第三話 絶滅たまごチキンラーメン

 あたしが歩き回ればお腹が減るように、カブだって走り回ればお腹を空かす。人類絶滅後の世界でも不変な自然の摂理だ。


 あたしはごはんを食べる。カブはガソリンを食べる。同じ事だ。あたしがお腹を減らせばそのうち動けなくなって死んでしまうように、カブだってお腹が空き過ぎれば動けなくなる。動かないカブは死んだも同然だ。


 あたしは缶詰とかレトルト食品とか、保存の効く食べ物を探してコンビニやスーパーを渡り歩いている。食べるために。生きるために。カブだって走るために、生きるために、ガソリンが必要だ。この旅は食べ物を求める旅であり、ガソリンを探す旅でもある。


 食べるために動き回ってお腹を減らすあたし。ガソリンを求めて走り回ってガソリンタンクを空にするカブ。本末転倒ってこう言う事です。目的と手段を取り違えた旅も八ヶ月を越えて、そろそろ賞味期限どころか消費期限切れの食糧も目立ってきた。


 そしてガソリンにも賞味期限がある。それを教えてくれたのは父さんだ。十八になったら車の運転を教えてくれると約束していたのに、あたしの十八歳の誕生日が来る前に人類は絶滅して、父さんはいなくなった。


 十五の時に、叔父さんにカブの運転の仕方を教わっていたのがラッキーだった。カブがあればどこにだって行ける。あてのない旅だけど、カブはあたしをどこにでも連れて行ってくれる。ガソリンがあれば、だけど。


 ガソリンの賞味期限は六ヶ月くらいだ。六ヶ月経つと使えなくなるって訳ではなく、空気に晒されて劣化が始まってしまい、放置していた車のエンジンがかからなくなる期限が六ヶ月って意味だ。保存状態次第で三ヶ月でダメになる場合もあるだろうし、管理状況が良ければ一年経っても平気で使えるらしい。


 さて、そんなガソリンはどこにあるでしょうか。


 カブは走るよ、どこまでも。無人の街を、あたしを乗せて。野を越え、山越え、なんてしてたらガス欠しちゃう。ジェットヘルメットの中で大声で歌いながら、国道沿いに見えたガソリンスタンドをスルーして、連なって乗り捨てられた車の合間を走り抜ける。


 ガソリンスタンドにガソリンは普通にあるだろう。たっぷりあるだろう。しかし全域停電下では給油ポンプは作動しない。ガソリンスタンドの地下にある貯蔵タンクからガソリンを吸い上げるには手動ポンプを設置するしかないはずだ。でも、残念ながら、無人のガソリンスタンドをあちこち探ってみたけど、どれが地下貯蔵タンクの給油口なのか、そして手動汲み上げポンプがどこにあるのか、さっぱりわからなかった。


 さすがに相手はガソリンだ。無茶な扱いは危険過ぎる。気化したガソリンが吹き出して、最悪にも偶然静電気の火花でも散らした日には、周辺施設も巻き込んで大爆発だ。素人が八ヶ月も放置していたガソリン貯蔵タンクを開放するのはちょっと怖い。


 父さんも人類絶滅なんて想定していなかったんだろう。無人の街でのガソリン調達方法までは教えてくれなかった。


 あたしは走りながらメーターパネルの汚れを指で拭った。ガソリンメーターはそろそろEを指そうとしている。この赤いメモリを吹っ切ったらガス欠だ。相棒であるカブを乗り捨てて、歩いてガソリンを探さなければならない。


 もしもガス欠になってしまったら、カブから引っ張っているUSB充電ソケットが使えなくてLEDランタンを充電できなくなる。LEDランタンは暗闇を照らす光源、あたしの唯一の武器だ。ランタンの明かりがなければ、あたしは夜の黒い闇に飲み込まれて人類は本当に絶滅するだろう。たぶん。


