第246話 背負うもの

「クレア様、そろそろ見回りの時間……何をご覧になっていらっしゃるんですか?」


 決戦準備の最終チェックを兼ねた見回りの当番がやって来たので部屋に迎えに行くと、クレア様は何やら長方形の薄っぺらいものを愛おしげに眺めていた。


「ああ、レイ。ええ、ちょっとね」

「それは……栞ですか?」

「ええ。ピピとロレッタに貰ったものよ。学院の花壇で一緒に育てた花を押し花にしてね」


 へー、ふーん?

 別に羨ましくなんかないけどね。


「じゃあ、出会ったばかりの頃、私の机に飾った花瓶のマーガレットも?」

「え、ええ」

「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか! クレア様が育てたお花なら押し花になんてせず、食べて血肉にしたのに!!」

「あの時は申し訳ありませ……は?」


 おっと、暴走してしまった。


「戦いが終わったら、お二人にも会いに行きたいですね」

「ええ、こんなことがあったのよ、ってお茶でも飲みながら話したいですわ」

「はい」

「そろそろ時間ですわね、行きましょう」


 ◆◇◆◇◆


 魔王との決戦のために出立する日を明日に控え、ここズルックでは最終確認と兵たちの別れの挨拶が行われていた。

 別れの挨拶と言っても、別に悲観的になっているわけではなく、ほとんどは叱咤と激励のためのそれだった。


「負けるなよ。必ず帝都を取り返してくれ」

「ああ、魔族のやつらに、きつい一発をくれてやるさ」

「無理しないでね。無事に帰って来てくれればそれでいいから」

「おとーさん、がんばってね」


 クレア様と私は連れだって歩きながら、ズルックの町を見て歩いている。

 メイとアレアは宿舎でメイド長たち護衛と一緒である。


「……兵たちを、必ずご家族の元に返して差し上げませんとね」

「ええ。クレア様も含めて」

「分かっていますわ。メイとアレアをもう一度孤児にはしたくありませんもの」


 二人ぼっちはいやだと泣かれた時のことを思い出しているのだろう。

 革命の時のように自分の命をいたずらに捧げることは、守るべきもの、帰るべき所の出来た今のクレア様にはない。


「こちらにいらっしゃいましたか、クレア先生、レイ先生」

「あら、トリッド先生」

「こんにちは」


 私たちを探していた様子なのは、トリッド先生だった。

 先生は戦装束ではなく平服である。

 彼は決戦部隊には参加しないからだ。


「バウアーから手紙が届いていました。生徒さんたちからですよ」

「ラナたちからですの?」


 トリッド先生は鞄から三通の手紙を取り出してクレア様に渡した。


「決戦の報を受けてから急いで書いたのでしょう。あの三人にしては宛名の字が乱れています」


 さすがトリッド先生。

 よく見てるなあ。


「では、私はこれで」

「ありがとうございましたわ、トリッド先生」

「ありがとうございます」


 トリッド先生は黙礼して去って行った。

 先生は決戦には参加しないが、やるべき仕事は多い。


「たくさんお世話になったのに、先生のことあんまり知らないままですね」

「帰ったら色々お話をうかがいましょう。もちろん、お礼も」


 それもこれも、生きて帰っての話だ。


「クレア様、手紙にはなんと?」

「ええと……」


 クレア様が封を剥がして手紙の中身を改める。

 最初の一通はラナからのものだった。


『レイセンセ、クレアセンセ、魔王との戦いのこと聞いたよ。大変な時に力になれなくてごめんね』


 書き出しは、彼女らしくない謝罪の言葉で始まっていた。


『心配だけど、私の大好きなレイセンセと、そのセンセが大好きなクレアセンセなら、きっと大丈夫だって信じてる』


 こういうところはいつものラナらしい。


『センセたちから学びたいこと、まだいっぱいある。だから、きっと無事に帰って来てね』


 簡潔な手紙はそう締めくくられていた。


「ラナなりに心配してくれてるみたいですね」

「そうみたいですわね。でも、レイはわたくしのものですわ」

「お。デレ期ですか?」

「そうですわよ」


 なんだなんだ。

 かわいいかよ。


 続いての手紙はヨエルからだった。

 短く一行で、


『無事を信じて待ちます。ご武運を』


