美術館に入る扉を開けると涼しい風が吹いた。ずっと暑い中にいたから嬉しい。一階にある受付で庭だけ見ると告げる。平日だからか、中はがらんとしていた。始めてきた建物にきょろきょろしながら奥の扉から庭に出た。また太陽に照らされる。圧倒的な夏の気配。

「ちょっと早かったかな。だけどきれいだ」僕は言った。

 面積は、美術館と同じくらいだと思う。向日葵畑はところどころに小道が作ってあって、歩き回れるようになっている。開ききっている花もあるが、まだ半分しか開いていないものもある。庭には僕らの他に数人いて、ガラスのすぐ向こうに家が見えるのはなんとも不思議な気持ちだ。

「なんか夏って感じだよな」

 海斗は腕を組みながら、小道に向かって歩きはじめる。

 鉄で作られた看板が目に付いて、僕はそれを読む。太陽光で暖められて、火傷してしまいそうな熱気が伝わってくる。

 どうやらこの壁も作品の一種らしく、読めない難しい漢字で名付けられていた。創立者が愛した向日葵畑の印象を再現するとともに、ここの向日葵との調和を目指して作られたらしい。

 読みきって、とりあえずなるほどと頷いておく。かわりに向日葵畑に関する記憶が芋づる式に出てきた。小さい頃、早苗ちゃんと向日葵畑で遊んでいた記憶がある。その頃、向日葵は頭の上で咲いていた。今、向日葵は肩くらいで咲いている。あれはどこだっけ。レモンを横に切った下半分の地区に小学校はあった。そこから北に走ったらあった。隣の校区で、ちょっとした冒険気分だった。

「あ、違った」

「は?」

 返事が帰ってきたことで、海斗が近くまで来ていたことに気付く。

「小学生の時、来たことある。不法侵入だ」

 鮮明に覚えているのは見上げたところにある空と花と、それから……。とにかくあの時見た空は青一色で、花びらは絵の具箱に入っていたレモンイエローと同じ色をしていた。

「なにそれいいね。詳しく」

 僕はどこまで話そうか、考えつつ話す。

「早苗ちゃんに秘密の道を教えてもらったんだ。あの人抜け道とか見つけるのが得意で。今は知らないけどね。で、彼女に着いて行ったら植木とその奥に柵があった。それだけなら、他に教えてもらったのと、あまり変わらなかったな」

 他にもあったんだ、と海斗が相槌を打つ。

「植木って、下の方が潜れるようになってたりすることがあってさ。その植木も潜れそうだったから、背中に枝を引っ掛けながら通ったよ。柵は大きくて、実質飾りだったんだろうね。余裕で抜けれたよ。それで、抜けた先に、向日葵畑があった」

「それがここか」

「あの時は、天国にでも飛んだんじゃないかって二人で話した。急に世界が変わったからね。空を向日葵が覆っていて、凄かった。ほら、向日葵より背が低いから」

「いいな。夢がある」

「美術館に行ったことなんてないし、今と違って植木で庭の中も見えなかった。まさか、向日葵畑が島の中に二つもないだろ?」

「そうだな。それは俺が保障する」

「数回行ったけど、夏の間だけ。すぐに行かなくなったね」

「へえ、どうして」

 僕はちょっと考える。あの時、なにがあったっけ。しゃがんだ早苗ちゃんの後姿が浮かぶ。これは海斗に言ってもうまく話せる気がしない。なので、別の理由を思い出す。最後ここに遊びに来たときは、いろいろと散々だった。天国なんかではなかった。

「えっと、最後に行った日、耳元で羽音がしてね。それを虫が耳に止まったと勘違いして思いっきり耳を叩いちゃったんだよ。しばらく左耳おかしいし嫌になってね。その後すぐに引越したのもある」

 これは嘘ではない。何の虫だが知らないが、大変怖かった。そんなこんなが積み重なって、動物も植物も好きだった僕が生き物を避けるようになるのだ。

 向日葵の葉を突いて海斗が言う。

「もしかして、早苗さんがあの世のトンネルって言ってたのって、これじゃね? 天国に吹っ飛んだってやつ。お前みたいに向日葵畑が美術館の庭だったっての、気付いてるか知らないけど、小さい頃のだとしたら、よけいに心霊現象じゃなって証明できるんじゃないか?」

「ああ、そうかも。それなら、少なくともあの世のトンネルだと思ったことについては説明できる」

 向日葵畑を天国だという認識は僕と同じように彼女にもあるはずだから、無意識にそう思ってしまってもおかしくない。

「よし! そうするとただ光っただけになる! あと、お前が横切った影らしいものを思い出してくれれば完璧だ」

 僕は噴出しそうになりながら言う。

「いや、さすがに無理だよ」

「だろうな。まあ、普通に考えたら見回りの人とかなんだろうけど。でも、だとしたらずっと光ってたろうし」

「巡回の時間なんて、聞いても教えてくれないだろうしね」

「なんで?」

「だって、ほら、怪しいじゃん」

 海斗は数秒黙る。大方時間を聞かれた側の人の気持ちにでもなっているのだろう。

「やばいな」

「だろ?」

「夜外に張り付くのも、怪しいよなあ」

「蚊に刺されるの、嫌だよ。手遅れだけど」

 どうも僕は蚊に刺されやすい人らしい。庭に入ってから今までで、すでに何箇所か咬まれている気がする。

「じゃあ、とりあえずは後回しか。他に何か思いつく?」

「そうだな」僕は考える。「少なくとも今日は解散かな。帰ったら早苗ちゃんに連絡とって見るよ」

「ネタバレしない程度によろしくな。じゃ、また来週」

「来週?」

 来週、何かあったっけ。

「あれ、お前高校来ねえの?」

 水やりのことを言っているんだって、すぐにわかった。

「ああ、わかった。図書室に寄ればいいんだね。海斗は来るんだ。意外」

「ほら、宿題やりにさ。今年は死にたくない」

 確か彼、去年いくつか出してないんじゃないかな。いや、何とか出したんだったっけ?

「もうちょっと別の方法考えたほうがいいんじゃないかな、それ」

 十分で飽きたって言ってたじゃないか。

「なんだよー。真広はどうなんだよ」

「僕は、最初はやる気ある人だから。七月だからまだ大丈夫。本も借りようとしたし。偉い」

 海斗は鼻で笑う。

「八月に入ったら、何かやり方考えた方がいいんじゃないか?」

「やばくなったら考えるよ」

「あーこれじゃあ二人ともおしまいだ」

 海斗は伸びをして、腕時計を確認した。

「もうこんな時間じゃん。俺、帰るな」

 海斗が手を上げたので、僕も上げ返す。

「うん。僕はもう少しここにいるよ」

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