第203話 使徒
「使徒……?」
トリッド先生が口にしたその単語に、クレア様が怪訝な表情をした。
使徒――私の原作知識にもない単語だ。
「立ち話もなんですから、座りませんか。あ、お茶は結構です」
リリィ様の顔をしたその使徒は、ぬけぬけとそんなことを言う。
トリッド先生、クレア様、私の三人は顔を見合わせたが、とりあえず使徒の言う通りにすることにした。
テーブルの四辺の内、最も入り口に近い席に使徒、遠い席にトリッド先生、クレア様と私がそれを結ぶ二辺に対面する形でそれぞれ着席した。
「さて、まずは自己紹介からさせて頂きましょう。皆さんのことは存じ上げているので、私だけで構いませんね?」
使徒はからかうような様子だったが、特に異存はないので頷く。
使徒は満足そうに笑って続けた。
「私たちは使徒と呼ばれています。精霊教会の意向で動く世界の調整役です。この世界がバランスを保てるように、舞台裏から色々と干渉を行っています」
「あなたとリリィの関係は? あなたはリリィの別人格ですの?」
色々と聞きたいことはあるが、クレア様がまず確認したのはそのことだった。
今のリリィ様はどう見ても普段の彼女ではない。
リリィ様は大丈夫なのだろうか。
「リリィ=リリウムは今は眠っています。ですが、私は彼女の別人格というわけでもありません。彼女の別人格はサーラス=リリウムによって作り出されたものですし、“彼”はすでに彼女の一部になっています」
リリィ様の別人格が彼女の一部になっているというのも気になったが、今はそれどころではない。
「なら、あなたは一体何者ですの?」
「ですから、使徒です。精霊教会の人間の身体を借りて世界のバランスを取る、いわばフィクサーです」
なにやら話が大きくなってきた。
世界のフィクサー?
「あなたはさっき世界に干渉をしていると言いましたが、具体的には何をしてるんですか?」
「私たちは秘密主義なので、具体的な活動内容についてはあまり語れることがありません。ですが、みなさんがご存知の範囲で説明するとしたら、例えばこの世界の仕組みに気がつきそうな人間に、警告を与えて監視することなどがあります」
「……」
使徒が言っているのは、恐らくトリッド先生のことだろう。
世界の仕組みというのは、魔法に関することだろうか。
「なら、あなたはわたくしたちに警告を与えに来ましたの?」
クレア様が問うた。
今までの話の流れからすると、それが一番自然だ。
しかし、使徒は首を横に振った。
「いいえ。今日ここに来たのは、レイ=テイラーとクレア=フランソワの戦力向上のためです」
「……は?」
わけが分からない。
舞台裏から世界に干渉するという存在が、クレア様と私の戦力向上を目的にしている?
一体、何のために?
