第238話 全ての始まり(8)

 ※大橋零視点のお話です。


 私はクレアの病室を出ると、研究室の最下階にやってきた。

 ここにはタイムのメインフレームがある。

 ID認証をもどかしく済ませると、タイムのインターフェイスに向かって叫んだ。


「タイム、永劫回帰ループシステムを起動して!」


 クレアを救うには、もう強引にでもループシステムに乗せてしまうしかない。

 魂の量子化に伴う作業時間を考えると、もう時間がない。


「声紋認証、虹彩認証ともにクリア。管理者、大橋零と認めます。警告。起動に当たっては合衆国政府と国連事務総長の承認が強く推奨されます」

「時間がないの! いいから早く!」


 悠長に上の認可など待っていたら、クレアが死んでしまう。


 クレアが未知の病魔に冒される可能性がある、と最初に知ったのは偶然だった。

 その頃私はクレアとともに人類存続システムの開発の初期段階にあり、一時的にタイムの権限を預かっていた。


 クレアは全く気付いていなかっただろうけど、すでにその頃には私はクレアに恋をしていた。

 一目惚れだったと言ってもいい。

 彼女は私の好みにドストライクで、研究室で彼女の無防備な姿を見る度に、鼓動が跳ね上がった。


 クレアの健康データを盗み見したのは、ほんの出来心だった。

 でも、健康診断のそのカルテに書かれた一文に、私は嫌な予感を覚えた。

 私はタイムに命じて定期的にそれについての報告をさせるようにし、そして私の予感は果たして当たってしまった。


 日に日に数値が悪くなって行く。

 それは病原体への感染確率を示したもので、特定の病気の進行とはまた別のものだった。

 タイムに問い合わせたが、タイム自身にも分からないとのこと。

 とにかく、クレアは未知の病魔に罹る確率が日に日に上がって行くという、おかしな状態にあった。


 その病魔が致命的なものでなければいい。

 幸い、二十一世紀末期の医療は優秀で、以前は不治の病と言われていたものでも、大抵は治る。

 でも、その程度の病であれば、タイムに正体が見抜けないはずがない。


 私は考えた。

 どうすればこの愛しい人を失わずに済むのか。

 私はこの恋を永遠にしたかった。


 そうして生まれたのが、永劫回帰ループシステムだった。


「確認。本システムは起動後、停止させることが出来ません。本当に起動させますか?」

「ええ!」

「起動シークエンスに入ります。管理者は所定の手順で起動キーを差し込んで下さい」


 私は首に掛けていた起動キーを外すと、それをタイムのコンソールに差し込んだ。


「最終確認――後悔しませんか、大橋零?」

「クレアがいなくなること以上の後悔なんてない!」

「かしこまりました。システム起動まで六十秒――」


 私がキーを回すと、タイムの機体が鳴動を開始した。

 直後にスマホに着信があった。


「零、どういうことだ! ループシステムの起動はまだ合衆国の承認が――」


 所長だった。

 恐らく、システム起動の通知を見て、慌てて連絡してきたのだろう。

 私は何も答えずに通話を切った。

 そのままスマホの電源を落とす。


「これで……これでクレアは助かる。クレアも一緒にループ出来る」


 私は安堵のあまりその場に崩れ落ちた。

 意識がぼうっとしてくる。

 魂の量子化が始まるのだ。


「クレア……ずっと一緒だからね」


 ◆◇◆◇◆


 次に意識が回復すると、私は知らない場所にいた。

 辺りは一面の星空……あるいは宇宙のような光景が広がっている。

 その中心に、私はぽつんと一人で立っていた。


「ここは……?」

「管理者の部屋です、零」


 応える声とともに、私の目の前が淡く光ると、光の中から妖精のような子が現れた。

 銀色の髪に赤い瞳――その姿には見覚えがあった。


「タイム……」

「おめでとうございます、零。永劫回帰ループシステムは無事に起動しました。現在、人類は休眠期に移行しています」

「クレアは!? クレアは間に合ったの!?」


 私は何よりも確かめなければいけないことをタイムに聞いた。


「ご安心下さい。クレアの魂も無事にシステムに組み込まれています」

「良かった……」


 私は、間に合ったのだ。

 これでクレアも永遠を生きられる。


「零、ホッとしているところ申し訳ありませんが、管理者としての仕事も忘れないで下さい。最初の一周はやるべきことも多いですよ」

「任せて。抜かりなくやるから」


 これからクレアが何億年と過ごす世界の枠組みを作るのだ。

 完璧にやり遂げなければいけない。


「では、零。まずは魔法文明の構築へ向けて、各種ナノマシンの設定と頒布を制御して下さい」

「うん」


 頑張らなきゃ。

 クレアのために。


 それからしばらくは仕事に没頭した。

 タイムが言うとおり、やるべきことがたくさんあったからだ。

 地球環境の作り替えを始めとして、必要な工程は数万にも及ぶ。

 私はそれらをタイムの力を借りながら、着実に一つ一つこなしていった。


「零。やはり管理作業を個人に集中させるのは無理があったのではありませんか? クレアも言っていたように、管理者を集団にすればもっと効率的に――」