 ラナ以上に簡潔で、いっそ素っ気ないとすら言える文面は、なるほどヨエルらしいと思えた。


「でもきっと、この一文を書くのにきっと一時間以上掛かってますわよね」

「ええ、私もそう思います」


 ヨエルにはそういう所がある。

 出力が少ない割に、その出力に至るまでの感情と思考が多いというか。


 最後はイヴの手紙である。

 彼女の手紙は一番長かった。


『レイ先生、クレア先生へ』


 手紙はそう始まっている。


『散々迷惑を掛けてしまった私が言えることじゃないですが、どうかお願いがあります。マナリア様を助けて上げて下さい』


 手紙は続く。


『マナリア様はとても強い方ですが、反面、思いも寄らない所でやらかす人です。あの人がうっかり死んでしまわないように、どうか二人で気を付けて上げて下さい』


 びっくりした。

 あの完璧超人のマナリア様も、親しく仕えていたイヴからするとそう見えるのか。


『特にレイ先生。先生はマナリア様の弱点になります。先生はマナリア様のことを見るのと同時に、自分の身もしっかり守って下さい』


 言葉もない。

 この手紙が四カ国会談前に届いていたら、どれだけ良かったかと思う。


『クレア先生。先生のことは心配していません。どうかマナリア様とレイ先生のことをよろしくお願いします』


 手紙はそう締めくくられていた。


「マナリア様も私も信用ないですね」

「心配されているんですわよ。それだけ二人が大切ということですわ」


 マナリア様はともかく、私はどうだろう。

 思い人のついでという気もするが、洗脳が解けた今のイヴはそれほど私を嫌っていないかも知れない。

 そうだといいな。


「わざわざ手紙を寄越してくれるなんて、わたくしたちはいい生徒に恵まれましたわね」

「全くです。帰ったらお礼を言わないとですね」


 うなずき合ってから、クレア様は手紙を大切に鞄の中にしまった。


 そうして立ち止まっていた私たちに、掛けられる声があった。


「あら、あんたたち。こんなとこをふらふらしてていいのかい?」

「あー、えーっと……」

「ごきげんよう、マルテさん。お久しぶりですわね」


 私が名前が思い出せなくて挨拶を返せないでいると、クレア様が助け船をだしてくれた。

 ふくよかな体型のエプロンをした中年の女性――マルテさんは、帝国国学館の学食のおばちゃんである。

 ラナとともに、料理対決の実況をしてくれた人でもある。


「わたくしたちは、最後の見回りですわ。マルテさんはどうしてズルックに?」

「あたしは決戦部隊の補給係さ。なにをするにも腹ごしらえは肝心だよ。そうだね、マルコ?」

「んだな」


 マルコと呼ばれたマルテさん似のふくよかな男性に、私は見覚えがなかった。


「あの……?」

「どちら様ですの?」


 今度はクレア様も分からなかったらしい。


「お前ぇさんら、そりゃあねぇだろう!? おいらだよ、おいら! 厨師長っつったら分かるかい?」

「えええ!?」

「……随分とその……ふくよかになられましたわね……?」


 以前、料理勝負をした時は、もっとシュッとした体型だったと思うのだが、今の厨師長はまるまるとしている。


「いや、だって考えてもみねぇ。大手を振って美味ぇもんが食えんだぜ? そりゃあ太るってもんだろうがよ?」

「開き直るんじゃないよ、この青二才が!」


 マルテさんの雷が落ちて、厨師長が首をすくめた。


「まあ、食事のことは心配しなくていいからね。あたしたちがしっかり支えてやるよ。あんたらはあんたらの役目を精一杯果たしな」

「ありがとうございますわ」

「よろしくお願いします」


 この二人が補給を担当してくれるなら、兵士たちの士気も上がるだろう。

 腹が減っては戦はできぬというのは、本当のことなのだ。


 二人と別れ、更に歩いていると、また見覚えのある顔に出会った。


「サンドリーヌさん!?」

「まぁ、教皇様!?」


 修道衣姿の彼女はサンドリーヌさん。

 教皇様と私が入れ替わっていた時に、私のお世話をしてくれていた、教皇様の側仕え兼毒味役の人である。

 私の首絞めプレイ第一号さんでもある。


「どなたですの?」

「えーっと……」


 思わず声を掛けてしまったが、彼女とは教皇様としてしか接したことがない。

