第239話 全ての始まり(9)

 ※大橋零視点のお話です。


「レイ……そろそろ逝きますわ」


 お互いしわくちゃのおばあちゃんになっても、彼女への愛しさは微塵も変わらない。

 私は別れを告げようとするクレアの手を握りしめながら答えた。


「また会えますよ、クレア」

「ええ……天国で……待っている……わ」


 そう言い残して、クレアは息を引き取った。

 部屋の中には私と彼女だけ。

 結婚も認められない関係だったけど、私たちはこれでよかった。


 魔法文明での生活は充実したものだった。

 革命で散るはずだった彼女を連れて逃げ、私たちは恋仲になり二人で人生を歩んできた。

 家族とも離ればなれになってしまったが、友人には恵まれたために寂しくはなかった。

 何より、私たちは深く愛し合っていた。

 何の文句もない、幸せな人生だったと言い切れる。


 クレアの魂は、再び量子化されてタイムの中に記録されている。

 記憶は失ってしまうが、科学文明が再び始まれば、クレア=フランソワとしてまた生きることになるだろう。


「タイム」

「なんですか?」


 クレアが病に倒れてから、できる限りの時間を一緒に過ごすために雇った家政婦が、平坦な声で答えた。

 タイムは歴史の調整役として、どこにでも顔を出す。


「私もここでこの周の人生を終えるよ」

「よろしいのですか? 演算ではまだあと数年は生きられるはずですが」

「いいの。クレアのいない人生なんて意味がない」

「かしこまりました。量子化を始めます」


 私は眠ってしまったクレアと同じ布団に入ると、その身体を抱きしめながら目を閉じた。

 彼女の身体はまだ温かかった。


「楽しかったね、クレア」


 また次の周でね。


 ◆◇◆◇◆


「おかえりなさい、零」

「ただいま、タイム」


 管理者の部屋に戻ってくると、私はまた管理者としての仕事に取りかかった。

 魔法文明の終焉を見届け、人類を再び休眠状態へ移行させ、科学文明の始まりを待った。


「タイム、管理者権限で歴史に介入を宣言する」

「警告。介入の度合いによっては、歴史に深刻な歪みが発生します」

「そこは上手くやるから」


 私は新しい歴史の調整を始めた。


「零、どのような介入を行うのですか?」

「クレアと私の人生を変える。具体的には、生まれる時代と死因を」


 私はクレアと私が生まれる時期を二十一世紀後半から二十一世紀前半に変更した。

 クレアの死因については謎が多かったが、タイムもループの間に自己改修を繰り返し性能が向上している。

 タイムはクレアの死因となる病原体は二十一世紀前半の世界には存在しないことを突き止めていた。


「その変更を行った場合、二人が出会うのは三十代中盤以降となりますが」

「それくらいは構わないよ。出会ってから、出来るだけ長生きするから」


 私は科学文明世界でのクレアとの新しい生活を夢見ながら、またコールドスリープについた。

 次に目覚めたのは数千年後だった。


「タイム……今の地球の歴史は?」

「もうすぐ一九九〇年になります。日本の暦で言うと、昭和が終わって平成が始まる頃ですね」

「じゃあ、そろそろだね」

「そのようです。今度は幼少期から転生しておくということでいいのですか?」


 魔法文明の時は、学院で初めてクレアに出会うところからだった。


「うん。二十一世紀前半の日本を体験してみたいから」

「かしこまりました。ご武運を」

「だから戦いに行くわけじゃないってば」


 タイムに見送られ、私は日本へと転生した。

 私は転生したのは、ごく普通の一般家庭だった。

 前世では資料の中でしか見たことのない、平成という時代の家庭。

 古式然とした昭和という時代から、私が生きた時代の価値観が定着した新時代への、過渡期と呼ばれた時代だった。


 両親はこの時代ではまだ比較的珍しい共働きで、私の下には弟がいた。

