第247話 進軍開始

 いよいよ城塞都市ズルックを出て、帝都に向かう日がやって来た。

 軍勢の主立った兵士たちは出立の準備を整えて、町中に軍列を成している。

 兵士の人数が多く、町の許容量一杯のため、見送りは最小限だ。


 そしてその兵士たちは今、姿勢を正して耳を澄ませている。


『兵士の皆さん。今日ここに、こうしてお集まり下さったことに感謝致します』


 柔らかだが凛とした声が耳朶を打つ。

 声の主はフィリーネだ。

 風魔法の使い手が大規模な念話のチャンネルを構築し、兵士たちの下へと声を届けているのだ。

 彼女が行おうとしているのは、魔王決戦への行軍開始の宣言である。


『ここにいらっしゃるのは、帝国の兵だけではありません。我らが友となったバウアーの兵たちにも、厚く御礼申し上げます』


 フィリーネは私たちを友と呼んだ。


『私たちは長年の間、相争って参りました。そのことに隔意を持つ者もいるでしょう。しがらみもあるでしょう。ですがそれは、この戦いの後に語り合おうではありませんか。今はこの人類の危機に供に立ち向かいましょう』


 譲歩の構文。

 実際、ナー帝国に対しては複雑な感情を持つ者は少なくないはずなのだ。

 帝国が王国に対して行ってきた侵略工作は、それほどのものだった。


『私は我が母、ドロテーア=ナーまでの代々の皇帝が行ってきた侵略政策について、真摯に反省と、誠実な賠償を行う用意があります。ですが、今ここで魔族に屈してしまえば、全てが無に帰してしまうのです。今はどうか、あなた方の力をお貸し下さい』


 ここまではバウアーの兵たちへの呼びかけが強い。

 フィリーネはそれだけ、この連合軍の結束が重要と考えているのだろう。


『勇敢なる帝国兵の皆さん。あなた方はもう、未来のともがらを手に掛ける必要はありません。あなた方がこれから相対すべきは、人類の共通の敵たる魔王軍です』


 続いて帝国兵への呼びかけ。


『かつて我が帝国は、周辺国に対し苛烈な侵略を行いました。それは魔王に抗すべく強大な統一国家を作ろうとせんがためでしたが、どのような大義名分であれ、他国を害し人命を損なったことは紛れもない事実です』


 ですが、とフィリーネは続ける。


『帝国兵の皆さん。その過去をあなた方が気に病む必要はありません。あなた方にそれを命じたのは国です。軍とは、兵士とは、命じられればそれに従わざるを得ないもの。あなた方に無理を強いた我々を、どうか許して下さい』


 フィリーネは帝国兵たちの負い目を少しでも取り除こうとしている。

 新たな政治指導者として、旧体制に責任を押しつけることも出来ただろうに、彼女はその責任を自分が引き受けると言っているのだ。


『そうは言っても、あなた方の中には割り切れないものもいるでしょう。兵の皆さんの中には、自らが犯した過ちに自責の念で押し潰されそうになっている人もいるでしょう』


 実際、帝都襲撃の際に私たちを逃して犠牲となったザシャ将軍などは、まさにそういう心理でいたようだった。

 別れ際、彼はこう言っていた。


『民の命を守るのが帝国軍人の務め。他国の人間を害するばかりだった私たちに、ようやく回ってきた命を守る仕事です。やり遂げさせて下さい』


 侵略を受けたバウアーの人間として、また革命の際に実際に帝国と相対した人間として、彼らの弁明ばかりを聞くつもりはないが、それでも彼らの全員が自らの行為に疑問を抱かなかったとは私も思っていない。

 出来れば、もっと早くにその疑問を行動に移して欲しかったとは思うが。


『もしもあなたが罪悪感に苛まれているのなら、どうかこの戦いを贖罪と思って下さい。人類を、友を、隣人を、友軍を、王国兵を守って戦って下さい。あなた方が友を守って傷つくたび、その罪も一つずつ購われるでしょう』


 フィリーネは巧みに心理誘導をしている。

 帝国兵が潜在的に抱いていた罪悪感すらも、この戦いの好材料とするつもりだ。


『我らが目指すは、魔王を名乗る人類の敵が不当に居座る帝都ルーム! 我らが祖国です!』


 フィリーネは語気を強めた。

 演説が佳境に入る。


『我が母ドロテーア=ナーは人類の明日を夢見て散りました。その仇、我らが民の敵、人類に仇なす者、魔王を討ちます! バウアーの友よ、ナーの兵よ、供に人類に平和をもたらしましょう!』


 兵士たちが応、とこたえる。


『人類は魔族に比べれば一人一人は脆弱です。ですが、私たちは手を取り合うことで無限の力を得ることが出来ます。その営みは今に限ったことではなく、太古の昔から続いてきました。私たちは先人たちとも手を取り合い、積み重ねてきた人類の歴史の重みをもって魔王を粉砕します』


 ここにいる兵士たちだけではなく、過去に生きていた者も、あなたたちのそばにいるのだ、とフィリーネは呼びかけている。


『時は来ました。敵は強大ですが、障壁を乗り越えて手を携え合った我々の力はそれを凌駕します』


 そこでフィリーネは一旦、言葉を切ると間を開けて言葉をためた。


『人類の明日はこの一戦にあり! 必ずや勝利し、家族と、友と、隣人との未来をつかみ取りましょう! 進軍、開始!』


 兵士たちが大きな声で応え、最前列から部隊が動き出した。

 いよいよ、決戦への行軍開始である。


「お疲れ様でしたわ、フィリーネ」

「演説、良かったですよ」

「ありがとうございます~」


 遅ればせながら、私たちがどこにいるかというと、先ほどまで格好良く声を張り上げていた、現ぽんこつステータスのフィリーネのそばである。

 今回の演説の原稿には、私たちも関わっているのだ。

 ドロテーアのそれとはまた違う、白い甲冑の魔道具を身につけたフィリーネは、外見だけなら姫騎士といった風情なのだが、演説を終えてヘロヘロになった今は、どちらかというと「くっころ」な感じに近い。