 彼女と私は面識がないことになっていたのを忘れていた。


「……教皇様ではいらっしゃいませんね。するとあなたがレイ=テイラーさんですか?」

「レイのことをご存知ですの?」

「ええ。教皇様暗殺未遂事件の際に、その身を挺して教皇様を守って下さった方とうかがっています。その節は大変なご迷惑をおかけいたしました」


 そう言うと、サンドリーヌさんは深々と腰を折った。

 どうやら既に、当時の事情説明を受けているらしい。


「とんでもないです! 私こそ騙すような真似をして申し訳ありませんでした」


 私もつられて頭を下げる。


「二人ともその辺りで。過ぎたことじゃありませんのよ。それよりも、サンドリーヌさんはここで何を?」

「本当は教皇様のお世話をさせて頂きたかったのですが、私では足手まといになるということで、この町でお帰りを待たせて頂くことになりました」


 不本意なのだろう。

 サンドリーヌさんの眉がハの字になっている。


「私には戦う力がありません。お二人は決戦部隊に参加されるのでしょう? どうか教皇様のことをよろしくお願いいたします」


 そう言うと、サンドリーヌさんは涙を浮かべて私たちの手を握ってきた。

 私が動揺していると、


「ええ、お任せ下さいな。教皇様は必ずあなたの元へお戻りになりますわ。ですから、どうかあなたも心安らかにお待ちくださいな」


 クレア様が私には滅多に見せてくれないような慈愛に満ちた笑顔を返した。

 感じ入るサンドリーヌさんの元を辞去し、さらにズルックの町を歩いて行く。


「おい、そこのお前たち!」


 女性の鋭い声で呼び止められたので振り向くと、そこには兵士の姿をした女性の姿があった。


「げ」

「こら、失礼ですわよ、レイ。ごきげんよう、アデリナさん」

「ふん。相変わらず澄ましているな、クレア=フランソワ」


 アデリナさんはオットーの姉で、帝国軍の若手兵士を集めてクーデターを画策していた人だ。

 クーデターは未遂に終わったが、私たちとの仲は決して良好とは言えない。


「アデリナさんも決戦部隊に加わるんですか?」

「嫌みか貴様! 私たちのようなぺーぺーが栄えある決戦部隊に参加させて貰えるわけがないだろう!」


 知らんがな。


「じゃあ、どうしてあなたはこの町に?」

「これだから素人は。いいか? 部隊運用というのは最前線だけで行われるわけじゃない、長く伸びた戦列は補給線を維持しながら防衛個所もどんどん――」


 アデリナさんはそのまま十分ほど軍事的な蘊蓄を延々と語ってくれた。


「――というわけだ。分かるか?」

「全然」

「お前、私をバカにしているのか!」


 してないけど、話が長くて難しいんだもん。


「なるほど。つまりアデリナさんは、この決戦部隊を維持する非常に重要な役割を後方で担って下さるのですわね?」

「ふん、クレアの方はまあまあ分かっているようだな。生意気だがその通りだ。魔族との決戦を貴様らなんぞに任せなければならないのは業腹だが、フィリーネ陛下のご判断だ。陛下のご期待に背かぬよう励むんだぞ!」


 アデリナさんは言いたいことだけ言うと、その場を去ろうとしたが、ふと足を止めて、


「……オットーが心配していた。生きて帰れよ」


 ぼそりとそれだけ呟くと、今度こそ足早に去って行った。


「なんですか、あれ」

「わたくし知ってますわ。ああいうのをツンデレって言うんですのよ」


 ついにクレア様がツンデレの概念を会得してしまった。

 ツンデレにツンデレが加わったら、よりツンデレなのでは?

 ……我ながらよく分からないことを考えた。


 その後も色んな人から声をかけられ、叱咤や激励の言葉を貰った。


「私たち、色んな人の思いを背負って戦うことになるんですね」

「……そうですわね」


 魔王との戦いは、もう一人の私の暴挙を止めるというだけではなかった。

 この世界に生きる人たちの日常を取り戻すための戦いでもあるのだ。


「負けられませんね」

「ええ」


 見回りもひとまずこれくらいでいいだろう。

 クレア様がふいに差し出して来た手をしっかりと握り返し、私たちは宿舎への帰路に着いた。

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