異世界へ

 何と答えていいかわからず、黙っていると、茶色の髪の少年が優しい声でおずおずと言った。


「父さんの友人の息子さんとか?」


 さらに続けて、「君のお父さんが僕の家に来る用事があって、それで君も付いてきたとか」


 僕の家? 何を言ってるのだろうと思った。ここは僕の祖父の家であって、目の前にいる茶色の少年の家ではない。


 その時僕は、二人が妙に古臭い恰好をしていることに気付いた。二人も僕を興味深そうに見ている。僕はいつの間にか、パジャマではなく普段着になっていた。それでも、僕らの服装は微妙に違う。


 微妙に違うといえば、ホールもそうだった。壁の絵もある。けれども祖母の壺がない。他にも調度品がいくつか見たことがないものだった。ここはどこなんだろう。さっきまで、祖父の家のホールにいたと思っていたのに。いや、確かにそのホールである……例えば壁や柱や扉や階段は変わらないのに……。僕は混乱していた。


「僕はデイビッド・アリンガム」


 茶色の髪の少年は言った。僕ははっとした。その名前は祖父の名前だ。僕は少年をよく見た。その目は明るく優しい青色だった。


「俺はレナード・クライブ」


 つられるように、隣の黒髪の少年も名乗った。こちらの名前には聞き覚えはなかった。けれども今はそんなことはどうでもよかった。それよりも、茶色の髪の、ぽっちゃりとした少年の方だ。祖父と同じ名前を持つ、そして、いささか古臭い恰好をしたこの少年は……。


 彼は祖父だ、と僕は思った。子どもの頃の祖父なのだ。僕は時を越えて、祖父が子どもだったころにやってきたのだ。信じられないけれど、そうとしか考えられなかった。僕が言葉を失っていると、さらに奇妙なことが起きた。


 家の奥から、小さな人影が現れたのだ。それは小さなものだった。背丈が、僕の膝小僧辺りくらいまでしかない。緑の上着を着て、赤い帽子をかぶった、長い髭の男だった。僕らの前を走り抜けていく。


 その後からこれもまた、小さな馬車がやってきた。まるで水晶のように、透きとおり、きらきらと輝いている。それを白い小さな馬が引いている。馬車には屋根がなく、御者台には馬車と同じような、輝くドレスを着たほっそりとした女性が乗っていた。しなやかな鞭を手に持って、軽やかに馬車を操っている。


 二人はそのまま玄関ドアの方へ向かっていた。そして、ドアをすり抜けて外に出てしまったのだ。


 僕たちは何も言わずに行動を開始した。まるで、暑い午後の日、木の下でぼんやりしていたらチョッキを着て喋る白ウサギを見て、慌ててそれを追いかけていったアリスのように。僕らは彼らの後を追い、そして外に出た。




――――




 扉の向こうは森だった。こんなことは今までになかった。祖父の家のすぐ側まで、森が迫っているということは。というよりも、祖父の家は森の中にあるかのようだった。


「――これは……」


 隣でレナードが息を呑んでいる。しばらく僕らは黙っていたが、やがて、興奮したデイヴィッドの、僕の祖父の声が聞こえた。


「……僕らは異世界に来てしまったようだよ!」


 祖父の声は明るかった。目が輝いている。


「こういうことが本当にあったらいいな、って思ってたんだ。それが本当になるなんて――」


 感極まったようで、祖父は言葉を失った。


 時を越えたと思ったら、次は空間を越えたようだった。デイヴィッドの喜びは、僕にもわかった。僕も、現実ではない、どこか別の世界に憧れていたのだ。


 友達のいない僕にとっての慰めは本だった。特に、異世界を描いたファンタジーが好きだった。例えば、衣装ダンスを抜けて、フォーンや小人やものいうけもののいる世界にいって、そこで大冒険をして、王や女王になる話。僕は夢中になって読んで、そして、自分だけの異世界というのを思い描いた。


「僕らは地図を作ってたんだ」


 デイヴィッドは僕にそう言う。「異世界の地図だよ。僕とレナードが不思議の世界を考え出して、それを地図にしていって……」


「ばかばかしいよ」


 素っ気ない、レナードの声がした。「異世界なんて。子どもっぽい」


 僕はむっとしたが、レナードの顔を見て、彼が恥ずかしがっていることがわかった。そしてレナードは真面目な表情になってデイヴィッドに言った。


「そういうことは他の人に軽々しく話すようなことじゃない」

「いや、僕も普通はそんなに話題にしないよ。でも今は普通じゃない状況だから……」


 そう言って、デイヴィッドはきょろきょろ周りを見た。そして、大きな声を上げた。


「家がなくなってる!」


 確かにそうだった。今まで僕らがいた家は、どこにもなかった。煙のように消え失せていたのだ。僕らは幾分、青ざめた。


「……戻れないってことか」


 固い声でレナードが言った。僕らは黙った。レナードが再び口を開いた。


「とりあえずこの森がどのようなものなのか……。少し探検してみよう」


 状況はよくなかったが、「探検」という言葉が、僕を多少明るくさせた。異世界に行って、探検をすることを、僕は心の中で望んではいなかったか。レナードの提案に、僕とデイヴィッドは同意した。


 三人で歩き始める。森はそこまで木が多くなく、適度に明るかった。僕は木々を見上げた。僕が今まで見てきたものとそれほど変わりはない……と思える。梢で、何かが動くのを見て、僕はどきりとした。それは人のように見えたからだ。小さい人。ほっそりとして、水晶の馬車に乗っていた女性と似ている、妖精のような生き物。

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