「魔族と戦うには、あなた方は弱すぎます。祝福の武器の貸与で十分かと思いましたが、どうもそれでは足りないようでしたから」
「まさか、あの時のリリィは……?」
「いえ、あの時のリリィ=リリウムは彼女本人ですよ。武器の貸与は私たち教会の意向でしたが」
なにしろ見かけは完全にリリィ様なのだ。
口調や行動を擬態されてしまえば、私たちにはほとんど見分けがつかない。
「話を元に戻しましょう。お二人にはトリッド=マジクから魔法について手ほどきを受けて貰います。一般に普及しているそれよりも、より本質に近いものを」
「やめて下さい! 二人を巻き込まないで下さい!」
トリッド先生が必死に言いつのる。
しかし、使徒は薄く笑って、
「トリッド=マジク、あなたは勘違いをしている」
「どういうことですか」
「彼女たちは別にあなたに巻き込まれるわけではありません。精霊教会は彼女たち二人に死んで貰っては困るのです。むしろ、彼女たちを守るために、あなたが利用されるのですよ」
私はちらりとクレア様の方を見た。
クレア様もこちらを見ている。
恐らく、クレア様も私と同じことを考えている。
使徒の言い方は、どこか魔族たちが口にしていたことと重なる部分がある。
どういうわけか知らないが、彼らは両方ともクレア様と私を特別視している。
「どういうことですか」
「トリッド=マジク、あなたが知る必要はありません。然るべき時が来たら、レイ=テイラーとクレア=フランソワの二人には教えましょう」
説明を求めたトリッド先生を使徒は冷たくはねのけ、クレア様と私を見た。
「とにかく、あなた方二人にはより魔法に習熟して貰います。具体的には、魔法の合唱を覚えて頂きます」
「合唱?」
聞き返したクレア様に対して、使徒は頷いた。
「通常、個人が扱う魔法の詠唱は独唱というくくりになります。これに対して、複数の人間で一つの魔法を発動することを合唱と言います」
「複数の人間で一つの魔法を……? そんなことが出来ますの?」
「はい。詳しくはトリッド=マジクに聞いて下さい。彼はもうその理論を完成させています」
「待って下さい!」
トリッド先生が悲鳴のような声を上げた。
「合唱はリスクが大きすぎます。あれは成立条件が非常に厳しい。しかも、失敗すれば――」
「そうですね。術者に反動が起きますね」
事もなげに言う使徒。
トリッド先生の様子から察するに、反動とやらはその言葉の響き以上に重大なものなのだろう。
「心配はいりません。この二人に限って、反動は起きないと私たちが保証します」
「なぜです?」
「理由を知る必要はありません、トリッド=マジク。あなたがすべきことは、彼女たちに合唱を教えることだけです」
「……」
トリッド先生は悔しそうな顔をした。
先ほどから使徒の先生に対する扱いがひどい。
まるで先生を道具のように見ている。
「ちょっとあなた。先生に失礼過ぎませんこと? 仮にも人にものを頼むのなら、礼を尽くしなさいな」
「……」
咎めるように言ったクレア様に対して、使徒はきょとんとした。
そして――。
「ふふ……あはははっ……!」
弾けるように笑い出した。
「な、何がおかしいんですの!?」
「ああ、ごめんなさい。これは論理の破綻に対する反射反応なんです。だって、私たちに人間みたいな扱いをするから」
「!? あなた方は人間ではありませんの!?」
「はい。私たちは人間ではありません」
ますますわけが分からない。
この世界を舞台裏からどうにかしようとするような存在が、人間ではない?
なら、この世界は一体……。
「私たちは……そうですね、精霊神に連なる者とでも思ってくれればいいです」
「なんですって……?」
「本当はもっと相応しい言い方があるんですけれど、それはクレア=フランソワには理解出来ないでしょうから。もっとも――」
使徒はそこで一旦言葉を切って私を見ると、
「もっとも、レイ=テイラーなら理解出来るだろうでしょうけれどね?」
使徒は先ほどから意味不明なことばかり言っている。
私は何一つ彼女(?)の言うことが理解出来ない。
「とにかく、レイ=テイラーとクレア=フランソワはトリッド=マジクから合唱の手ほどきを受けて、それに習熟して下さい」
「断ったらどうするつもりですの?」
「あなたは断らないですよ」
「どうしてですの」
「家族を守ることの出来る力を得られるチャンスを、あなたがみすみす見逃すはずがないからです」
「……ふん」
クレア様は面白くなさそうだが、図星だろう。
クレア様も私も力に溺れるようなことはないが、家族を守る力を手にする機会があるなら、それを逃したくはない。
「それでは、私はここで失礼します。そろそろこの子が目を覚ます頃合いですし」
そう言うと、使徒は席を立った。
「そうそう、私のことはどうかご内密に。さもないと――」
部屋から出て行く寸前、使徒はこちらを振り返って、こう言い加えた。
「さもないと、メイとアレアの命がありませんよ?」
クレア様が険しい視線を投げたが、使徒はそれを気にすることなく去って行った。
これが使徒との――いや、世界の真実に関する最初の接触だった。
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