寺の山門を抜ける瞬間が思い出せない。山門を抜けて数歩分の石畳から先のアスファルトで舗装された道路を踏むはずのスニーカーが細かい砂利を踏みしめるような足音を立てたので我に返ると、寺の山門を抜けた先は木造の家々が建ち並ぶ旧市街の町並みではなく、果てしなく続く曇り空と墓場に景色が変わっていた。それもわずかな隙間を残して大小の墓石や石塔、卒塔婆そとばが数え切れないほど立ち並んでいる。寺の前にあった道路は山門前から左右一直線に伸びているが距離感が掴めないほど先に伸びており、どちらも地平線の先まで無機質な墓の群れと一緒に続いている。現実感のないまま後ろへ振り返ると、寺とその敷地や土壁は相変わらずだが、その向こうには小高い丘のように盛り上がった土地が墓石や卒塔婆で埋め尽くされているあたり反対側も同じ様子なのだろう。

 どうも私はこの寺と砂利道を除いて周囲が全て墓場の世界に放り込まれたらしい。急なことで現実感がないからか、落ち着いている私は旧市街の世界に戻る簡単な方法として思いついた、寺の山門を通り抜けて寺の敷地内に入ってみる。だが、土塀のむこうに見える墓の山が消えることはなく、振り返っても砂利道と墓場が広がるだけで旧市街の景色は戻ってこなかった。

 どうもこの世界にしばらくいなければならないらしい。私は寺の縁側に腰掛けると敷地内の墓場に目をやる。敷地内の墓石は整然と並んでいるが、角ばった墓石ばかりで近年見られるような丸石型の墓石などは見当たらない。これは寺の敷地内も元の世界とは違うらしい。何より卒塔婆が1つもなく、墓石に刻まれているはずの文字が消え去っているのが目を引く。

 そもそもどうして私はここに来てしまったのか。夢の中にしても自分の思うように動くことができるし、私の動きに合わせて周りの空気も動いている感覚が肌を通して分かる。夢ではなく、旧市街から寺の山門を出るまでの間に急病で私は気を失って倒れたのだろうか。だとしたら私は魂だけの存在で、現実空間の私の肉体は生死の境をさまよっているのだろう。いや、墓場だらけの空間に来たということは死んだのかもしれない。だとするとここがあの世なのだろうか。随分と殺風景な場所だ。

 そこまで考えを巡らしたところで、不意に寺の襖が開く音がする。振り返ると法衣を纏った坊主頭の老人と目が合う。「おや、珍しい。生きているお客人とは」そう言うと初対面の私に軽く会釈をしてこう続けた。


「ようこそ、辺獄へんごくの寺へ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る