異世界の地図

原ねずみ

祖父の言葉

 僕がその人と会ったのは三度だけだった。一度目は、祖父の葬儀で。三度目は僕が直接自宅に訪ねて行った。そして二度目は……。あの出来事を何と語っていいかわからない。また、どう解釈していいかも、まだよくわからない。




――――




 祖父が亡くなったのは僕が12歳の時だった。葬儀の為に祖父の家を訪れた。広い家はいつになく暗く、多くの人がうろうろしていた。僕は身の置き所がなく、悲しみよりもむしろ、戸惑っていた。そんな時、喪服姿の祖母が僕に言ったのだ。


「ヘンリー、あの人が最後にあなたに言い残したことがあるの」


 祖母の顔は真面目だった。僕は緊張した。


「亡くなる何日か前のことだけど、突然、普段と全く違う様子になったのよ。晴れ晴れとした顔で、なんだか昔のあの人が帰ってきたみたいだった。そして私に言ったの。ヘンリーに伝えてくれって。全てがわかった。これから少し後、そして6年後に、ホールで待ってる、って。一体どういうことなのかしら?」


 僕は面食らった。祖母に尋ねられても、何のことやら僕にもさっぱりわからない。近くにいた父が言った。


「特に意味はないんでしょう」


 祖父はここ何年か、病気によって、自分のことも家族のこともわからなくなっていた。時折、理解不能のことを言ったりもしていたので、父はそういう、何かたわごとだと思ったのだ。


 けれども祖母はそれに同意しなかった。


「いいえ。ここ最近のあの人とは全く違っていたのよ。まるで意識がはっきり戻ってきたかのようだった。生き生きとして子どもみたいに無邪気だった」


 僕は祖父を、元気だったころの祖父を思い浮かべた。よく太って丸っこい身体をしていた。ふわふわの白髪が頭を覆い、澄んだ明るい青の目をしていた。優しく、いつも穏やかな表情をしていたけれど、少し内気だった。僕も内気だ。内気な二人なので、一緒にいても、特に話が弾むということもなかった。けれども僕は祖父が好きだったし、祖父も僕のことを好きだったと思う。内気な者同士に通じる、密やかな優しさみたいなもので、僕たちは結ばれていた。


 話はそれきりで終わってしまった。葬儀の間中、僕はそのことがずっと心にひっかかっていた。そしてもう一つ、気になる事があった。


 参列者の中に、長身の、初めて見る顔の老人がいたのだ。痩せていて、真っすぐに伸びた木か何かを思わせた。顔つきはいかめしく、近寄りがたい雰囲気があった。その老人が、じっと僕を見ていたのだ。


 その表情は驚いていて、目が大きく開いていた。灰色の冷たい感じを受ける目だった。僕はどぎまぎした。見知らぬ人からこんな風に見つめられるのは初めてだった。固まっていると、その人はふっと目を逸らし、そしてどこかに行ってしまった。


 二つのことが起きた。そしてそれは奇妙に交差していくのだ。




――――




 僕は内気な性格だと書いたが、その為に、当時は非常に孤独でもあった。上手く友達が作れず、学校では一人ぼっちだった。家に帰ればいくらか伸び伸びとできた。妹のアニーには大きな顔をすることもできた。


 祖父の家にはいとこたちも来ており、僕の父方のいとこは女子ばかりだった。アニーはいとこたちの輪の中に入って、僕は取り残された。大人たちは忙しいし、僕は本当に、放っておかれた気持ちがしたのだ。


 祖父の家に一泊することになった。僕はベッドに入って、今日起きた二つの不思議な出来事を思い出していた。祖父が僕に残した言葉。葬儀で出会った謎の老人。僕は目を閉じた。なかなか眠れそうになかった。


 ホールで待ってる、と祖父は言ったのだ。どういうことなのだろう。僕は寝付けなかったこともあって、そっとベッドを抜け出した。部屋から出、パジャマ姿のまま、玄関ホールに降りていく。家の中は暗かったが、外からの光で、全くの闇というわけでもなかった。


 辺りは静かだ。湖としだれた木のある田舎の風景を描いた大きな絵が壁にかかり、祖母が大事にしている中国の白と青の壺が飾られている。何故だか吸い寄せられるように、僕は玄関の扉へと向かった。この向こうに、外がある。よく見慣れた、どこにでもある前庭の光景が広がっている。褐色のどっしりとした扉が、僕の前に立ちふさがっていた。


 ドアノブに手を伸ばし――開けようとして僕は止めた。こんな時間に外に出るというのも、おかしな話だし。けれども僕はどうしてか、落ち着かない気持ちになっていた。春の夜で、暖かく、甘い空気が周囲を取り巻いているようだった。何かがいつもと違うのだ。そんな、心をざわめかせる雰囲気が、ホールを満たしていた。


 もう一度、手を伸ばしかけた時、ふいに周囲は明るくなった。僕は驚き、けれどもさほど慌てはしなかった。妙に冷静で、僕はそっと扉から離れると、周りを見た。


 夜の闇はどこかに行ってしまっていた。昼の、おそらく午前中の、爽やかな光がホールに溢れていた。そして、声が聞こえてきたのだ。


 声は階段からしたのだった。見ると、少年が二人、僕と同い年くらいの男の子が二人、こちらへと降りてくる。二人は楽しそうに話していたが、どちらともなく、僕に気付いた。そしてどちらも驚いた顔をした。


 足早に二人がこちらに来る。ぽっちゃりとした、柔らかそうな茶色の髪の少年と、黒髪の、痩せて背の高い少年だ。後者の方が気が強そうだ。彼の方が先に僕の側にたどり着いた。


「お前は誰だ?」


 黒髪の少年は言った。ずいぶん不躾な言い方だった。僕は気圧された。茶色の髪の少年が少し不安そうに、こちらを見ている。

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