第21話 袁安《えんあん》:名門袁家の栄華を築いた袁紹の祖先
もはや三国志の時代からだいぶ前の人物ですが、袁紹がスネ夫のごとく、
「ぼくの一族は四代にわたって三公を輩出してきた名門なんだ」
と自慢する理由として紹介しておきます(本当に自慢してたかは知りませんが)。
人名を覚えるより、因果関係を知ったほうが三国志は楽しめると思いますので。
袁安が活躍していた時期は、後漢二代目の天子・明帝のころです。
仏教が伝来し、中国最古の寺ともいわれる洛陽の白馬寺が建立されたのも、このころだといわれています(白馬寺は、日本では北斗神拳発祥の地として知られているようですが)。
袁安は学問を好み、祖父について儒学を学んでいました。威厳のある人物だったといいます。
やがて官僚になり、公正無私な政治をおこなったことで名をあげました。
明帝の異母兄である楚王・
劉英反乱の余波は大きく、楚郡には連座して投獄させられた者たちが大勢いました。
楚郡にたどり着いた袁安はすぐこの件に着手し、罪が不明瞭な者たち、無実の者たちを調べあげます。
これによって四百人以上もの人たちが救われました。
この功績により袁安は都に呼ばれ、河南尹(河南の長官)になります。厳格で公正な政治を十年つづけ、皆が認める朝廷の名臣となりました。
明帝が崩御し、
三公とは、三つの最高官職です。
時代によって変わるのですが、このころは司徒(行政長)・
さて、袁安には
また袁安のもう一人の子である
さらに袁湯の子である
日本でいえば、三公は総理大臣のようなもので、四代で総理大臣を五人輩出したような感じでしょうか(雑な説明ですが、感覚的にはそんな感じかと)。
自慢したくなるのもわからないでもありません。
袁紹の父といわれる袁成も袁湯の子ですが、袁紹が生まれてまもなく亡くなったといいます。
(まとめ)
1、袁安(司空、司徒)
2、袁敞(司空)
3、袁湯(司空、司徒、太尉)
4、袁逢(司空)、袁隗(司徒)
5、袁紹、袁術
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます