第204話 合唱

「何だか私にも状況がよく分かりませんが……使徒の言うことには逆らえません。あなた方二人には、私の知っている限りのことを教えます」


 使徒が去った後、クレア様と私はそのままトリッド先生に魔法の手ほどきを受けることになった。

 今いるのはバウアー寮の裏手にある空き地である。

 魔法の練習をするのに十分な広さとは思えなかったが、先生曰く問題ないとのこと。

 クレア様と私は魔法杖を取り出して、トリッド先生の言葉を待つ。


「使徒も言っていましたが確認しておきましょう。今からあなた方に教えるのは合唱という技術です。異なる個人が協力して一つの魔法を詠唱するものと考えて下さい」

「そんなことが可能なんですの?」

「ええ……理論上は」


 それはつまり、実践するには問題があるということだろうか。


「人間の血にはいくつか種類があることを知っていますか?」

「聞いたことはありますわ。相性の悪い血同士は混ざり合わないとかなんとか」


 これは血液型のことだろう。

 医学がそれほど発達していないこの世界でも、血液に種類があることくらいは判明しているらしい。


「クレア先生の言うとおりです。魔力はその血液のようなもので相性があります。合唱には魔力を混じり合わせる必要があるのですが、魔力の相性が悪いと拒絶反応を起こすのです」


 最悪、死に至ることもある、とトリッド先生は言った。


「私はこの理論を元に、禁忌の箱に封印した指輪を作りました。あれは、特定の種類の魔力を増幅させる効果があります。ですが、あの指輪も相性が合わないと暴走してしまうのです。娘を始めとして何人もの人間を犠牲にしながら、得られたものはほんの僅かでした」

「先生……」


 自嘲するトリッド先生に、クレア様が気遣わしげな声を掛けた。


「まあ、私の自責の念は今はどうでもいいですね。続けましょう。合唱には魔力の混合が必要です。まずは、あなた方の魔力を重ね合わせるところから始めましょう」

「はい」

「お願いしますわ」


 クレア様と一緒に返事をすると、学院生時代のことを思い出す。

 こうして、クレア様と一緒にトリッド先生の最初の講義を受けたのは、ちょうどレレアと出会う前のことだった。

 まだ二年かそこらしか経っていないはずなのに、もう随分昔のことのように感じる。

 クレア様と二人で濃密な時間を過ごしてきた証拠だ。


「では、まず二人で手を握って下さい」

「こうですの?」


 クレア様が私の手を取った。

 昔ならば平民の手なんて触れませんわとかなんとか言っていただろう。

 クレア様も変わったよね。


「もっとしっかり握って下さい。指を一本一本絡めるように」

「ああ、恋人繋ぎですね」

「こ、こここ!?」


 トリッド先生の指示通りに手を握り直したのだが、クレア様は動揺している。

 もう夜の営みすら共にした仲なのに、クレア様は相変わらず初心なところがある。

 そこがまた可愛いんだけど。


「クレア先生、気持ちは分かりますが、これは必要なことなのです。では、お互いの存在を強く意識して下さい」

「意識しない方が難しいですわよ……」

「クレア様の手、やーらかいですね」

「うひゃあ!? 手の甲を撫でるのやめなさいな!?」


 だって、せっかく恋人繋ぎしてるのに、クレア様を堪能しないなんて失礼でしょ?


「次に、繋いだ手から属性を持たない純粋な魔力を、少しずつ流してみて下さい」

「はーい」

「ちょっとお待ちなさい、レイ! トリッド先生も何を仰っていますの!?」


 私が早速試そうとすると、クレア様が血相を変えた。


「? なんか問題あるんですか?」

「大ありですわよ。純粋な魔力を他人に流すのは、相手に体調不良などを起こしますのよ? 魔法学の基礎の基礎じゃないですの」

「え、そうなんですか?」

「知らなかったんですの!?」


 原作知識にはそんなものはなかった。

 恐らく、この世界では常識過ぎて、特筆すべき事柄ではなかったからだろう。


「クレア先生が仰る通り、普通はダメです。私の娘も、それをきっかけとした魔法事故で亡くなりました。でも、使徒は大丈夫と請け負いましたからね……」

「試すしかないんじゃありませんか?」

「……仕方ないですわね。万一の時の治癒はお任せしますわよ、トリッド先生」

「ええ。任せてください」


 やるべきことは、ちょうど禁忌の箱を開けるときにメイがやったことと同じである。

 属性のない魔力は拡散しやすいので、少し制御が難しい。

 私は慎重に慎重を重ねて、クレア様の手に魔力を流し込んでいった。


「……どうですか? 気分が悪くなったりしませんか?」

「いえ、特には。むしろ繋いだ手からぽかぽかと温かいものが流れ込んできて、心地よいくらいですわ」

「クレア様の魔力、気持ちいいです」

「言い方!」


 だって、本当のことなんだもん。


「ふむ……。どうやら使徒の言っていたことは本当のようですね。魔力が綺麗に溶け合っています。あなた方は魔力の相性がいいようですね。これなら合唱も問題ないかもしれません」