 私は弟という存在が新鮮で、甲斐甲斐しく世話を焼いた。

 両親が仕事で忙しかったため、家事はほとんど私がこなすようになった。

 お陰で前世よりも料理が上達した。


 学校生活にはあまり馴染めなかった。

 この時代にはいじめという行為がまだ犯罪とは見なされておらず、私はよく集団から孤立した。

 幸い、勉学には不自由しなかったし、スポーツもそこそこ出来たことから、表だったいじめの対象にはされなかったが、集団からは爪弾きにされていた。

 初めての友人が出来るのは、大学に入るのを待たねばならなかった。


 それでも、私は別に平気だった。

 私には、いずれ出会うべき人がいるからだ。


 大学を卒業して商社に入社した。

 前時代的な業務形態――いわゆる社畜には辟易したが、これもクレアに会うためと我慢を重ねた。

 そして数年後、クレアと私はある商談で再会した。


「初めまして。クレア=フランソワと申します。この度はよろしくお願いします」


 完璧な日本語を話す彼女は、やり手のキャリアウーマンとして生きていた。

 この時代のクレアはもちろん縦ロールなどしておらず、私のよく知る長いストレートのブロンドだった。

 白衣姿ではない彼女を見るのは新鮮だった。

 私たちは最初仕事上のみの付き合いだったが、やがて意気投合し、一年とたたずに交際を始めた。


 このクレアは最初、同性愛に難色を示したが、やはり彼女には両性愛の資質があったのだろう。

 すぐに私との関係に適応した。


「愛していますよ、クレア」

「ええ、わたくしもよ、零」


 前世のような過ちは繰り返すまいと、私はクレアに積極的に愛を囁いた。

 クレアもきちんとそれに応えてくれた。

 時折ケンカもしたものの、わたしたちの交際は順調だった。

 出会った時期こそ少しだけ遅くなったものの、彼女は謎の病魔に倒れることなく、長寿を全うした。


「わたくし……幸せでしたわ……」

「うん」

「ありがとう、零……わたくしの零……さようなら」

「少しのお別れだよ。また会えるから」


 私は彼女を看取った。

 彼女の最期はとても穏やかなものだった。

 クレアが逝くと、私はまた転生した。


 ◆◇◆◇◆


 そんなことを何度も繰り返した。

 当初のもくろみ通り、私はクレアと永遠の恋をすることに成功した。


 何度繰り返しても、完全に同じようにはならない。

 科学文明世界でも魔法文明世界でも、私たちの恋は毎回、少しずつ違う展開を見せた。

 それでも、二人が付き合い、最後まで添い遂げることだけは変わらなかった。

 私は毎回違うクレアとの恋を、新鮮な気持ちで楽しんだ。


 全てが上手く行っている、と思った。

 人類は永遠にその歴史を続けることができ、私は私で永遠にクレアと恋をすることが出来る。

 完璧に仕事をやり遂げた、と私は思った。


 歯車が狂いだしたのは、しばらくしてからだった。


「……悔しいですわ」

「何がですか?」


 それは何十周目かの科学文明での出来事。

 クレアと私はその人生で初めての口づけを交わした。

 その時のクレアの台詞が上述のものである。


「ずいぶん、慣れていらっしゃるのね。今まで散々、色んな女性を泣かせて来たんじゃありませんの?」


 クレアは冗談で言ったのだろうが、私には頭を殴られたような衝撃があった。

 この周では、これは私にとってもファーストキスのはずだった。

 なのに、何度も人生を重ねた私は、いつのまにかキスに手慣れてしまっていたのだった。

 私はあわてて誤魔化したが、クレアからは経験豊富な女と見られてしまった。


 その周もそれ以上の問題はなかったが、私は少しずつ違和感を感じ始めていた。

 始めこそクレアのことを恋愛に初々しい女性と見ることが出来ていたが、段々とそれが子どもっぽく見えるようになって行った。

 実際にはクレアが子どもっぽいわけではない。

 私が老成しすぎているのだ。


