第208話 最後の矜恃
「余計な口出しはやめてくれ、ビル」
ドル様は憮然とした声を出した。
対するウィリアム陛下はにこにこと如才なく笑っている。
天然パーマなのか、縮れた黒髪を指で弄びつつ、焦げ茶色の瞳をゆるゆるとドル様に向けている。
背の高さや肉付きはドル様に似ているのに、醸し出す雰囲気は対照的だった。
ドル様がお堅い政治家なら、ウィリアム陛下はどこかチャラい――私の印象ではナンパな詐欺師のような雰囲気がある。
「ドルは真面目だねぇ。器用なはずなのに、あんまりにも器用すぎるものだから一周回って不器用だよ」
「からかうな。今、私たちは真面目な話をしているんだ、ビル」
「そうだろうとも。ぼくも真面目にしているつもりなんだけど、どうしてか誰からも理解されない」
あっはっは、とウィリアム陛下は軽薄に笑った。
「ドル様とウィリアム陛下ってどういう関係?」
私はレーネに尋ねた。
「ドル様は学生時代にアパラチアに留学していたことがあるの。ウィリアム陛下とはそこで知り合ったらしいよ」
レーネの話によると、二人はすぐに意気投合したらしい。
どちらもずば抜けて優秀な学生だったそうで、対等に議論できる相手を欲していた二人は、お互いを得がたいライバルと認めたようだ。
以来、二十年近く、二人の縁は続いているらしい。
「ドル、自分が憎まれ役を買って出てるんだろう? クレアちゃんの理想主義を守るために」
からかうような口調のウィリアム陛下に対して、ドル様が余計なことを、と言いたげな視線を向けた。
「憎まれ役ってどういうことですの、ビル様?」
すっかり毒気を抜かれたようなクレア様が問う。
「ドルはキミを守りたいんだよ。その信念も、高い志もね。だから、今回のようにそれが通じない場面では、自分が汚れ役になろうとしてるのさ」
「! お父様……」
「……」
もの言いたげなクレア様の視線を受けて、ドル様が気まずそうに目をそらした。
どうやら図星のようである。
ドル様にとって一番の優先事項はバウアーという国である。
そのことは間違いない。
バウアーのためによかれと思えば、実の娘ですら犠牲にすることをいとわない。
それは革命の時に証明されている。
だが、だからといって自分の娘が大事ではないのかといえば、そんなことはない。
ドル様はドル様なりにクレア様のことを愛している。
たとえその愛情が分かりにくいものだったとしても。
「それなら……最初からそう仰って下さいな。あんなわたくしを侮辱するような言い回しをせずとも、わたくし聞き分けられましてよ?」
「だが、事実は変わらん。クーデターを黙殺するべきという、私の考えは未だ変わらんよ」
ドル様は腕を組んで目を閉じてしまった。
クレア様に似て頑固なところは、ホント親子だなあと思う。
「ドルってば、そう頑なになりなさんな」
「では、ビルならどうする?」
「クーデターなんてつまらないことは、未然に防いだ方がいいだろうね」
「! ビル様!」
やっと自分の意見に同調する人が現れて、クレア様が喜色満面になった。
「こんなチャンスをみすみす見逃すのか?」
「いや、これはチャンスとは言えないよ、ドル。むしろ揚げ足を取られる危険性すらある」
「どういうことだ?」
いいかい、と前置きしてウィリアム陛下は続けた。
「クーデターが起きるのは、首脳会談当日なんだよね?」
「ああ、そうだ。責任追及に持ってこいではないか」
「それを私たちが意図的に誘発したと言われたらどうする?」
「根も葉もない邪推だ」
「そうだろうか?」
ウィリアム陛下はかくりと首を傾げた。
「実際、ぼくらはもうクーデターのことを知っている。知っていて、放置しようとしているわけだ」
「それを誘発とは言わんだろう」
「そうだね。だけど、ドロテーアなら、敵国に唆された愚か者共が決起したみたいな感じで、こっちの言い分なんて聞かずに押し通すくらいはやるんじゃないかな」
「む……」
「国民にはクーデター参加者を売国奴として公表して、あとは適当に誰か拷問して無理やりバウアーの間者の手引きですとでも自白強要すれば、責任はこっちに降りかかってくる」
「いや、そう易々とはいかんだろう」
ドル様がさすがに抗議の声を上げた。
ウィリアム陛下は頷いて、
「そうだろうね。だが、クーデターがそのままこちらに有利な外交カードになると考えることも安直だろう?」
