第19走者 止まる者

19

「やっぱりここにいたか。」


社の葬式の後俺は走れなくなり、部活に顔を出していない。


空いた時間何かすることがあるわけではないのでなんとなくベンチに寝転がっていた。


「小森コーチですか。いや、小森先生というべきですかね?」


そんな皮肉も聞こえていないのか無視して一人で話し始めた。


「ここに来るのも随分久しぶりになってしまった。知らない間にビルを建設しようとしてたんだな。これじゃあもう夕日は見ることができなくなってしまう。寂しいがそれもまたこの先の世界のためには仕方がないことなのかもしれないな。」


詰まらせることなくゲームのNPCかのように坦々と話すので俺はつい八つ当たりをしてしまった。


「どうでもよかったのかよ。あんたにとってここは夕日が観れる場所でしかなかったのかよ。」


感覚では1分ほどの時間が流れた気がするが本当はいくらだったのかはわからないが、それでも答えない小森先生にまた怒りが湧いてきた。


「答えろよ。あんたは無くなったらはい残念ですぐ捨てちまうのかよ。」


ずっと下を向いて話していたが感情が昂ぶったのと小森先生への怒りで俺は先生をやっと見た。


やっとだ。


やっと先生の顔を見たのだ。先生の左目から溢れるほどの涙が出ていることにやっと気がついた。


そして、掠れて鼻をすすりながら答えてくれた。


「出来ねーよ。そんな簡単に捨てられるわけねーだろ。でもな、私はまだ壊れてない物だって大事なんだ。でも、壊れてない物だっていつか壊れてしまうかもしれない。ひびを見つけたら治したいと思う。でも治し方がわからねんだよ。だから、聞いてやるしか出来ねんだよ。」


自分の幼稚さを知った。


先生は大人であることを知った。


しかし、大人だからといって完全ではないことも知った。


世界には知らなくてもいいことがあるという人はいるだろう。


実際知らなくていいことなんかたくさんなるだろう。このことだってそうなのかもしれない。いくら勉強をしたって、いくら歳をとったって、いくら経験を積んだとしても完全にはなれないと言うことは知らなくてもいいのかもしれない。


でも、不思議と後悔は感じなかった。


人という生物は脆く限界があるという残酷な世界を知ったにもかかわらず。


その後特に何も話さなかった。ただコーチの涙を拭くためにハンカチを渡して去ることにした。


コーチは黙って受け取って小さな声でまたなと言ってくれた。


帰る途中で喫茶店に入った。いつもは入らないのだが、今日はなんだか喉が乾いてしまったので入った。


「お一人ですか?」


「はい。」


「では、カウンターでもよろしいでしょうか?」


喫茶店のカウンターで飲むというのはなかなかカッコいいではないか。


「はい。大丈夫です。」


「注文は直接お伝えください。」


なるほど、カウンター席なので目の前にいるマスターに直接頼むということか。


カッコいいではないか。


しかしこうなるとコーラでも飲んで帰ろうと思ったが、少しカッコつけようしてしまうのが漢というものである。いや紳士(おとこ)というものである。


うむ、こちらの方がカッコいい。渋さがにじみ出ている。


では注文しよう。


まるで人類補完計画でもするような風に両ひじをカウンターに置き、手を組み、少し下を向いて。


「マスター。キリマ・ン・ジャロをブラックで。」


何かで読んだが、確か正式な切り方はこうだったはずである。


「何カッコつけてんだ。ガキはコーラでも飲んでろ。」


「え?」


想定外の反応に戸惑いマスターの方を見てしまった。


「友達が死んだんだってな。サービスでコーラフロートにしてやるよ。」


その声の主は、


「師匠!なんでこうなところにいるんですか?」


中学時代の師匠だった。


「いやな、光(ひかり)に出てけと言われてな。昔ここで働いたことがあったから住み込みで働かしてもらってんのよ。」


「良くokが出ましたね。」


「今マスターがギックリ腰で動けないからちょうどいいんだってさ。」


相変わらず自由である。


「ていうかまた、光と喧嘩したんですか?」


「お前が走れなくなったって聞いてな。あのバカはメンタルが足りねんだよなあ。と言ったら、包丁を向けられて死ぬか出てくか決めろ。と言われたから出てきたの。だから喧嘩じゃないな。」


ポジティブというかなんというか。


バカだ。


しかし、俺のために怒ってくれたというのは嬉しい限りである。


「また、おれが一緒に謝りに行きますから仲直りしてくださいよ。」


「助かるよ。じゃあ、5分待ってくれ。支度する。」


「ああ。あ?今から行くのか?仕事はいいのか?」


「いんじゃねーの?お客お前しかいないし、最悪三百刈(さんびゃくがり)君がいるし。」


大人とはこんなに適当でいいのか?


