第229話 魔王攻略

 帝都撤退戦の被害は想定よりかなり少なかった。

 人的被害はほぼ兵士のみ。

 それも殿を務めた一部の兵士たちだけで済んでいる。

 一般市民に被害がほとんどなかったのは、事態の深刻さを考えれば喜ぶべきことだろうと思う。


 それでも、失われた命があるという事実は途方もなく重い。

 ドロテーアを始めとする戦死者には、ナー帝国国民だけでなく周辺各国からも追悼の言葉が贈られた。

 彼らは単にナー帝国の国民を守ったというだけではなく、魔王と魔族という人類の脅威から人類を守ったのだ。

 私は殉職を美化することには大反対だが、それでも命を賭して職責を全うした人々への哀悼の意を表することにためらいはなかった。


「さて、今後のことについて話し合おうか」


 マナリア様がそう言って、会議の口火を切る。


 ここはバウアーとの国境付近にあるナー帝国の都市ズルックである。

 元々帝国がバウアーとの戦争を想定して作った城塞都市であり、今は対魔族戦の最前線である。

 私たちはこの都市の行政施設にある大会議室を借りて、今後の方針を話し合っていた。


 出席者のほとんどは撤退戦の参加者だ。

 クレア様と私はもちろん、スースからはマナリア様、アパラチアからはウィリアム陛下、バウアーからはセイン様とドル様そしてロッド様、ナーからはフィリーネとヒルダ、精霊教会からはユー様とミシャ、そしてリリィ様がそれぞれ出席している。

 バウアー周辺の主要国家や宗教団体の要人が勢揃いした大会議室は、ちょっと壮観である。


「魔族たちの動向はどうなっているかな?」

「それは私から説明させて下さい」


 マナリア様の問いに応えたのはヒルダだった。


「斥候からの報告によると、魔族は帝都を占領した後、一旦軍勢の足を止めているようです」

「帝都の被害は?」

「それが……不思議なことに、都市の建物や施設への損害はほとんどないようです。食糧は漁られているようですが、無闇に破壊活動に及ぶといったようなことは観察されていない、と報告にはあります」

「……不気味だな」


 セイン陛下が眉をひそめる。


「いやいやいや、都市が壊されていないのは喜ぶべきことさ。魔族から奪還した後の復興がやりやすい」

「ビル、今はまず魔族を撃退することを考えるべきだ。復興はその後の話だろう」


 ウィリアム陛下の気楽な言葉に、ドル様が苦言を呈す。


「魔族除けの結界はどうなっているのかな?」


 町が破壊されていないのなら、それも健在なのだろうか。


「いえ、それは流石に破壊されたようです。帝都の東西南北それぞれに設置された魔法石は、どれも壊されているようだと報告されています」

「なら、魔族も帝都に……?」


 ヒルダの説明を受けて、クレア様が疑問を口にした。


「はい。現在、魔王とプラトーは王城にその居を構えているようです」

「ラテスは?」

「不明です。後詰めとして魔族領に残っている可能性もありますが……」

「……楽観視は出来ませんわね」


 何しろもうドロテーアはいないのだ。

 私たちは彼女抜きで三大魔公の残り二人と魔王を相手にしなければならない。


「フィリーネ、帝都は戦場になる可能性が高いが、構わないかな?」

「……」


 マナリア様が問うが、フィリーネはぼんやりとした表情のまま返事をしない。


「……フィリーネ陛下」

「あっ……、ごめんなさい。何かしら」


 ヒルダに肩を揺らされて、ようやく我に返ったようだ。


「お母上を亡くされたばかりだものな……。心中、お察しする」


 ドル様が沈痛な面持ちでお悔やみを口にした。


「ありがとうございます。でも、落ち込んでばかりはいられません。今の私はナー帝国の皇帝です。こんなことで塞いでいては、お母様に笑われてしまいます」


 フィリーネは健気に笑って見せたが、どう見ても無理をしている。

 彼女にとって、それ程にドロテーアという存在は大きかったのだろう。


「帝都が戦場になるとのことですが、他に選択肢がない以上、受け入れるしかありません。むしろ、地の利を活かせることを喜ぶべきかと思います」


 フィリーネは気丈に言う。

 民をこよなく愛する彼女のことだ。

 彼らの生活の場を血で汚すことなど、本当は身を切られるように辛いに違いない。


「帝都攻略は別に考えるとして、問題は魔王だね」


 マナリア様が深い溜め息とともに言った。


「魔王の正体がレイちゃんだという報告だけど、ぼくには意味が分からない。どういうことだい?」


 ウィリアム陛下が私に説明を求めてきた。

 私にもよく分からないので、答えに窮していると、


「詳しい事情は分かりません。ですが、魔王の正体がレイであることは、まず間違いありませんわ」


 わたくしが保証します、とクレア様は言い切った。


「いやあでも、レイちゃんはそこにいるじゃないか。それとも何かい? レイちゃんは二人いるとでも言う気かい?」

「恐らく、そういうことだろうと思いますわ」

「……いやいやいや」


 ウィリアム様が苦笑する。

 ドル様も眉を寄せながらクレア様に、


「お前がそう言うのなら何かしら真理の一端を言い当てているのかも知れないが、同じ人間が二人いるというのはいささか無理が過ぎるだろう」

「確かに不可解です。ですが、魔王の正体は間違いなくレイです」


 わたくしには分かります、とクレア様は一歩も譲らない。


「……レイはどう感じた?」


 セイン陛下が私に水を向けてくる。

 どうって言われてもなあ。


「正直、分かりません。顔と声は似ていました。それこそ私そのものと言っていいほどに。ですが、マナリア様によると、纏っている魔力や使っている魔法の構成は、私とは違うようです。もしかすると、単に容姿を似せているだけの可能性も――」

「ありえません。あれはレイです」


 私が口にした可能性を、クレア様は頑なに否定する。


「困ったね。いや、正直、魔王の正体なんてどうでもいいんだ。倒してしまえさえすればね。けど、現状ではあの魔王を正面から打ち倒すのは困難を極める。ヤツを倒すためには情報が欲しい」


 魔王の正体は、そのとっかかりになるのではないか、とマナリア様は言った。


「誰か他に魔王についての情報を持ってる人はいないのかなぁ? 教会はどうなんだい?」


 ウィリアム様がユー様に問うた。


「教会でも魔王という存在は伝えられてなかったと思う。そうだよね、ミシャ?」

「はい。教会の古い文献に当たる機会があったのですが、魔族に関しては詳しい記述があるものの、魔王という存在に言及したものはなかったように思います」

「……魔族と長年対立してきた教会でも分からないのか」


 ミシャの言葉にセイン様が険しい顔をした。

 解決策が見えず、一同が押し黙ってしまった。


「説明しましょうか。理解出来る人がどれくらいいるか分かりませんが」


 その声は唐突に会議場に響いた。


「リリィ様?」


 声の主はリリィ様だった。


「そろそろ頃合いですね。ようやく魔王を表舞台に引きずり出すことが出来ました。今ならお話ししてもいいでしょう」


 リリィ様は無邪気とも言える口調で言う。


「教会は魔王を知らないはずじゃ――」

「いえ、レイ。今喋っているのはリリィじゃありませんわ」

「……あっ」


 そうか、今の彼女は恐らく。


「そうですわね、使徒?」


 クレア様に問われた使徒は、にっこりと笑ってその言葉を肯定した。

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