 北日本の地方都市のさらに隣の田舎から出張ってきたあたしは東京周辺の土地勘をまったく持ち合わせていない。今現在、あたしがどこにいてどっちに向かって走っているのかさっぱりわからない。


 それでも大都市と言う巨大な生き物の縄張り習性と言おうか、人間の集合体が形成する都市計画意識と言うべきか、あたしが探すお店が都市のどの辺りに多く分布しているかはわかっているつもりだ。


 あたしが探しているのはカーディーラー。車屋さんだ。それもちゃんとした国産メーカー直営店舗で、サービス工場が併設されてる車屋さん。きらきらした新車がびっしり並べられて、あたしのようなバイク派の女子高生が気軽に寄れるようなお店じゃないけど、かなり高い確率で使えるガソリンを備蓄している。


 ドアが開きっぱなしになって放置されている車の側を引っ掛けないように慎重にすり抜けて、追突したままひしゃげた車体を絡ませ合っている事故車を避けるように歩道に乗り上げてけっこうなスピードで突っ走る。道路の太い方へ、道路の広い方へ。


 いわゆるバイパス、国道何号線とか、主要幹線道路など、都市の大動脈に車屋さんは多く分布している。あたしが狙うのはそんな大きなディーラーだ。ちゃんとした中古車屋さんでも、輸入外国車ディーラーでも、修理もできるサービス工場があればいい。


 太い道路へ、広い道路へ、勘を頼りにカブを走らせる。やがて片側四車線の国道へと道は繋がった。このまま走れば隣の県まで行けそうな、放置された車も一際多い立派な道路だ。そしてもう動いていない車の合間を縫って走れば、すぐに目的のカーディーラーが見つかった。


「よし、見つけた」


 ばっちりあたしの読み通りだ。手入れする人間がいなくなって伸び放題荒れ放題になった街路樹の隙間に、待望のメーカーの看板が見える。ガラス張りのショールームには何台も車が展示されていて、裏手のサービス工場か、シャッターが降りている建物もあるようだ。


 よしっと思わずガッツポーズの片手運転。歩道に乗り上げてひっくり返りそうになっている軽自動車の側をすり抜けて、いざ、カブごと入店。


「いらっしゃいませー」


 どうせ誰もいないんだ。あたしは自分で自分に言ってみた。




 はたして、もしも店員さんが生き残っていたら、いきなりやってきたカブ乗り女子高生に「いらっしゃいませー」なんて笑顔で迎えてくれただろうか。本来なら、どこの山から降りてきたんだって薄汚れたキャンプウェア姿のあたしにはあまりにも場違いなピカピカしたショールームだったはず。でも今は、電気がないせいでぼんやりと薄暗く、本当ならキラキラしてるはずの新車もしょんぼりと色褪せて見えた。


 人が住んでいない家はすぐに荒れる。父さんがよく言っていた。人の文化的活動は周辺環境にも影響を与えるって。家も人が住んでいないだけであっという間にすさんでいくし、車だって人が乗らなければ輝きを失って朽ち果てていく。


 このショールームを見ればそれがよくわかる。 人間がいなくなって八ヶ月あまり。どこから入ってきたのか、床にも商談用のテーブルにも薄っすらと埃が積もっていた。元はきれいな新車だったであろう車もすっかり見すぼらしくなって、全然光り輝いていない。これは汚れでも錆びでもない。くすみだ。人が乗らないので自動車として本来の意味を見失ってしまい、透明な輝きが消え失せたんだ。


「こんにちはー」


 人類なんてもうとっくに絶滅しちゃってるって知っているけど、念のため一声かけておく。


「誰かいますかー?」


 あたしは一人で生きているって確認するための儀式みたいなものだ。バカみたいな独り言だろうと、声を出しておかないと喋り方を忘れてしまう。


「非常事態なので、ちょっと失礼しますねー」


 テレビCMでよく見かけた新車の運転席を覗き込む。最近の車って、キーを挿し込まないタイプなのね。ハンドル周りに車の鍵は見つけられなかった。新車だから動くかなってちょっと期待したのに。


