの内容とはちょっと不釣合いだったから、僕は彼女のテンションに合わせることにした。
「大丈夫。どうしたの?」
『打つより話すほうが早いなって。先輩いたらうまく話せないでしょ?』
「あはは」
『待って言わないでよ。先輩ってそれだけでなんか……あるじゃない。丁寧語使わなきゃだし、気が張るっていうか』
僕は笑う。
「わかる、わかるよ。僕としては、早苗ちゃんの丁寧語が面白くて大変なんだけど」
『だって仕方ないじゃん。何で私真広くんと同じとこ来たんだろ』
「びっくりだったね。全然話さないからね、普段」
僕が引越してから、早苗ちゃんたちの家族と会う機会はめっきり減った。長期休み中に会うくらい。同じ高校に通えるくらいにしか遠くに引越さなかったのに、不思議なものだ。
『お母さんは知ってたみたいよ。何で言わなかったんだろ』
「またお母さん同士しか知らなかったってやつだよ。叔母さん、元気してる?」
『元気元気。あ、でもちょっと夏バテ気味だって言ってた』
少しの間があった。
『美術館、何かあった?』
彼女の声はどこか不安そうだった。
「何もなかったよ」
安堵したような息づかいが聞こえる。
『よかったあ。昼間だったし、同じことがまたあるわけないしって思ってたけど、やっぱり不安で……』
「もう大丈夫そう?」
これで大丈夫なら、目的を半分達成したようなものだ。残りの半分は謎の解明。
何秒かの沈黙があった。
『んー。昼間、通ってみようかな。夜はまだちょっと心構えが』
どうやら、半分達成というにはちょっと早すぎるみたいだ。
「そうか。昼間通って大丈夫になるといいけど」
『うん。――もしかしたら、なんだけど、あの影、子犬なんじゃないかと思うの。光のトンネルの、向日葵の陰の奥にいた』
「子犬?」
彼女の口からその単語が出たことに驚いて、喉でつっかえたようなおかしな声になってしまった。
『大丈夫?』
「大丈夫」
『昔、いたでしょシロちゃん』
「シロ?」
『何言ってるの。飼ってたじゃん……すぐいなくなっちゃったけど』
シロ、シロ。まったく口馴染みのない名前。なんというか、想像以上に長い時間が流れていたようだ。同級生の名前は全員言えるのに。
「覚えてるけど、名前、忘れてて」
『うそ。うーん、そうか。そうか』
開けた窓から生ぬるい風が入り込む。
『私ね、あの影を見たときに、シロちゃんじゃないかなって思ったの』
「美術館、元の家とはちょっと離れてるけど……」
『うん、そうなんだけどね、ちょっと……』僕が小さく相槌を打って、続きを待った。『うん、それだけ。ありがとう』
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