第29話 王元姫《おうげんき》:晋を興した司馬炎の賢母

 王元姫おうげんき王粛おうしゅくの娘、王朗おうろうの孫娘です。


 王朗といえば『三国演義』において孔明と舌戦をし、いい負かされて憤死してしまう役でしたが、史実では才能のある儒学者でした。


 その孫娘である王元姫は、祖父の教育の賜物か、八歳のころから『論語』や『詩経』をそらんじることができました。

 また書物も一目で暗記してしまうほどの才女でした。


 そのため王朗は、

「わが家を興隆させるのはこの子のはずなのに、なぜ男に生まれなかったのか」

 と嘆いたといいます。


 王元姫が司馬懿しばいの次男・司馬昭しばしょうに嫁いだのは、成人になった十五歳のころです。

 そしてのちの晋の天子である司馬炎を生みました。


 王元姫は、才能があって重用されていた鍾会しょうかいを見て、

「義を忘れ、利を求める者です。大任をあたえてはいけません」

 とつねづね司馬昭に話していました。


 しかし司馬昭は聞かず、蜀討伐のため、鍾会に大軍をあたえます。


 鍾会は鄧艾とうがいとともに、みごと蜀を攻め落としたものの、そののち鄧艾を誣告して捕らえ、軍の全権を掌握します。

 しかも姜維きょういと手を組み、蜀で独立しようとまでもくろみました。これは味方の反乱によって失敗してしまいますが、王元姫の予感は当たったのです。


 司馬昭が亡くなったのち、司馬炎が晋王を継ぎました。

 そして司馬炎は魏の天子・曹奐そうかんから禅譲してもらい、みずから天子の位に就いたのです。


 晋を建国した司馬炎は、母・王元姫を皇太后としました。

 しかし王元姫は皇太后になってからもぜいたくはいっさいせず、いつもどおりに暮らしたといいます。


 やがて王元姫は重い病にかかります。

 臨終のとき、司馬炎に、

「あなたの弟(司馬攸しばゆう)はせっかちな子で、兄のあなたは慈愛がありません。

 もしわたしの病がよくならなかったら、わたしはあなたが弟と相容れなくなるだろうと恐れています。

 あとのことはあなたに任せますが、わたしのいったことを忘れてはなりませんよ」

 といって亡くなりました。享年五十二歳でした。


 亡くなったのち、王元姫は「文明皇后」と諡されました。

 栄華に流されず、最後まで家族を慈しんだ賢母といえるでしょう。

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