「いやでも…」


「自分は大丈夫なんで。行ってくださいよ。」


三百刈さん見たところ大学生なんだろう。若い。高校生の俺が言うのもなんだが、一人というのは大丈夫なのだろうか。


「おっ!そうかじゃあ甘えよう。」


こいつの方が若い気がする。精神的に。


結果的には10分待たされた。


バカだから時計が読めないのだろう。


「じゃあ行くか。」


カッコつけて行ってきたが、付き添うのはこっちなので上から目線で言ってくるのは本当に腹が立つ。


「なあ、お前さあ。聡美(さとみ)の名字聞いても驚かなかったよな。変わってんな。」


「そうですか?そんな珍しいですかね。」


これは惰性で返事をしているわけではない。合宿で出会った人たちの名字がレアすぎて、あの程度では驚かなくなったのだ。


「おいおい、なんだお前。あいつの名前聞いてもその態度は?男で聡美だぜ?」


「まあ、いろんな意味が込められていますからね。その思いを簡単にバカには出来ないですよ。」


合宿の帰り一さんから聞いた龍たちの名前の理由。あんなものを聞かされてしまっては、簡単に人の名前をいじることはできない。


「あんましそういうの言っちゃダメですよ。」


「俺がそんなこと言うと思ってんのか?」


「いいえ、全く。」


この人はバカだが、人としてはとてもいい人である。


どうせ今のもお前と言う人間を見極めているのだ!とか言うのだろう。


何年の付き合いだと思っているのだろうか。そろそろ信頼してくれてもいい気がするが、バカなので仕方がないだろう。


その後もくだらない会話、いや、一方的な独り言を聞かされたのち家に着いた。約10分ほどだったがめんどくさかった。なんで間を取り持つとか言っちゃたんだろ。今更になって後悔の念がすごい。


「なあ。」


「何ですか?」


「押せよ。」


「嫌ですよ。自分でインターホンくらい押してくださいよ。」


「だって、俺だったら出てくれないもん。」


それは一理ある。というかそうなるだろう。


「わかりましたよ。じゃあ押しますね。」


ピンポーン。


インターホンを押してから5秒ほどで出てきてくれた。ちなみに映るといけないので、バカには隠れてもらっている。


「はい。どうしましたか?」


「ああ、光か話したいことがあるんだちょっといいか?」


「ハイなんですか?」


「ああ、直接伝えたいんだ。」


今ここで俺がお父さんと仲直りしてねと言ったところでなんの効果もないだろう。直接伝えなければいけない。(バカが)


「えっ!それは…はい!わかりました!少し待ってください。」


なにか勘違いをしているような気がするがまあいいだろう。しかし、これから嫌な人に合わせると言うのは酷なことかもしれない。


そして5分程すると、扉が開いた。


「かずくんお待たせしました。」


そう言って俺を迎え入れてくれたのだが、最初に目に映るのは実の父親の土下座である。


「光。まあ、そういうことだ。」


「なるほど、だいたい事情はわかりました。またかずくんが仲介役をしていると言うことですね?」


「まあ、そういうことだ。」


「で。このゴミ雑巾があなたの師匠で私の家にいた夜野 灯(よるの あかり)とか言う奴ですか?」


「まあ、そういうことだ。」


実の親に対してゴミ雑巾とは。どれだけキモがられてんだ?


「普段なら絶対に許さないところですが、かずくんの頼みなので許します。今回だけです。」


いつもこう言って許してあげているので、案外光も好きなのではないかと聞いたことがあるが、本気でビンタされた。


「そんなことより、かずくん早く部活に来てください。」


「悪いな保険ちゃん。まだ走れそうにねんだ。」


「学校以外では光と言って下さい。私は待ってますからね。仮に大会が終わったとしても。走れなかったとしても。」


ありがとう。心の中でしかいえなかった。口には出せなかった。なぜだろう?