「……それは……」
「それにねぇ、ドル。じゃあ戦争だ、なんて紅茶にミルクを入れる程度の気軽さで言ってくるドロテーアだよ? どっちに転んでも結局ややこしいことになるに決まってる。なら、大事なものを取りこぼさない方を選ぼうじゃないか」
「大事なもの? クレアの青臭い理想だとでもいう気か?」
「バカだねぇ、ドル。命に決まってるだろ。いいかいドル。政治や外交にまみれるのもいいが、命の尊さまで忘れたら、ぼくらはただの鬼畜に成り下がるよ?」
「……綺麗事だ」
訥々と語るウィリアム陛下の言葉を、ドル様は一笑に付した。
「ドル、ぼくは今でも怒っているんだよ? バウアーで革命が起きたとき、親友のぼくに相談もなしに、キミは自らの命はおろかクレアちゃんの命まで散らそうとした。きみは大義のために命を軽んじすぎている」
「悪いかね?」
「悪いとも。そんなことで、お孫ちゃんに胸を張って未来を見せられるかい?」
「……ぬ……」
ドル様もそこは認めざるをえないところなのだろう。
答えに窮している。
これはもう一押しだろうか。
「ドル様、発言をお許し頂けますか?」
「義父に遠慮はいらんよ。言ってみなさい」
「はい。仮に外交上のドライな駆け引きだとしても、やっぱり後味悪いじゃないですか。クーデターに加担した人たちは、良くて極刑、悪ければ再発防止のために家族もろとも見せしめでしょう」
「……そうだろうね」
「他国の人間の主張とドロテーアの口車――国民により説得力があるのがどちらかは明らかです。そうすれば国民のバウアーへの悪感情を煽って、むしろ国内の結束は高まる結果に繋がりかねません」
「……」
「クーデターがバウアーにとって利にしかならないなら、ドル様の仰るように利用すべきかもしれません。ですが、今回の件は少し危ういと私も思います」
「ふむ……」
ドル様は少し黙って考えてから、
「クレア、お前の考えを聞きたい」
「……わたくしは――」
クレア様は一瞬目を伏せた後、ドル様を見据えて言った。
「わたくしは、あの者たちを助けたいと思います。あの者たちは帝国を変える力の種だと思うんですの」
「種?」
「はい。撒いたのはフィリーネ王女ですが、その種は着実に育っていますわ。今ここで若芽のまま摘み取られてしまうには、あまりにも惜しいですわ」
「それは情による判断か?」
「いいえ」
クレア様がきっぱりと否定する。
「帝国におけるドロテーアの独裁を打倒できるとしたら、それは自国の国民たちによるものだと思うんですの。民が自ら考え、今に疑問を持つようになれば、自ずと独裁は消え去るものですわ」
「つまり、バウアーにとっても利がある、と?」
「はい。帝国が敵対外交を止めるなら、それはバウアーにとっても紛れもない利益ですわ。そのためにも、ここで彼女たちを死なせるわけには参りません」
「……」
言い終えたクレア様の言葉を、ドル様は慎重に吟味しているようだった。
彼の頭の中では、様々な利害、駆け引き、計算が飛び交っているのだろう。
やがて、
「いいだろう。クーデターを黙殺することはしない」
「! ありがとうございますわ、お父様!」
「安心するのはまだ早いよ、クレアちゃん」
安堵の表情を浮かべたクレア様に、ウィリアム陛下が釘を刺した。
「肝心の、クーデターを止める方法をまだ何も思いついてない。それを思いつかなきゃ、結局、クーデターは起こってしまう」
「それは……やはり説得を――」
「それは悪手じゃないかなあ。クレアちゃんとレイちゃんはフィリーネ王女が追放されるきっかけを作った張本人だろう? そんな人間の言葉が、クーデターを覚悟してる奴らに届くとは到底思えない」
「……確かに、そうですわね……」
クレア様は考え込んでしまった。
「あの、思ったんですが」
「ん? なんだい、レイちゃん」
「私たちの言葉が届かないなら、届く人に説得して貰えばいいんじゃないでしょうか」
「それはそうだろうけど、具体的に当てはあるのかい?」
「ええ、まあ」
それは誰だい、というウィリアム陛下の問いに、私はこう答えた。
「ヨーゼフ=ゲスナー。皇帝側近にしてフィリーネ王女の理解者。彼に説得をお願いしたいと思います」
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