 次の段階に進みましょう、とトリッド先生は言う。


「実際に合唱してみましょう。合唱出来る魔法は、合唱を構成する両者のどちらかが使える属性の魔法です」

「では、わたくしとレイなら、地水火の三種類のうちどれかということですの?」

「そうです。最初は制御が難しいと思いますから、ごく簡単な炎弾を生成してみて下さい」

「かしこまりましたわ。いいですわね、レイ?」

「はい」


 炎の属性を私は扱ったことがない。

 未知の感覚なので、上手く行くかどうか……。


「繋いだ手を後ろに、魔法杖を正面に向けて下さい」

「こうですの?」

「結構です。そうしたら、その手の先に炎弾を生成するイメージを思い描いて下さい。感覚としては、クレア先生が主制御、レイ先生が補助という感じにするといいでしょう」


 まるで社交ダンスのポジションのような格好のまま、クレア様と私はしばし悪戦苦闘した。

 これはなかなか難しそうだ。

 ちなみに繋いでいる手が後ろ、それぞれが魔法杖を持つ手が前である。


「焦ることはありません。合唱は非常に複雑な技術です。習得には数ヶ月から数年の研鑽が――」

「「あ」」


 前に突き出している手から、炎弾が放たれた。

 なるべく威力を絞っておいたはずだが思いのほか大きく、それは的代わりの木を消し炭に変えた。


「……出来てしまうんですか」

「出来ちゃいましたね」

「出来てしまいましたわ」


 トリッド先生が何とも言えない顔をしている。

 合唱はトリッド先生と娘さんが途方もない時間をかけて完成させた技術のはず。

 それをこうも簡単に実践できてしまうというのは、やはり何と言うか複雑な気持ちなのだろう。


「いえ、成功を喜ぶべきですね。おめでとうございます、レイ先生、クレア先生」

「ありがとうございます」

「ありがとうございますわ」


 それでも朗らかに笑って見せるのは、トリッド先生の人徳のなせる業か。

 先生は私たちを労うと、言葉を続けた。


「今、体験して貰った通り、合唱は非常に強い威力を持ちます。初歩の炎弾ですらあの威力なのですから、例えばクレア先生のマジックレイ、レイ先生のアブソリュート・ゼロなどは恐ろしい威力になるでしょう」


 使い所と制御を誤らないように、とトリッド先生は念を押した。


「レイ先生は合成魔法も使えましたね?」

「はい、いくつかは」

「合唱で炎の属性も扱えるようになりますから、余裕があればクレア先生と一緒に合成魔法のバリエーションを増やすといいでしょう」

「ええ、そうしますわ」

「練習しておきます」

「でも……毎回この格好するんですの?」


 クレア様は恥ずかしそうだ。


「え、イヤなんですか?」

「嫌じゃありませんけれど……恥ずかしいですわ」

「何を今更……もっと恥ずかしいこといっぱいしてるじゃないですか」

「レイ!」

「はっはっは、仲睦まじくて大変よろしいですな。でも、私の存在を忘れないで下さいね?」

「あ、失礼しました」

「レイのせいですわよ!」


 だって、隙あらばクレア様で遊びたいんだもん。

 最近なんかシリアスなことが続きすぎて、クレア様とのイチャイチャタイムが少ないし。


「合唱に関してはこれくらいです。後はいくつか、合唱の技術で出来ることも教えておきましょう」

「お願いします」

「よろしくお願いしますわ」


 その日は夕方までトリッド先生に教えを請うた。

 合唱は間違いなく私たちの武器になる。

 それは嬉しい。

 でも、気になることも多い。

 どうして、クレア様と私の魔力は綺麗に混ざり合ったのか。

 そして、どうしてそのことを使徒は知っていたのだろうか。


 私の疑問が氷解するのは、もっと後のことになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る