第237話 全ての始まり(7)

 ※クレア=フランソワ()視点のお話です。


「ねぇ、タイム。わたくしはどうするべきかしら……」


 タイムと彼女のナノマシン関連の設定を調整しながら、わたくしは独り言のように呟きました。


 ループシステムは完成間近となり、いよいよ人類は最初の休眠期に入ろうとしていました。

 魂の量子化は一人一人をスキャンする必要はなく、世界中にばらまいたタイムの分体が自動で行うことになっています。

 タイムの分体は一見すると石のようなもので、自己修復機能や増殖機能、それに魔法を発動する機能などが組み込まれています。

 魔法文明では魔法石と呼ばれることになる予定のものです。

 大きいものは数メートルになりますが、小さいものはナノサイズで、それぞれが無線で繋がっています。


 魔法文明の世界デザインはレイが担当しました。

 彼女は以前、冗談で言っていたことを本当にやり遂げ、あの乙女ゲームの世界を参考に魔法文明の世界を作り上げたのです。

 シミュレーターで見た魔法世界は、まるで映画の中のような不思議さでした。


 科学文明でもそうなのですが、文明の成長段階によっては今の地球の人口を超えてしまうので、その分は人工的な魂を封入した人物を代替として配するようです。

 この人工的な魂はタイムの基礎設計に、実在の人物の量子データを混合して作ると聞きましたが、詳しいことは零にしか分かりません。


 こうして着々と計画発動へのカウントダウンが行われているのですが、わたくしはまだ、管理者についての返答を零に出来ないでいました。


「何を迷うことがあるんですか、クレア。好きな人と永遠に一緒にいられるなんて、むしろ望む所なんじゃないですか?」

「茶化さないで、タイム。問題はそんな単純なことじゃあありませんわ」


 人類の存亡をその身に背負う――その意味を考えれば考えるほど、わたくしは簡単に引き受けると言えなくなっていくのです。


「クレアは深刻に考えすぎなんですよ。もっと零さんみたいに欲望に忠実に生きればいいんです」

「零のどこが欲望に忠実ですのよ?」


 一緒に暮らしてみて分かったことですが、彼女は利他的な面の強い人間だと思います。

 研究以外に能がないわたくしに代わって、家事を一手に引き受けてくれていますし、お金の使い方も自分よりもわたくし優先。

 性生活ですら、わたくしを常に喜ばせようとしてくれます。

 おっと、これは余計なことでしたわね。


「あれ? 知らなかったんですか? このループシステムを零さんが作ったのはクレアのためなんですよ?」

「……え?」

「タイム、余計なことは言わなくていいです」


 タイムの言葉を遮ったのは零でした。


「なんで内緒にするんですか、零さん。素敵なことじゃないですか」

「ちっとも素敵じゃないです。自分でも引くくらい我欲MAXじゃないですか」

「そういうのを人間らしいっていうんでしょう?」

「あなた、ホントどんどん余計な知識が増えて行きますね……」

「お褒めにあずかり恐縮至極」

「褒めてないですよ」


 わたくしを置いてけぼりにして、何やら話し込む零とタイム。


「ねえ、零。この計画がわたくしのためって一体――」

「タイムの妄言です。忘れて下さい」

「でも……」

「忘れて下さい」

「……分かりましたわ」


 何か釈然としませんけれど。


「ところでクレア、今日は体調どうですか?」


 このところ、零は頻繁にわたくしの体調を気にしてきます。


「特には。わたくしだってまだ若いのですし、そうそう急に体調を崩したりしませんわよ?」

「そうですね。それならいいんです。でも、何か体に異変を感じたら、すぐに教えて下さい」


 零の表情は真剣そのものでした。

 それで、わたくしは何となくピンときたのです。


「ねぇ、零。あなた、何かわたくしに隠し事してませんこと?」

「いっぱいしてますけれど」

「そうでしょうね……じゃなくて。わたくしの体調に関して、何か心配事があるんですの?」

「いいえ?」


 なら、どうしてそんなにわたくしの健康を気に掛けるのか。

 わたくしは少し不安になったので、タイムに聞いてみることにしました。


「タイム、わたくしの健康状態に何かネガティブな兆候は?」

「お答えできません」

「……え?」


 どういうこと?


「タイム、どうして答えられないの?」

「回答が禁じられているからです」

「誰に?」

「それもお答え出来ません」


 タイムは答えられないと繰り返すばかり。

 ですが、それは答えているのと同じこと。


「レイ、あなたですわね?」

「……」

「タイムの管理権限は既にあなたに譲渡しました。わたくしがわたくしについての情報を得ることを禁止できるのは、あなたしかいませんわ」

「……」


 零は目をそらしたまま、黙して語ろうとしません。


「零、わたくしを見て」

「……」


 零がわたくしを見ました。


「どうして教えてくれな――」


 その時、視界がくらりと揺れました。


「クレア!?」


 レイの顔が歪んで見えます。

 どうしてしまったのでしょう、わたくしは。


「タイム、医療部へ連絡!」

「既に」

「ちょっと、タイム。もしかしてこれ――」

「はい、計算より早いですが……」

「そんな……!」


 ねぇ、レイ。

 何を言っているの?

 よく聞こえないわ。


「クレア……しっかりして……あなたがいなかったら、人類が生き延びたって意味がありません」


 ◆◇◆◇◆


 検査の結果は芳しくありませんでした。

 わたくしは既存のどの病気にも合致しない、新たな病原体に冒されている、との診断結果が出ました。


「大丈夫ですよ、クレア。合衆国を通じて国連に、ループシステム稼働の前倒しを打診しています。あなたも一緒に未来へ行けるんです」


 わたくしの手を握りながら、零が柔らかな声でそう言いました。


「ダメよ、零。システムの最終チェックが終わっていないでしょう? これから何億年と稼働するシステムのことですわよ? 万に一つの不備だって許されませんわ」


 彼女の手を握り返しながら、自分でも驚くほど弱い力しか込められないことに気付きました。


「最終チェックなんて建前上のものですよ。私にミスはありません。あなたも言ってくれたとおり、私は天才ですから」


 そう言って、零はおどけたように笑いました。

 いえ、多分笑っているのでしょう。

 もう、よく見えません。


「そうですわね。あなたは天才ですわ。だから……一人でもきっと大丈夫」


 一人にするのは心配だけれど、きっとあなたなら大丈夫。

 あなたは強い人だもの。


「イヤです……イヤだ……。私を一人にしないで、クレア。お願い……」


 零……ごめんなさい。

 でも、最後の瞬間があなたの腕の中で良かった。


「……そうだ。今ならまだ間に合う! タイム、どんな手を使ってもいい! クレアの命をあと一日延ばして!」

「私の機能は既にループシステム稼働の準備のため、優先対象が設定されており――」

「管理者は私だよ! 最上位権限者として命令する!」

「分かりました」


 ねぇ……ねぇ、レイ……どこ……?

 あなたの温もりを感じないわ。


 怖い……寂しい……。


「待ってて、クレア! 必ず助ける! あなたのいない人類なんて、救っても意味がないんだから――!」


 ◆◇◆◇◆


 暗がりに落ちていきます。

 それまで感じていた寒さも、やがて感じなくなって。

 聞こえていたはずの声も今は遠く。

 胸を打つ痛みも、少しずつ小さくなっていきます。


 何か……何か伝えなければいけないことがありました。

 それは、とてもとても大切なことだったのに。


 全ては闇に飲まれ、意識もやがてちりぢりになって行きます。


 ――愛していますわ、心から。


 それは誰に向けた言葉だったのか。

 今はもう、何も分からない。

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