第236話 全ての始まり(6)
※クレア=フランソワ(
「……管理者?」
「そうです、クレア」
いつものラボで仕事をしていると、零が話があるというので談話室にやって来ました。
ソファに腰を下ろして零が説明したのは、永劫回帰ループシステムについてでした。
「システムはほぼタイムが制御しますが、全自動というわけにはいかないんです。ある程度は人が管理をしないと」
「それで、管理者ですの?」
「ええ。システムについての習熟度を考えると、クレアかレーネか私ということになると思います」
そう言う割に、レーネはここにいません。
「レーネには既に断られました。自分にはとても務まらないから、と」
「そうでしたのね」
「彼女は自己評価が辛いですね。能力のある人なのに」
それについてはわたくしもそう思います。
彼女は優秀な研究者なのですが、どうも自分に自信が足りません。
自己主張は強い方なのに、根本的な所に揺らぎがあるように思います。
「それで、どうですかクレア。引き受けて頂けますか?」
「まずはその管理者とやらの仕事内容を教えてちょうだい。内容も分からずに引き受けることなど出来ませんわ」
「ごもっともです」
そういうと、零はホロコンピューターを起動しました。
ディスプレイを分離して、わたくしにも見られるようにしてくれています。
「管理者の仕事は大きく分けて三つあります。一つ目はループシステムの維持です」
タイムとともにループシステムを制御し、人類を少しでも長く存続させるよう努める仕事のようです。
その中には、システムが想定していなかった事態への例外処理や、物理面でのメンテナンス、文明段階の調整なども含まれています。
「二つ目はタイムの制御です。タイムは優秀な人工知能ですが、それでも時折判断ミスをすることはあります。管理者はそれをケアする必要があります」
万一、タイムが人類に不利益をもたらすような判断を行った場合、それを上位権限で制御することも、管理者の仕事に含まれるようでした。
「三つ目は――ループをいつまで続けるかの判断です」
「……え?」
零の言葉に、わたくしは戸惑いました。
「ループを止めるなんていう判断があり得ますの? だってそれはつまり……」
「ええ、人類史の終焉です」
零はわたくしの予想を肯定しました。
「ループシステムは人類を存続させるためにあるものですが、それを永遠に繰り返すべきかどうかについては、判断が必要だと私は考えています」
「待ってちょうだい。それは個人が判断するべきことではありませんわ。最低でもその時々の人類における政治指導者たちが総合的に判断するべきことでしょう。いえ、そもそも人類史を終わらせるなどという判断は、下されるはずがありませんわ」
わたくしの反論に、零は首を傾げました。
「そうでしょうか? これは飽くまで仮定の話になりますが、システムに回復不能なバグが発生して、人類が大変な苦痛や困難を抱えたままループを繰り返すことになったとしたらどうですか?」
「……う……」
零の指摘に対して、わたくしは今度はすぐに否定の言葉を返せませんでした。
彼女の仮定は、ちょうど終末期医療における緩和ケアや尊厳死の問題に似ています。
延命するだけなら可能なものの、その人生の中身が辛い痛みばかりだったり、身動き一つ取れないものになったりした場合、それでも命を長らえることが肯定されるべきなのか。
人はただ生きていればそれでいいわけではないのです。
「……それでも、その判断が個人に委ねられるべきとは、わたくしには思えませんわ」
「そうですね。そこについては同感です。管理者権限による判断にするのは危険ですね」
わたくしはほっと胸をなで下ろしました。
「仕事内容についてはこれくらいですが、どうですか、クレア?」
どうですか、というのは、わたくしに管理者になるつもりがあるかどうか、ということでしょう。
「二人で管理者をするわけにはいきませんの?」
「最高権限が複数存在するのは好ましくありませんね。指揮系統混乱のもとです」
「なら、零が管理者でわたくしが副管理者というのは?」
「……なるほど、その発想はありませんでした」
零が驚いたように言いました。
「二人なら、永遠の孤独にも耐えられるかも知れませんね」
「永遠の孤独?」
聞き慣れない単語をわたくしは聞きとがめました。
「はい。管理者はその性質上、ループから独立した意識を有することになります。他の人類はループの度に記憶を失いますが、管理者……と、副管理者はずっと同じ自我と記憶を保ち続けることになります」
それは……人の身で耐えられることなのでしょうか。
「一回のループは少なく見積もっても数万年というスパンですわよね? それを何度も繰り返すのを、ずっと管理し続けるんですの? 人間に耐えられることとは思えませんわ」
わたくしの懸念に、零はもっともな指摘です、と頷いてから、
「もちろん、私たち管理者にもケアが必要です。管理作業は緊急時を除いて文明の移行期に行い、それ以外の期間は私たちも一人の人間として文明の中で生活します」
つまり、ループの間中ずっと管理者状態でいるわけではない、ということのようです。
それなら、あるいは大丈夫なのでしょうか。
「どうですか、クレア。私と一緒に管理者を務めてくれますか?」
零はわたくしに向かって手を差し出しました。
わたくしはその手を――すぐには取ることが出来ませんでした。
「少し、考えさせて頂けるかしら。話が途方もなさ過ぎて、今この場で返事をするのは難しいですわ」
管理者――副管理者であっても――になることは、人類史の存続に責任を持つということです。
それはつまり、何億人という人間の人生の重みを背負うと言うことでもあります。
零の説明に寄れば、人類史は過去の歴史をなぞって進むよう、歴史の裏側から調整を行うと言うことでした。
そうする方が、ループを制御しやすいから、と。
つまり、これからのループの中には、過去に起きた悲惨な戦争や大量殺戮などの出来事も起きるということです。
わたくしはそれに目をつぶれるのでしょうか。
そこに納得出来たとしても、管理者はループシステム全体の責任者でもあります。
何かのミスで人類史が終わる、などということだってあり得るわけです。
その重責に、わたくしの精神が堪えられるでしょうか。
それを考えたとき、わたくしは正直、怖じ気づいてしまいました。
「そうですね。すぐには無理でしょうね。じゃあ、仮設定だけしておきますので、答えが出たら教えて下さい」
「零はどうしますの?」
「クレアが引き受けてくれるかどうかに関わらず、管理者をしますよ。他に誰もやりたがらないと思うので」
その言葉を聞いたとき、わたくしは猛烈な罪悪感に襲われました。
人類を存続させる方法を探るこの研究は、元々はわたくしに課せられたものでした。
零はわたくしがタイムに相談して連れてこられただけで、本来は何の責任もないのです。
まして、彼女は一度この仕事から身を引こうとしました。
彼女が今まだここにこうしているのは、わたくしが不純な動機で引き留めたからです。
あの時のわたくしの過ちが、零に大変な重責を背負わそうとしてるのです。
「零、やっぱりわたくしが管理者を――」
「いいえ、クレア。ダメです」
零はわたくしの言葉を遮って首を振りました。
まるで、わたくしの心を見透かしたように。
「半端な覚悟で管理者は務まりません。答えは急がなくていいので、どうかよく考えてから返答を下さい」
そう言うと、零はホロコンピューターをしまって、退室していきました。
わたくしはその背中を、力なく見送ることしか出来ませんでした。
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