 あたしはショールームのカウンター裏に入って、バックルームを覗いてみた。サービス工場にはどこから行けばいいのかな。さっき裏手に見えたシャッターで閉ざされた建物のはず。いったん外に出て裏側に回り込まないとダメかな。


 バックルームは模範的な事務所のようにデスクがきちっと配置されていて、でも窓がないせいで陽の光が届いていない部分は真っ黒く塗り潰されて何も見えなくなっていた。


 こんなとこにまで夜の闇は侵入してきて、無人の事務所を占領しているのか。ここはまだ人間の陣地だと宣言するように、あたしはLEDランタンの明かりを灯した。夜の闇は水が流れ落ちるみたいにするすると小さくなって消えた。


「ほら、やっぱりそこだ」


 LEDランタンの光に切り払われた闇の向こう側、給湯室へ続く短い廊下と、見るからに頑丈そうな扉があった。あたしに見られたらまずいものを夜の闇の奴が隠していたんだ。と言う事は、正解はあの扉の向こうにある。たぶん。


 扉を開ける前に、ちらっと給湯室を覗いて見る。小さな冷蔵庫と電子レンジ、それと流し台に電気ケトルが見えた。電子レンジ! 電子レンジさえあれば火を使わなくても温かいものが食べられる。欲しい。借りてっちゃおうか? でも、便利なアイテムだけど電気がないから使えない。カブに搭載するには大き過ぎるし。


 そして本命の金属製のドアノブに手をかける。戸締り注意、と手書きの注意書きが貼られていた。


 がちゃりと重い手応えがあって、その金属のドアはゆっくり開いた。その途端に事務所の空気とは違った匂いが流れてきた。すえたケミカルな臭い、でもどこか甘みがあって、べったりと肌にまとわりつくような空気の感触。サービス工場特有のオイル類の匂いだ。


 大正解だ。サービス工場への扉を開けた瞬間に、あたしが探し求めていた赤い色が眼に飛び込んできた。それはガソリン携行缶。LEDランタンの明かりをきらりと反射させる赤いカラーリングが眩しい。


 サービス工場はシャッターが降ろされていたので、中には暗闇がみっちりと詰まっていた。LEDランタンを高くかざして工場内を見回す。メンテナンス中だったのか、ボンネットが開いたまんまの軽自動車が一台置いてあった。ランタンを右に振れば軽自動車の影の形をした闇が左に逃げて、腕を左へやって追いかけてやると真っ黒い影は右側にぐるっと逃げ惑う。


 夜のようにあたしの周りが全部暗闇だったら怖くてたまらないけど、こいつみたいな、軽自動車の影くらいの小さな闇だったらどうとでもなるように思えてきた。何だったらこっちから攻めてやる。強い明かりさえあればこいつらは呆気なく雲散霧消する。


 あたしを避けるように軽自動車の影に回り込む闇を睨みつけながら、閉ざされたシャッターまでじりじりと摺り足で歩み寄る。ほら、暗闇の奴はどうする事もできない。ただそこに隠れるしかないんだ。シャッターのロックに手をかけて、がしゃんとわざと大きな音を立てて解除。あたしはシャッターを一気に引き上げて太陽の光を招き入れてやった。


 眩しい光が暖かさとともに工場内に雪崩れ込み、暗闇は音もなく小さく縮んで消え去った。あたしの薄い色した影だけが仁王立ちしていた。あたしの勝ちだ。


 明るくなった工場内を見回せば、どこか誇らしげに赤く輝くガソリン携行缶が二つ並んでるのが見えた。それともう一つ、見覚えのある赤い色した機械がどんと存在感を見せつけてくれた。あたしのうちにあったのと同型の、いや、大きさからして上位機種だろう、きれいに手入れされた発電機があった。


