エピソード01
あれはもう何年も前の事だった。
彼女は突然僕の前に現れた。
警察官だった親父が連れてきた子。その子が彼女だった。
あの頃の僕はまだ彼女のその気持ちに気づく事が出来なかった。
今思えば彼女はとても純粋に僕だけを見つめていたんだ。
それなのに僕はその彼女のまなざしが嫌でたまらなかった。
ちょっと風変わりな子。
ずっと和服を着こなしていた子。
時代遅れの感覚の持ち主。
それが当たり前だと信じていた子。
彼女の名は燈子という。
ただ燈子としか言わなかった。
まだ幼かった僕の姉のような存在の子。
長い髪に、時折見せる悲しげな瞳が僕を苦しめた子。
彼女は何も言わず僕の前からある日突然姿を消した。
置き手紙一つ残さず。
何も痕跡を残さず。
彼女だけが消えた。
あれから何年の月日が流れたんだろう。僕の記憶の中に彼女の姿がうっすらと現れては消えていく日々をずっと送っていた。
「ねぇ飲んでる?
ベランダで夜風にあたりながら遠くに見える街明かりをただぼんやりと眺めていた僕にそっと横に来て
幼稚園から、小学中学。そして高校と大学までも一緒。
夏の夜風は彼女の髪をたなびかせた。
少し桜色にほほを染めた真の顔を横目で見ながら。
「あんまり飲むなよ。帰れなくなっても俺は知らんからな」
「何よ!」
ぶぅ、とほほを膨らませ怒ったふりをする真。いつもの事だ。
そんなことを言いながら、彼女はベランダの手すり越しに僕の肩に身を寄せてきた。
遠くに光る輝く街明かりを真も見つめながら、一言僕に言う。
「また、思い出していたんでしょう。燈子さんのこと」
「そんなんじゃねぇよ」
「嘘だね。あんたが黙って一人になる時っていつも誰かの事を思い出している時だもの」
「お前に何がわかるんだ!」
「むきになるところを見るとやっぱりそうだったんだ。綺麗だったね燈子さん。優しかったね燈子さん。でも、もう今はいないんだよ」
「そんなことお前に言われなくても分かっている」
「なら、ちゃんと現実を見なよ。いい加減ちゃんと前に歩き出しなよ。康之君」
前に歩き出せか……。
僕の歩みは前ではなく、できることなら……後に戻りたい。
その想いが僕をいざなうかのように、街の
荻原という苗字を知っているのはこの僕だけだった。
彼女が、あの子が、僕にだけ教えてくれた彼女の苗字。
いろんなことを話をした。
いろんなことを教えてもらった。
苦しいことも、悲しいことも。
そして……楽しいことも。
だけどもう、彼女に会うことは出来ないのかもしれない。
多分もう出来ないだろう。
それは、時を隔てた幼き幼少の時代に知った僕の初恋だったのかもしれない。
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