第207話 外交の冷たい論理
「クーデター、か……」
学館から帰宅した後、ドル様の部屋を訪れたクレア様と私は、早速、オットーから聞き出したことを伝えた。
バウアー寮にあるドル様の部屋は、私たちの部屋より少し狭い。
部屋はキッチン、リビングダイニング、そして寝室がそれぞれ一室ずつあるだけ。
家具も貴族時代とは打って変わって地味で実用性重視なものばかりである。
ドル様、クレア様、私の三人はお茶の入ったティーカップの並んだテーブルを囲んでいる。
ドル様は最初こそ驚きに目を見開いていたが、段々と難しい顔になっていった。
「このままではあたら若い命が散ってしまいます」
「何かいい知恵はありませんか、ドル様」
「お義父様とは呼んでくれんのかね、レイ?」
「妙なことにこだわりますね、お義父様」
「大事なことだよ」
言葉の上でこそふざけているが、私はドル様の目が全く笑っていないことに気がついていた。
こういう表情の時のドル様は、実は少し苦手だ。
大体、ろくなことを考えていない。
しかも、往々にして正しいから始末に負えない。
「メイとアレアは?」
「子ども部屋で遊んでますわ。ご心配なく。お父様が雇って下さった護衛が見張ってくれています」
「結構。孫のために惜しむ金などないからね」
例の誘拐騒ぎがあってすぐ、ドル様はメイとアレアに護衛をつけた。
女性の二人組なのだが、元々はドル様が貴族時代に雇っていた用心棒だそうで、その腕は折り紙付きだとか。
二人とも見た目はカッコイイやり手のキャリアウーマンにしか見えないのだが、白兵戦・魔法戦どちらをやらせても超一流らしい。
当然、それなりにお金がかかるわけだが、ドル様は政治復帰の給金を惜しげもなくそれに使っている。
ちなみに片方の女性は私も知っていた人物なのだが、今は詳述を避ける。
「実際、色々と面倒を見て下さって、とても助かってます」
それはそうなのだが、なぜ今このタイミングで二人の所在を気にするのだろう。
さっきから悪い予感しかしない。
「クレア、レイ」
「なんですの?」
「いいアイデアが思い浮かびましたか?」
ドル様のアドバイスを求めていた私たちは言葉を待ったが、その期待は――。
「彼女たち――オットーくんの姉たちのことは諦めなさい」
ものの見事に裏切られた。
「諦める……って、どういうことですの!」
「言葉の通りだ。彼女たちを救うことは諦めて、クーデターを起こさせてしまいなさい」
「そんな……!」
クレア様が信じられないといった目で実の父親を見た。
まるで他人を見るかのような視線で。
「見殺しにせよと仰るんですの!?」
「それは言い方が悪すぎる。彼女たちの意思を尊重するだけだ」
「同じ事ですわよ! 納得出来ませんわ! 理由を聞かせて下さいませ!」
クレア様は強い口調でドル様に詰め寄った。
気持ちは分かる。
分かるが、クレア様がドル様に相談しようと言ったその時から、私はなんとなくこうなる気はしていた。
「クーデターは帝国の内紛だ。私たちが関知する問題ではない。内政干渉という言葉は知っているだろう?」
「しかし!」
「それにこれは、バウアーにとっては好材料なのだよ、クレア」
髭を撫でつけるドル様の顔からは、表情が消えている。
ドル様は普段から穏やかな顔をしているが、これは違う。
彼の「仕事用」の表情だ。
私は背筋に冷たいものを感じた。
「好材料ですって!? 何人もの命が失われるんですのよ!?」
激昂したクレア様が、バンとテーブルを叩いて立ち上がった。
「落ち着いて下さい、クレア様」
「レイ、あなたまで! これが落ち着いてなど――!」
「クレア様、お気持ちは痛いほど分かります。ですが、まずはお義父様のお話を聞きましょう。話を持ちかけて知恵を請うたのは私たちの方です」
「……くっ――!」
クレア様は悔しそうに顔を歪めたが、結局、矛を収めて座ってくれた。