「その件はさんざん話し合ったでしょ、タイム。管理者はループシステムから独立した存在になっちゃうんだから、人数は最小限にするべきって結論を出したはず」

「しかし……」

「私なら大丈夫。幸い、あなたもいてくれることだし」


 もしこれが完全に一人であったなら、私はきっと孤独に耐えきれずに心を病んでいたかもしれない。

 でも、タイムが話し相手になってくれたり、彼女が昔のクレアたちの記録を見せてくれたりして、私を慰めてくれるので今のところは平気だ。


「辛いのはこれからですよ。私一人であなたをフォロー出来るかどうか……」

「それなら一刻も早く必要な作業を終えて、私も休眠状態に入るよ。私の心が変調をきたす前にね」

「……それが最善かも知れません」


 これから続く何億年というループの間に、私はタイムに精神的なケアを受けることになっている。

 具体的には、管理に必要な記憶とクレアに関する記憶以外を、徐々に調整・統合・削除していくつもりだ。

 これがなければ私は精神を病んでしまうだろう。


 幸いなことに、私はおかしくなる前に全ての作業を終えることが出来た。

 体感では時間にして数年。

 ここは時間の流れが曖昧なので確かなことは分からなかったが、地球の時間は数十年が経過しているようだった。


 私はコールドスリープの装置に寝そべって、就寝前の最後の会話をタイムと交わしていた。


「じゃあ、タイム。魔法文明の準備が整ったら起こしてくれる?」

「分かりました、零。作業、お疲れ様でした。魔法文明の始まりの時に、再びお目に掛かりましょう。おやすみなさい」

「おやすみ、タイム」


 そうして、私は長い眠りに就いた。


 ◆◇◆◇◆


「――い……」

「ん……」


 深く沈んでいた意識に呼びかける声があった。


「零、起きて下さい」

「う……ん……?」


 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。

 私はタイムの呼びかけで、また星空の中で目を覚ました。


「タイム……?」

「おはようございます、零。そろそろ魔法文明をスタートさせます。最終チェックをお願いします」

「……分かった」


 コールドスリープは普通の睡眠とは違うはずなのだが、私はやたら眠たかった。

 顔を洗う設備もないので、とりあえず意識が覚醒するまで待つ。


「眠気覚ましに、魔法文明世界を眺めてみますか?」

「お願い」


 暗闇の中にホロディスプレイが浮かび上がった。

 私はそこに映し出された世界の新しい姿に――目を奪われた。


「凄い……」


 Revolutionの世界観を参考に作り上げた新しい世界は、見事に自然が回復していた。

 平均気温や降水量などの各種気候パラメーターも安定している。


「まだ人類は繁栄を始めていません。世界の主役は動物と植物、そして魔物です。これから初期人類の文明を始め、魔法文明へと誘導していきます」

「いよいよ、始まるんだね」


 ループの後ろ半分だ。


「最終チェックを始めます。零、監査を」

「うん。始めて」


 結論から言うと、世界は見事に再生を果たしていた。

 科学文明を終わらせようとしていた環境破壊は、タイムの制御下にあったナノマシンや各種自律ロボットたちのお陰で、見事に再生していた。

 これなら人類が再び文明を始めるのに問題ない。


「では、零。人類の魂の解凍を始めます」

「受け皿になる肉体はもう?」

「ええ、用意してあります。科学文明のそれよりも、魔法に対する適性を上げてあります」

「OK。なら、解凍を始めて」

「かしこまりました」


 そうして、魔法文明へと至る、第二の文明が始まった。

 初期の段階では科学文明のそれと同じように、原始的な生活を営む文明だったが、タイムの調整により徐々に文明を発展させて行く。

 中世ヨーロッパほどの文明に達した時点で、魔法石――タイムの小端末――を発見すると、人類は魔法文明を華開かせた。


「順調ですね、零」

「うん、怖いくらいだよ。クレアの魂が解凍されるのは、どのタイミング?」

「魔法文明の黎明期から少し経った頃を予定していますから、もうすぐですよ。そのタイミングであなたも転生して頂きます」

「分かった」


 いよいよ、クレアと再会出来る。

 長かった。

 本当に長かった。


「そろそろです。零、ご武運を」

「戦いに行くわけじゃないんだから」

「恋は戦争なのでしょう?」

「また変なこと覚えて。でも、行ってきます」


 そうして、私は管理者の部屋から地球に降り立った。


 ◆◇◆◇◆


「平民風情がわたくしと机を並べようなんて、身の程を知りなさい!」


 私の意識が回復すると、目の前に特徴的な髪型をした女性が立っていた。

 私の知る彼女よりも幼い。

 でも、彼女は紛れもなく――。


「ちょっ!? な、何をするんですの!? はな……離しなさい!」


 私は思わず抱きついていた。

 また、会うことが出来た。


「クレア」

「平民ごときがわたくしを呼び捨てにするんじゃありませんわよ!」

「そうですね! じゃあ、クレア様!」

「いいから離しなさい!」


 そうして、私はクレアとともに魔法文明での第二の人生を始めた。

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