「緊張しました……。兵士たちの反応はどうでしたか、クレア?」

「皆、奮い立っているようでしたわ。元々彼らは有志の義勇兵ではなく、正規の訓練を受けたナー帝国の兵士とロッド様配下の兵士たちですから、練度も士気も高いようですし」

「全員が全員、最後まで戦えるかどうかは別としても、脱走兵が相次ぐようなことは当分起こらなさそうですよ」

「ほっ……、よかった……」


 胸をなで下ろすフィリーネは、さっきまでの凜々しい感じとは対照的に、何とか初めてのプレゼンを終えた新入社員のようだった。

 帝都を奪われた時にも、ちゃんと演説してたのにね。


「そんなに自信がなかったんですか?」

「それはそうですよ。ナーの兵士はともかく、バウアーの兵士たちは言わば不倶戴天の敵だった相手と一緒に戦うわけでしょう? 現状、帝都以外の被害は出てもいないのに」


 言われてみればその通りだ。

 お尻に火が付いているのは帝国であって、バウアーにそれくらいの被害が出るのは、もう少し先と考えるのが妥当かもしれない。


「そうでもないと思いますわよ? 例の魔王の宣告はバウアーの兵たちも聞いていましたわ。サッサル山を凍り付かせたあの力を見れば、彼らだって危機感を持つでしょう」

「ああ、それもそうですね」

「確かに、クレアの言う通りかも知れません」


 帝都から遠く離れたバウアーにすら、その力は届いたのだ。

 安全地帯など、どこにもありはしない。


「何にしても、出来るだけ短期に決着をつけたいですわね。長引けば、いらぬ確執や軋轢が表面化するかもしれませんし」

「そうですね。ですが、敵も今度こそ本気でしょうし、そう簡単に行くかどうか……」


 フィリーネは自信がなさそうに言う。

 そんなだから「くっころ」っぽいんですよ、フィリーネ。


「しゃんとしなさいな。あなたは総司令官でしょう?」

「クレアにお願いしたのに、断ったじゃないですか」

「クレア様はダメですよ。敵から一番ヘイトが高いんですから」

「ヘイト……?」

「ああ、すみません。敵から一番狙われやすいってことです」


 死なせるつもりは全くないが、それでも総司令官がやられたりさらわれたりしたら、軍全体が瓦解する。


「それに、戦力的にも、クレア様は遊軍として動いた方がいいんですよ」

「頭では分かってるんですけれどね……」


 フィリーネはぽんこつ状態からなかなか回復しない。


「お母様も、こんな風に悩んだことがあったのでしょうか……」


 ふと、独りごちるフィリーネ。


「ドロテーアは……あまりそういうのとは無縁なような気がしますわ」

「ですよねぇ……」


 やっぱり私才能ないんですよ、とますますフィリーネが弱気になっていく。


「別にドロテーアみたいになる必要はないでしょう? フィリーネはフィリーネらしく、皆をまとめて行けばいいんですよ」

「私にそんなことは……」

「出来ます。フィリーネにはカリスマはありませんが、違った意味での人望はありますから」

「ほ、ホントですか!? それはどんな!?」


 フィリーネは伏せていた顔をがばっと上げると、期待に目を輝かせた。


「守って上げたくなるような」

「それって頼りないってことですよねぇぇぇ!?」


 再び落ち込むフィリーネ。


「ちょっと、レイ。あなたフィリーネを元気づけようとする体で、いじって遊んでいるでしょう?」

「あ、分かります?」

「分かります、じゃないですわよ!」

「ふえーん」


 ちょっといじりすぎたかな。


「や、でも、真面目な話、今回みたいな場合はドロテーアよりもフィリーネの方が絶対に向いてますよ」

「……ぐす……、どうしてですか……?」

「だっていくら人類の危機で一致団結しないといけないって言われたって、自分たちの国を侵略しようとしていた張本人をさすがに司令官とは仰げないでしょう?」

「……あ」

「それは……そうですわね」


 この辺りは理屈ではない。

 いくら人類の明日のためだと言われても、はいそうですかとはいかないのだ。

 感情の話だから始末に負えない。


「幸いフィリーネはそういう部分では前科がありませんし、支えて上げたくなるような雰囲気もありますから、丁度いいんですよ」

「褒められてるんでしょうか、それは……」


 フィリーネはまだ釈然としていない様子だった。


「まあ、後は慣れじゃないですか? クレア様だって、最初からこんなに超然としてたわけじゃありませんし」

「そうなんですか?」

「ええ、出会ったばかりのクレア様は、私を虐めることにご執心で――」

「嘘つくんじゃありませんわよ! レイが虐められることに執着してたんですわ!」

「……お二人の関係って一体……」


 フィリーネ、ちょっと引いてる。


「とにかく、フィリーネは黙っていれば健気な姫騎士で通るんですから、普通にしていればいいんですよ、普通に。軍の指揮は、ロッド様やヒルダに任せておけばいいんです」

「な、なるほど……」


 ようやく立ち直ってきたフィリーネである。


「さ、わたくしたちも支度して出ますわよ。いよいよ決戦ですわ」

「二人の愛が試される時ですね、クレア様」

「いちゃつくなら他でやってくれませんか……」


 らしくもなく、フィリーネのフォローなんてしてしまったせいで狂った調子を、クレア様成分を補給して直す。

 フィリーネから抗議の声が聞こえてきた気がするが、それはまた別の話である。

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