第249話 人を人たらしめるもの

 プラトーの突進を教皇様の結界が弾く。

 体勢が崩れたところにミシャのセイレーンが響き動きを一瞬だけ止める。

 そこへユー様が氷の剣で斬りかかると、プラトーの体から血が吹き上がった。


 戦いはこちらの有利に進んでいる。


(ここは私とユー枢機卿、ミシャで受け持ちます。皆さんは力を温存して下さい)


 ふいに心に響く声があった。

 教皇様の念話である。


(相手は三大魔公の一人ですわよ? 強大な相手に、戦力の逐次投入は避けるべきではなくて?)


 クレア様が反論する。

 私もクレア様に賛成だ。


(なぜだか分かりませんが、プラトーは消耗しています。嫌な予感がするのです)


 確かにプラトーは戦いに精彩を欠いている。

 以前のような圧倒的なパワーを感じない。


(魔族たちに何か策があると?)

(そこまでは分かりませんが、ラテスや魔王との戦いに備えて、力を温存しておいた方がいいでしょう。周囲の警戒を怠らないで下さい)

(分かりましたわ)


 万全の状態で挑めなかったプラトーと違い、万全の状態でも歯が立たなかったラテスや魔王がまだ控えている。

 ここで戦力を温存できるならそれに越したことはない。


(でも、危険と判断したら手は出させて貰うよ?)

(ええ、その時はお願いします)