 クレアとの関係は周を重ねるごとにギクシャクして行った。

 私の中の彼女に対する思いが、徐々に新鮮さを失って行くことを自覚するようになった。

 どんなに胸をときめかす言葉も、どんなに甘い口づけも、どんなに淫らなセックスも、やがては新鮮さを失って行く。


 そして、百数十回目のループのこと。


「零、あなたにはわたくしが退屈なようですわ。無理して関係を続けても仕方ありません。別れましょう」


 ついに私はクレアと添い遂げることが出来なくなった。

 その事実に私は衝撃を受けるとともに、しかし、別れを受け入れるしかなかった。

 私の恋心は、徐々に摩耗していたのだ。


 私は、ループを繰り返しすぎた。

 いつからか、私は大橋零としてもレイ=テイラーとしても、クレアとともに生きることをやめて距離を置くようになった。


 それでも今はまだいい。

 私はまだクレアのことを愛しているから。

 嫌いになったとしても、最悪まだマシだ。


 でももし、彼女に対して何の感慨も湧かなくなったら……?

 私にとってそれは何より恐ろしい想像だった。


「クレアとの記憶を一部削除してはいかがですか、零?」


 見るに見かねたのか、タイムはそんな提案をして来た。

 考えてみれば、それはタイムの善意だったに違いないのだが、この頃の私にはもう、タイムの声はノイズにしか聞こえなくなっていて耳を貸さなかった。


 私はループそのものを終わらせることを考え始めた。

 簡単な決断ではない。

 何しろことは全人類に及ぶことだ。

 クレアも言っていた通り、何億人もの人生を終わらせるというのは、並大抵のことではない。

 私はここになって、クレアの危惧が当たっていたことを悟った。


 でも、私はまだクレアを愛している。

 彼女が無になってしまう世界など、私にとって何の意味もない。

 世界かクレアかなら、私はクレアを取る。


 私は、ループを終わらせることを決めた。


 ループを終わらせるに当たって、私には一つの問題があった。

 クレアという存在をこの手で終わらせることは、絶対に出来なかった。

 世界は終わらせたいのに、クレアを終わらせたくない。

 それは大変な自己矛盾だった。


 そこで私は、ある思いつきをした。


「自分で終わらせられないのなら、他の者に終わらせて貰おう」


 私は魔法文明に魔王という存在を作り出し、魔族の王として君臨することにした。


 元々魔物や魔族は、魔法文明を演出する舞台装置としてデザインされたものだった。

 同時に科学文明中期を支える化石燃料を再生産する装置でもある。

 私はそれを利用することにした。


 私は魔族たちに魂の量子化を無効化する権能を与えた。

 魔法文明が成立し、やがて生まれてくるクレアを魔族に殺させる――その時こそ、私は人類の歴史を終わらせようと決意した。


 おかしな事に、魔王として転生した魔法文明には、私ではない「レイ」がいた。

 しかも彼女は私そのもののように振る舞った。

 私は魔族にクレアを確実に殺させるその時のため、極力、歴史に干渉せずにただ観察を続けた。

 もう私には出来ない、クレアとの瑞々しい恋をする「レイ」。

 私はいつしか、彼女に強い殺意を覚えるようになった。


 とはいえ、私のすべきことは変わらない。

 クレアを殺させ、人類の歴史を終わらせる――それだけ。


 この選択が独りよがりなものであることは分かっている。

 何しろ人の歴史を終わらせるのだ。

 過去に起きたどんな犯罪よりも罪深い行為だろう。

 それでも私は、もう立ち止まることは出来なかった。


 今も薄れていくクレアへの思い。

 それが完全に無になってしまう前に、私は全てを終わらせる必要がある。


 我こそは魔王。

 人類の真なる敵対者だ。

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