「おい。走りたくなったら俺のところに来い。また教えてやる。それと、今日みたいな作り笑いが俺は1番嫌いだから次したら光はやらねーからな。今回は特別に許してやる。仲介役の借りはこれでチャラだ。」


それだけ言うと自分の部屋に行ってしまった。


そのあと光と二人きりになったが気まずくなったのですぐに出た。


家を出ると偶然理科と出会った。


「あれ?こんなとろこでどうしたんですか先輩?」


「ああ、理科か。なんだか久しぶりだな。」


「葬式ぶりなので2日ぶりですよ。そんなにあってないわけじゃないでしょ。そんなことより、なんでそこから出てきたんですか?そこって確か隣の文房具屋さんの人のお家ですよね?」


「ここは保険ちゃんの家なんだ。さっきお父さんにあってな、色々あったんだが帰ろうと思って出てきたらお前にあったんだよ。」


理科は保険ちゃんがヨルノアカリの店の人の娘という衝撃的なことを知ったのだが、そんなことなど些細なことのように感じた。まるで宇宙人からギザ十をもらったような感覚だった。何故なら、三木 数人の目が死んでいたからである。表情や声色などは普通なのに目だけが死んでいる。腐っているのではないかと思わせるほどに。


そして理科は人生で初めてちゃんとした恐怖というのを覚えた。目の前にいるいつもあっていた先輩の口から出てくる一言一言が怖かった。


その今まで味わったことのない感覚は理科に対して嘔吐感というかたちで現れた。


「先輩!すみません急いでるのでまた今度。」


そういうと理科は早足で近くのコンビニにかけて行った。



「光、お前よく耐えたな。」


「数くんのあんな顔を見るのが始めただったらすぐにトイレへ駆け込みましたが2回目だったので耐えれました。でも、もっと話したらダメだったかもしれなかったです。」


そう言った光の目には涙が浮かんでいた。


「あいつがお前を泣かすのはこれで二度目だな。前回は2年くらいかかったんだよな。今回もそれくらいかかるのかね?」


光は即座に否定したかった。前回は即座に否定をした。しかし、2年かけても私はどうすることもできなかった。せいぜい表情を元に戻したくらいだった。実際に走りの世界に戻したのは、生徒会長だったのだ。私ではない。おそらく今回も私ではないのだろう。だから、即座に否定を出来なかった。したかったが出来なかった。それを昔の自分が許さなかった。


「光、頼みがあるんだが聞いてくれないか?」


「何ですか?」


「お前らの顧問の電話番号を教えてくれ。」


「お父さん。警察呼びますよ。」


光は実の父親のこのシリアスな場面での行動とは思えず本気で通報しようかなと思った。


「ははは、たしかに母さんがいないからと言って狙っているわけではないよ。俺は母さん一筋だから安心していいぞ。」


「ほんとですか?」


「疑い深いな。」


「まあいいですが、変なこと言わないでくださいよ。」


そう言うと光は俺へ携帯の番号を教えてくれた。


すぐにかけたが繋がらなかったので30分後にもう一度かけたら繋がった。


『はいもしもし。どなたでしょうか?』


「もしもし。俺だよ俺。」


『まだ20代なので詐欺には引っかかりません。さようなら。』


「いや嘘だから。ていうかわかってんだろ誰かくらい。」


『まあな。久しぶりだな、風読。』


「違いますけど?誰がいつお前らのライバルになった?夜野 灯ですけど?」


『ああー。あのバカですか。』


「何だてめーこっち来いやボコボコにしやんぞコラ?」


『さてボケは終わりましょう。早くお風呂に入りたいので。』


「おっ!今もしかして裸か?」


『違います。脱ごうとしたらかかってきたんです。』


「脱いでる途中にかかってきた?なるほど。相手は童貞だな。先走りすぎたな。まあ、初めてなら仕方がないか。」


『ふざけてるなら切りますよ。』


「冗談だよ。さて本題だがな…………で……………を………………というわけでだ。」


『なるほどな。では、…………と……………………を頼む。』


「でも、まだわからないんじゃないか?」


『大丈夫だ。あいつは戻ってくる。』


そう言って電話は切れた。


「おいゴミ。さっきの会話ほんとに変な会話じゃないんだろうな?」


「当たり前だ健全な話をしていた。」


これに関していえば自信を持って言えるだろう。


「ではどうして健全な会話に童貞が出てくるんですか?」


「それはセーフだ。」


そうして、俺はまた2日間俺はまた喫茶店に住み込んだ。(次は一人で謝りに行った。)

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