 マナリア様の言葉に一つ頷くと、教皇様はエリアヒールの詠唱を始めた。


「させるかぁ!」


 結界が消えたことに気づき、以前の強襲の際にこれで退却しなければならなくなったことを思い出したのか、プラトーが教皇様に狙いを定めて突進する。

 しかし――。


「させないよ」

「ええ」


 射線上にユー様が立ちはだかり、正面で氷の剣と化した魔法杖を構えた。

 そのすぐ後ろにミシャも控える。


「邪魔だぁ!」


 プラトーはその巨体を活かして二人を跳ね飛ばそうとする。

 ユー様とミシャ二人の体重を足しても、プラトーの半分にも満たないだろう。

 両者にはダンプカーと自転車ほどの差がある。


「氷刃よ!」

「震えよ!」


辺りの温度が急速に低下した。

 ユー様はロングソードほどの氷の剣を無数に生み出し、自身もプラトーに向かって斬りかかった。

 いくらなんでも無謀だ、と私は思ったのだが、


「ぐはっ!?」


 もんどり打って倒れたのはプラトーの方だった。

 見ると、氷の剣に足を縫い止められ、身動きが出来なくなっている。


「なるほど、ミシャのサポートだね」

「どういうことですの、お姉様?」

「よく見てごらん。ユーが放った剣たちが細かく振動している。あれで切れ味を増しているんだろう」


 なるほど。

 SFか何かでよく登場する高周波ブレードみたいなものか。


「終わりだ、プラトー!」


 ユー様がとどめを刺そうと剣を突き立てようとした。


「……舐めんじゃねぇ!」


 プラトーは両腕を地面に突くと、そのまま腕の力だけで前方に飛び込んだ。

 縫い止められていた両足がちぎれるのも構わずに。


「!?」


 不意を突かれたユー様がとっさに防御態勢を取る。


「甘ぇ!!」


 プラトーは空中で器用に体をひねると、遠心力を利用して棍棒を叩きつけた。


「ぐっ……!」

「きゃあ!?」


 ユー様とミシャは堪らず後方に跳ね飛ばされた。

 プラトーのヤツ、相変わらず馬鹿力だ。


「どうだ!」

「満ちよ」


 喜色を浮かべたプラトーに冷水を浴びせかけるように教皇様のエリアヒールが発動する。

 ユー様やミシャだけでなく、他の兵士たちの傷や疲労までもが回復した。


「はあっ……はあっ……、クソ……!」


 一方のプラトーは満身創痍だ。

 ただでさえ本調子ではないようだが、更に全身が既に傷だらけ。

 特に両足の傷は深く、これまでのように俊敏に動くことは出来ない様子だった。

 ここまで負傷しては最早勝負あったというしかないだろう。


「プラトー、降伏して下さい」

「……んだと?」

「勝敗は決しました。これ以上は無益です」

「……」


 教皇様がいつもの無表情で降伏勧告を行った。


「俺様に負けを認めろって言ってんのか」

「そうです。魔族とはいえ、命は惜しいでしょう」

「……惜しくなんかねぇ! 俺様たち魔族は滅びを求める者だ! 死は望みであっても、恐怖の対象じゃねぇ!」


 プラトーが凶悪な視線を教皇様に向けた。


「私はずっとあなた方魔族に聞きたかった。なぜ滅びを求めるのです。この世に生を受けたのは魔族とて同じはず。滅びを求めるその心理はどういうものなのですか?」


 教皇様は飽くまで冷静に問うた。

 その声には慈悲や憐憫すらこもっている。


「生なんてものは呪いだ。生まれてさえ来なきゃあ、苦しむこたぁねぇ。なんでそんな単純なことが分からねぇんだ」

「確かに生きていれば辛いこともありましょう。しかし、喜びもまた生きていればこそのもの」

「幸せがあることなんぞより、不幸がないことの方が大事だって俺様たちは言ってんだよ!」


 プラトーは地面を血で汚しながらも、教皇様たちに攻撃を続ける。

 棍棒を振り回し、地面を震わせ、鋭い爪を振りかぶる。

 しかし、その全てはあるいは教皇様の結界に阻まれ、あるいはユー様にいなされ、あるいはミシャの魔法の前に散らされていった。


「くそ……」

「滅びを求めているのにそれでも生きているのなら、あなたにも大切なものがあるのでしょう?」

「俺様が生きているのは、全てを無に還す使命を魔王様に与えられたからだ。そのために生まれ、そのために生き、そのために死ぬだけだ」


 双方の主張は平行線だ。

 苦しみのない虚無を求める魔族と、苦しみはあっても幸せを求める人間との、どうしようもない隔絶がそこにはあった。


「どうしても降伏しては下さいませんか」

「くどい」

「そうですか……」


 教皇様は悲しそうに一度目を伏せてから顔を上げると、ユー様とミシャに目配せした。

 ユー様とミシャの振動剣が、再びプラトーの体を地面に縫い止める。


「ぐうっ……! 何をするつもりだ……」

「あなたに祝福を。今度はきっと生を肯定できる存在へ生まれ変われますように」

「……!」


 教皇様、ユー様、ミシャの三人が、プラトーを囲むように三角形の位置に立った。

 それぞれの口から祝詞が流れ出す。

 プラトーの巨躯が目映い光に包まれていく。

 その体が端々から徐々に光に分解されて虚空に消えていくのが見えた。

 恐らく、精霊教の技なのだろう。

 長らく魔族と対立してきた精霊教には、他にも魔族を滅する技があるに違いない。


「汝プラトー、精霊神の慈悲を以て、汝を聖なる――」

「……へっ、お断りだ」


 唾棄するような声の後、鮮血が舞った。


「プラトー……あなたは……」

「俺様は魔族だ……祝福なんざされて堪るかよ……」


 プラトーは自らの胸を貫き、核を引きずり出していた。

 こふ、と赤黒い血がその口からこぼれる。


「さあ、行け。魔王様に最後の力を」


 プラトーがそう言うと、彼の核は帝城の中へと消えていった。


「魔王様……世界に……救いを……」


 それだけ言うと、プラトーはどさりとその場に倒れ伏した。

 核を失った大柄な魔族の体は、さらさらと崩れて跡形もなく消え去った。

 最後まで虚無を求め、魔王に恭順し続けた魔族の壮絶な最期だった。


「……憐れなことです。あなたは矛盾しています。そんなに誇らしそうに、悔しそうに逝くのであれば、きっと生きることに意味を見いだしていたのでしょう……?」


 その姿を教皇様は無表情に――いや、ほんの少し悲しそうな顔で見ていた。


「あなたがもし、人間側の武人だったなら……いえ、考えても詮無きことですね」

「教皇様……」

「レイ=テイラー、私は思うのです。一歩間違えば、私も彼らのようになっていたのかも知れない、と」

「!」


 それは思いも掛けない告白だった。


「知っての通り、私はあなたという存在を作り出すために生まれた失敗作のようなものです。他の精霊の迷子たちとは違い、私はその背景や理由をも知っています」

「……はい」

「あなたを恨んだこともありました。自己の存在理由を見失ったこともありました。ともすれば、私とて彼らのような虚無に取り憑かれていたかもしれないのです」

「……」


 私には掛ける言葉がなかった。

 教皇様がそんなことを考える羽目になったのは、私のせいだからだ。


 私が言葉を失っていると、暗く沈んだ空気を打ち払う明朗な声が響いた。


「それでも、教皇様はそうはならなかった。それが全てですわ」

「クレア=フランソワ……」


 クレア様だった。

 彼女は迷いなく言葉を続ける。


「どうして生まれてきてしまったんだろう、と己の生を問うてしまうことは、多かれ少なかれ誰もが通る道でしょう」

「あなたにもあるのですか?」

「ええ、まあ。でも、そこで踏みとどまれるかどうかが、人間を人間たらしめる分かれ道ではないか、とわたくしは思います」

「クレア様……」

「生を呪い、虚無を求める、そういう道を選ぶ者もいるでしょう。彼ら彼女らの気持ちも、全く分からないではありません」

「……」


 ですが、とクレア様は語調を強くした。


「生を否定するならば一人ですればよろしいのですわ。他人を巻き添えにしていい理由はどこにもありません。まして、生を肯定する者を強引に死に追いやるなど許されるはずもありませんわ」


 死ぬならどうぞお一人で、クレア様はそこに同情の余地はない、と断言する。


「教皇様、あなたは踏みとどまり、他人にもそれを強いなかった。あなたは魔族とは違いますわ」

「……そうですね。あなたの仰る通りです」


 そう言うと、教皇様は珍しく微笑みを浮かべていた。

 先ほどまでの憑き物がすっかり落ちたような、晴れ晴れとした微笑みだった。


「過去はどうあれ、今、私は自分を肯定し、生を肯定し、虚無を否定します。レイ=テイラーを恨むこともありません。私は私なのですね」

「そうですわ」

「ありがとう、クレア=フランソワ。やはりあなたは素晴らしい人だ」

「当たり前のことを申し上げたまでですのよ」


 教皇様に持ち上げられて、言葉の上はともかく、満更でもない様子のクレア様である。


「さあ、先へ進みますわよ。いよいよ帝城ですわ」

「ええ」


 一行は帝城に入城した。

 いよいよ魔王との決戦の時である。

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