私は人のいない空間に閉じ込められたと思い込んでいたので、何を言われたのかよりも突然和尚おしょうが現れたことにただ呆然とするしかない。そんな様子の私を見て面白いのか口を少し緩めながら笑う和尚は、「妙な所に迷い込んだねぇ」と言いつつ手招きをして私に寺の中に入るよう促す。和尚に続いて寺の中に入ると本殿にあるべき寺のご本尊の姿がなく、そればかりか本殿の中は何一つ物がないがらんどうだった。これは寺の外側だけでなく内側も私の知る旧市街の寺でないのは明らかだった。

 和尚は本殿の広い空間の真ん中あたりにあぐらを組んで座ると私に正面に座るよう手を差し伸べてくる。促されるままに和尚の正面に正座で座ると、和尚は改めて「辺獄の寺にようこそ。といっても、わしは勝手に住み着いているだけの坊主頭でね」そう言うと笑いながら光る頭を右手で撫でている。

「あの、ここはどこなんでしょう?それに辺獄とは?」私は気になることを尋ねる。

 すると和尚は、「辺獄とはここのことさ」そう言いながら両手を広げる。

「ここはあの世の中でも生きている側である現世に限りなく近い場所。簡単に言ってしまえば三途の川を渡る前、死んだ肉体から抜けた魂があの世に行く道中のどこか。そんなところだね」

 そう和尚は答えるとこちらが何か言わないように右手で制したうえで、「辺獄と儂が勝手にそう呼んでいるだけでねぇ……」とやや困った顔をしてから、「辺獄という言葉自体は、地獄ではないが死後の世界として考えられている曖昧な場所で、元々は地獄の周辺という意味なんだとか。ここは外の様子を見ての通り地獄ではないにしても墓場しかない殺風景で、死んでいる人間の世界なのに生きている側に限りなく近い曖昧な場所なんでそう呼んでいるのさ」そう説明し終えると右手を下ろす。

「私は死んだのですか?」そう尋ねると和尚は、笑いながら否定する。

「いや、あんたは死んじゃいないよ。死人にしては血色が良すぎるし、どこも怪我をしているようには見えない。それにあんた、あの世だってのに影があるんだもの」

 言われて自分の周りを見回すと自分の背後に影ができていることに気付く。外は曇り空であるうえに本殿の中は薄暗いにも関わらず、異様なほどに黒い影が私から伸びている。振り返って笑う和尚の周りには影などなかった。

「わかりやすいだろう?あんたは生きてる。儂は死んでいる」


 和尚は静かにそう言った。

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