 あたしは万歳するような格好でシャッターを押し上げて、心の中だけのつもりが声に出して叫んでしまった。


「これで電子レンジ使える!」


 父さんが言っていた。機械もプログラムもおんなじだ。きっちりと正しい手続きを踏んで、理論を素直に上から順番に展開させてやれば、期待通りの動作をしてくれる。もしも動かなければ、それは機械やプログラムが悪いのではなく、動かす人間が正しい手続きで理論を組まなかったのが悪いんだ。


 この発電機を動かすにはどうすればいいか。とにもかくにも燃料だ。八ヶ月も動いていなかったんだ。容量の小さなキャブレターの中のガソリンは確実に劣化してるはずだ。


 キャブレターの底のガソリン抜きのネジを緩めてやって、燃料タンクのキャップを開けてそうっと鼻を近付ける。思っていたよりもしっかりしたガソリン臭がつんと鼻の奥を刺激してくれた。タンクの中にガソリンはたっぷり入っていて、そのおかげで空気に触れず、まだ大丈夫そうだ。


 始動レバーをゆっくりと引っ張ってコードを目いっぱい伸ばす。エンジン内部でピストンがことことと回る手応えがあり、抵抗なくスムーズにレバーを引っ張れた。そして二度、三度と、ゆっくり始動レバーを引き出しては戻し、戻しては引っ張り、エンジンを回してガソリンとエンジンオイルを巡らせてやる。するとキャブレターの底からガソリンがちょろちょろと漏れ出した。


 ちょっと匂ってみる。ガソリン特有の刺激臭をさらに発酵させて熟成させたような、絶対に口に入れちゃいけないって本能が拒絶する臭いがした。ダメだ、これはやられてる。タンクのガソリンで洗うようにもう少し始動レバーを引っ張ってやる。


 エンジンオイルの量、色、ともに問題なし。次はエア、空気はどうだろう。エアクリーナーもきれいだ。目詰まりはない。プラグもチェックする。さすが車屋さんの整備工場と言うだけあってプラグもきれい。みただけでよく手入れされているとわかる。この辺の整備点検項目はカブとおんなじだ。これだけ状態が良好なら問題なくエンジンはかかってくれるだろう。


「お願いだよ。一発で決めてね」


 始動キーをオン。ふうとひと呼吸置く。膝を曲げて腰を落として、腕の力だけじゃなく腰の回転に乗せて一気に始動レバーを引っ張る。


 どるんって発電機は太い声を上げて震えた。そしてすぐに沈黙。一発クリアにはならなかったか。でも手応えあり、だ。カブのエンジンをキックスターターでかける時に感じるピストンの圧縮感が始動レバーを握る指まで伝わってきた。これはいける。


 カブのキックや発電機のコードを引っ張るタイプのエンジンスターターは力の強さを必要としない。要はタイミングだ。ピストンの圧縮とプラグの発火ががっちり噛み合えばエンジン内部で爆発が起きる。そう。いかに爆発させるか、だ。それには強さ、じゃなくて、長さ、が重要になる。コードを短く引くんじゃなくて、一定の速度で長く伸ばし切る勢いで引いてやるんだ。


 もう一回、ゆっくりと息を吸い込んでお腹に溜めて、頼りない細い脚を大きく開いて踏ん張って、まずは一度、腕の力だけでレバーを引く。発電機はさっきより低い音で唸るくらいで震えもしない。でもそれでいい。


 そして二度目。立て続けに巻き戻ったコードをぐいっと引き出す。ちょっと長めに、膝の屈伸も加えて大きめに伸ばす。発電機はまたどるるんって音を立てて震えた。これでいい。ここまでは言わば助走だ。


 本気の三度目。巻き戻されたコードを、あたしの身体全体を使って勢いよく引き出してやる。踏ん張った膝を伸ばし、上体を捻るように腰を回転させて、腕を空高く突き上げる。ピストンの回転を意識しながら、最初の膝の動き出しから最後の腕の振り抜きまで一定の力を込めて、エンジンに火を入れてやる。