感情の振れ幅が激しいクレア様だが、礼儀や道理を持ち出されると弱い。
憮然とした表情で、ドル様を睨み付けている。
「好材料というのは、政治的・外交的な話ですね、ドル様?」
「その通り」
ドル様は頷くと、紅茶を一口すすった。
クレア様を落ち着かせるためなのか、十分に間を置いてから言葉を続けた。
「クーデターの規模が正確にどの程度のものか、ドロテーアにどれほどの影響を与えるかは分からないが、これは内乱に他ならない。帝国にとっては痛手であり、同時に私たちにとってはつけいる隙だ」
ドル様の言葉は恐ろしいほど淡々としている。
今のドル様は、かつてクレア様に貴族のロジックを説いていた時のそれに近い。
「しかもクーデターは首脳会談当日に決行されるのだろう? 海外の首脳が同席している場でそんなことが起こったなら、たとえ鎮圧出来ても責任問題は免れない。これは有力な外交カードだ」
ドル様はほんのり微笑すら浮かべている。
ドル様の主張は明快だ。
すなわち、自国の利益優先、綺麗事抜き、利用できるものは命であっても利用しろ。
「国の未来を憂う若者たちの命を、駆け引きの道具にせよと仰るんですの!?」
「その若者は我が国の人間ではない。逆に、ここで帝国を叩けなければ、我が国の若者の命が脅かされるのだよ?」
「そ……それは……。しかし……!」
クレア様はなおも食い下がろうとする。
クレア様とて分かってはいるのだろう。
自国の若者の命と他国の若者の命――天秤にかけなければならないなら、優先すべきはどちらなのか。
でも、だからと言って人の命が無為に失われることに黙っていられるクレア様ではない。
実の娘のそんな様子を見て、ドル様は「ふむ」と一息つくと、クレア様をひたと見つめてこう続けた。
「クレア、お前は少し傲慢が過ぎるようだ」
「わたくしが? 命をチェスのコマ程度にしか見ないお父様ではなくて?」
「お前はいつから全ての人間を救えるほど偉くなった?」
「そ……それは……」
クレア様は二の句を継げずにいる。
そんなつもりはなかっただろうが、痛いところを突かれたという自覚があるのだろう。
ドル様がさらに畳みかける。
「人は神ではない。一人の手で救える命には限りがある。理想を掲げるのはいい。だが、理想は理想だ。現実から逃げてはならない」
「……」
「それとも何かね? 革命の乙女などと持ち上げられて、その気になっているのかね?」
「――!」
明確に悪意を込めたドル様の罵倒に、クレア様は般若のような表情で手を振り上げた。
ドル様は微動だにせず、静かな視線をクレア様に向けている。
「はーい、ストップ」
「!?」
ドル様を殴ろうとしたクレア様を止めたその手は、私のものではない。
「ビル……」
「ウィリアム様!?」
「やあ、ドルにクレアちゃん、久しぶりだね」
場にそぐわない緊張感の欠如した口調でそう返事したのは、私の知らない壮年の男性だった。
突然現れたように見えたその男性に反応して、魔法杖を抜きかけた私を、男性のすぐ側に侍る女性が制した。
「レイちゃん、料理勝負以来だね」
「レーネ……。じゃあ、この人が?」
「うん」
アパラチア国民となったレーネが付き従っているということは――。
「キミがレイ=テイラーちゃんか。噂は色々聞いてるよ。意外と普通の子なんだね?」
「は、はあ……」
「おっと、自己紹介が遅れたね。まあ、大体もう予想は付いているとは思うけど、改めまして」
そう言うと、男性は優雅に手を胸に当てて、
「ぼくはウィリアム。こんなんだけど、一応、アパラチアの国王をさせて貰ってるよ。気軽にビルって呼んでくれたまえ」
のんびりとした口調でその男性――ウィリアム=アパラチアはそう名乗った。
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