エメラルドの竜
気を取られていたせいか、僕は気付けば、一人離れたところにいた。けれどもすぐにレナードの姿を見つけ、そちらに急ぐ。レナードもまた、熱心に木々を見上げていた。彼も妖精を見たのかもしれない。
レナードは僕の方を振り向き、それからふいに辺りを見回した。そして心配そうな顔で僕に聞いた。
「デイヴィッドは?」
そういえば、姿が見えない。僕らは真剣な顔になり、そして黙って辺りを探した。けれどもデイヴィッドはいなかった。
「デイヴィッド!」
宙に向かって、レナードが叫んだ。けれども返事はない。彼の心配顔は、さらに深刻なものになっていく。
僕らは歩き始めた。レナードが時折名前を呼ぶ。「ついさっきまでは側にいたんだ。いたんだけど……」レナードの声がだんだん頼りなくなってくる。気の強いレナードの元気がなくなってくると、こちらまでとても不安になってくる。
歩くうちに、開けた場所に出た。そして僕らはあっと声を上げた。そこにはデイヴィッドがいたのだ。草むらの中にかがんで、何かを探している。僕らは嬉しくなったが、そこで、恐ろしいものを見てしまった。
デイヴィッドからわずかに離れたところに大きなドラゴンがいたのだ。その鱗は緑色で、陽の光を浴びて、まるでエメラルドのように輝いていた。ドラゴンは草の上に丸くなっていた。顎を地面につけて、そして薄目を開けて、デイヴィッドを見ている。まるで食べようかどうか迷っているかのように、じっと、茶色の髪の少年の方を見ている。
レナードが駆けだした。デイヴィッドに向かって。僕は怖くて足がすくんでいたので、少し遅れてしまった。でも僕も後に続いた。「デイヴィッド!」レナードが叫ぶ。デイヴィッドが顔を上げて僕たちの方を見て、笑顔になった。
「やあ、どうしたんだ。そんな血相を変えて」
呑気なデイヴィッドの声がした。レナードの声は怒りと迫力に満ちていた。
「どうしたもこうしたも! おまえは気づかないのか!? 恐ろしいドラゴンがすぐ側にいるんだぞ! さあ、すぐに逃げるぞ!」
レナードはデイヴィッドの腕をつかんで引っ張っていこうとした。デイヴィッドは面食らった顔でレナードを見ている。
「ドラゴン? ああ、すぐ近くにいる緑色のやつだね。あれは怖くないよ。大人しい、いいドラゴンだよ」
レナードの動きが止まった。彼はデイヴィッドをまじまじと見た。
「いいドラゴン、だって?」
「そうだよ。僕が触ってもじっとしていた」
僕はドラゴンのほうを見た。この騒ぎの間、ドラゴンは全く動いていない。まぶたは相変わらず半分閉じられていて、金色の瞳は確かに優しそうにも……見えなくもない。
「……いや、弱っているだけかもしれないし……。とりあえずこの場を離れよう。それにしても一体ここで何をしていたんだ?」
「これだよ」
デイヴィッドは手の中にあったものを見せた。それは古びた硬貨だった。人の横顔がついている。レナードはデイヴィッドに言った。
「これはローマ時代の硬貨だよ。君が以前、古代ローマの話をしてくれたじゃないか。君は夢中で、その時代にすごく興味があるようだった。だからこういうものも好きなんじゃないかって。君に見せたくなったんだ。喜ぶんじゃないかって、思って。さっき森の中で偶然一枚見つけたんだ。少し先にはもう一枚あって、次々拾っていくうちにここにたどり着いたんだよ」
レナードは一瞬声を失い、次に赤くなった。そしてただ一言、小さな声で「ばかだなあ」と言った。
僕がコインを見ていると、背後で音がした。振り向くと、ドラゴンが立ち上がっている。僕は恐怖に襲われた。逃げなければ、と思った。けれども足が動かない。僕らの誰も動けなかった。ドラゴンは手をのばして、その先には鋭い爪がついていて、その爪で八つ裂きにされる――と、僕は思った。
けれども実際には違った。ドラゴンは爪のある手で器用に僕らを持ち上げると、自分の背に乗せた。そして大きな羽をはばたかせて、ゆっくりと宙に浮きあがった。
僕らは何も言わなかった。言えなかったのだ。最初は恐ろしく、しかし次第に興奮が優り、それから喜びがやってきた。僕らはドラゴンの背に乗って飛んでいた。眼下に森が広がる。森の向こうには草原が、そして小川が流れ、なだらかな丘が広がっていた。
――――
それから起こったことは、永遠のように長いことでもあったし、同時に一瞬でもあった。僕らはドラゴンに乗って世界を巡ったのだ。そこでいろいろな体験をした。
白い雪の積もる森林地帯で、オオカミたちの群れを見た。平たい屋根の民家と丸屋根のモスクのある町で、寛大なカリフが困った人たちに金貨を与えるの見た。緑濃いジャングルでは、虎を従える王に出会った。草原には天幕が並び、ハーンと共に競馬を楽しんだ。僕も馬に乗って、風のように大地を駆けたのだった。また、皇帝の後宮で、美しい女官の手伝いをして、翡翠の指輪をもらった。階段状のピラミッドのある町では黒い瞳の少女がいて、彼女は僕らは太陽の伝説を語った……。
夕暮れの浜辺に、ドラゴンは降り立った。夕日が海に沈もうとしていて、辺りはオレンジ色だった。僕は疲れていて眠かった。他の二人もそうであるようだった。旅で出会った様々なことが僕の身体を駆け巡っていた。僕はドラゴンの背から降りて、砂の上に立った。砂は白く柔らかっだった。僕はそこに座り、目を閉じた。すごく眠かったのだ。とても目を開けていられなかった――。
次の瞬間、僕は祖父の家のベッドにいた。すごく長い夢を見ていた、と僕は思った。長く楽しい夢だった。しばらくはそのまま夢と現のあわいに漂っていたけれど、次第に現実が押し寄せてきた。僕はベッドから出た。僕はパジャマを着ていて、それは祖父の葬儀の夜に着ていたものと同じだった。
全ては夢だったのか、と僕は思った。幼い頃の祖父に会ったのも、それから異世界に行ったのも。きっと、そうだったのだろう。なんだか変な夢を見てしまったものだ。
他の家族も起きてきて、僕は父にある質問をした。気になっていることがあったのだ。葬儀の席で見た、背の高い老人は誰だったのだろう、と。父はすぐに答えてくれた。その人は祖父の少年時代の友人である、と。名前は――そう、確か、レナード・クライブだった、と。
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