 ばんって発電機が鳴った。本体が跳ねたかと思った。カブのエンジン音によく似た低いアイドリング音が歌い出す。排気ガスの匂い、エンジンの振動、アイドリングの音。人類絶滅後の世界で久しぶりに体感する自分以外の何かが発する音だ。うるさいくらいに嬉しくなる。


「やったあ! 電気だっ!」


 発電機のアイドリングのリズムに合わせて両脚を踏み鳴らし、あたしは小躍りしちゃって両腕を高く突き上げた。電気だ。人類が発明した文明の素、電気だ。これで火を起こさなくても温かいものが食べられる。真っ黒い夜だって眩しく照らせる。




 キャンプには二種類の楽しみ方がある。叔父さんがよく言っていた。一つは自然にあるものを利用して、自分の力で火を起こしたり、柔らかい寝床を確保したり、完全自然派キャンプだ。何もかも自然のあるがままで、焚き火の炎の揺らめきを楽しみ、風が揺らす森の木々の歌に耳を傾ける。寝袋に包まってふかふかした地面にごろんと寝転んで、自然の一部となって眠りに落ちる。


 もう一つはアウトドアキャンプ。こっちは文字通りドアの外側に自分の生活圏を再構築するキャンプだ。文明的な荷物を積めるだけ積んだ車で野山を駆け巡り、電気やガスをフル活用してピカピカのステンレスコンロでぶ厚いお肉を焼く。夜の暗さも吹き飛ぶような明かりでファミリーサイズのテントを照らし、車や発電機から電気を引っ張ってきて音楽を聴いたり動画を観たり文化的な夜を過ごす。


 どっちがどうとかはない。両方ちゃんと楽しいキャンプだと思う。父さんはアウトドア派だった。人類絶滅以前によくキャンプ場まで車で連れてってくれたものだ。電気も食べ物も何でもあるキャンプだった。


 それに対して叔父さんは自然派だった。持ってくものも必要最低限。現地で焚き木を手に入れて、自分が食べたい分だけ料理して、静かに焚き火の燃える音を聴く。兄弟できれいに好みが分かれたものだ。


 あたしもどちらかと言えば自然派だ。でも今夜は電気キャンプと洒落込もうか。


 発電機をいじっている間に、外はじんわりと薄闇が降りて来ていた。もう夕方か。気のせいか、いつもよりも暗くなるのが早い気がした。すぐに真っ暗になってしまいそうだ。


 他に使えそうなものはないかな。ごちゃっとしたサービス工場内を探し回ると、屋外でのメンテナンス作業用だろうか、LED投光器を見つけた。よし、明かりもゲット。何でもあるじゃないか、車屋さん。LED投光器の真っ白い光で、ごちゃごちゃしたサービス工場の薄暗い雰囲気はがらりと変わった。


 あたしは事務所の給湯室から電子レンジと電気ケトルを持ってきて、軽快に回っている発電機にプラグを差し込んだ。電気キャンプもまずは料理からだ。LEDランタンやスマホの充電も後からでいいし。


 ペットボトルのお水を沸かす。ソロキャンプで使ってるウッドストーブの火力でお湯を沸かしたら、火を育てる時間も含めていったい何分かかってしまう事やら。さすがは電気ケトル。カップ一杯分の紅茶のお湯はすぐに沸騰した。


 電気で沸かした文明的な熱湯にティーバッグをくぐらせる。大きなチタンマグカップにたっぷりと紅茶を作ってる間に、メンテナンス中の軽自動車のリアハッチを開放してタープに見立てて、折りたたみキャンプチェアとミニテーブルをハッチの下に展開する。ほら、これで車の整備もできるオートキャンプ場に早変わりだ。


 今晩のメニューは、普段なら大量にお水を使っちゃうからもったいなくてなかなか作れない即席袋麺の王者、チキンラーメンに決めた。きっといつかこんな日が来るとキープしていたとっておきの一袋だ。


 プラスチック製で味気ないけど、電子レンジ対応ラーメンどんぶりにチキンラーメンをセット。ぺこっとへっこんだたまごポケットがちょっとさみしそうだ。残念ながら、人類絶滅後にもう卵は手に入らない。スーパーやコンビニに八ヶ月も並べられている卵なんて怖くて触れないし、養鶏場だって管理する人間がいなくなったのでニワトリ達もとっくに全滅しているだろう。万が一に野生化したニワトリがいたとして、はたしてあたしに捕まえられるかどうか。


 たまごポケットにはインスタントのたまごスープを乗っけてみよう。どこで借りて来たものか忘れたし、賞味期限なんてとっくに切れてるけど、案外マッチするかもしれない。


 電子レンジでチキンラーメンを上手に作るコツは水量とレンチン時間の調整だ。お水からレンチンしてチキンラーメンを作っていたら、煮え過ぎて麺がぽろぽろと崩れてしまう。じゃあ熱湯を入れてレンチンしたら? それじゃあお湯が沸騰し過ぎて麺が茹で上がる前に電子レンジが大変な事になってしまう。


 あたしが導き出した答えは電気ケトルの残ったぬるま湯だ。冷たいお水じゃなく、湯気が立ち昇る熱湯でもなく、適当に温くなった中途半端なお湯をチキンラーメン上のたまごスープが浸るくらいに注ぐ。そして電子レンジにかじりつく勢いでがぶり寄りだ。電子レンジでチキンラーメンを作るには、マイクロウェーブの被照射も辞さぬ覚悟が必要なのだ。


 レンジ庫内で光り輝いてくるくる回るラーメンどんぶり。まるでショールームに展示されたぴかぴかの新車だ。それにしても。きらきらと光るチキンラーメンを見ながら改めてあたしは思った。電気ってやっぱり偉大な発明だ。


 電気があれば人は何だって出来る。暗い夜を打ち破る事も、温かくて美味しい料理を瞬く間に作る事も、手のひらサイズの小さな機械で音楽を奏でて写真を眺めて思い出に浸る事も。


 たとえ人類が絶滅したって、車も電子レンジもスマートフォンも、機械達はただ動くのを止めるだけで絶滅する訳じゃない。たった一人、生き残った誰かが電気を生み出す事さえ出来れば、それらは再び動き出す。失われた文明を紡ぎ出す。電気さえあれば、人間が全滅したって文明は終わらないって訳だ。それって、人類の文明じゃなくて、電気の文明に人類が乗っかってるだけじゃないか。


 その電気が、今まさにチキンラーメンをぐつぐつと煮込んでいる。ラーメンどんぶりの蓋の隙間からかすかな蒸気が吹き漏れている。もう少し、あと少しで完成かな。ここからは一秒だって気が抜けない。一瞬の気の緩みが数秒のタイムロスを生じさせて、チキンラーメンはあっという間にぼろぼろの茹で過ぎ麺になってしまう。


 この電気こそ現代文明と言う舞台の主役であり、人間は文明において台詞もない通行人Aに過ぎないのかもしれない。いや、通行人とかの脇役と言うよりも、むしろ観客かな。文明の観客。電気がなければ人間は文明的な生活は送れないが、人間がいなくても電気は文明と言う舞台を保存して記録する事ができるんだから。


 電子レンジが高らかにチンッて奏でた。本当に久しぶりに耳にした音だ。ばっちりのタイミング。スープが噴きこぼれる事もなく、湯気の具合からも麺にしっかりと水分が含まれたはずだ。


 さあ、たまごスープチキンラーメンの出来上がりだ。答えの出ない問答に悩むよりも、出来立てのチキンラーメンを熱いうちにいただこうか。麺の上に乗っけたたまごスープがチキンラーメンスープにいい具合にとろみを加えて、何か思い付きでやってみたわりにはチキンラーメンの新たな正解を導き出してしまったのかもしれない。


 ああ、たまごのまろやかさとチキン出汁がない交ぜになった絶妙なしょっぱさ。この味を誰かに伝えたい。人類はもうあたし以外いないけど。

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