第205話 オットーの悩み

 トリッド先生から合唱を習った翌日。

 今日は平日なので普通に学校がある。

 クレア様と私は学館で講義を受けていた。


 ふと、周りを見回してみる。

 講義を受ける学生たちの中から、いなくなってしまった人たちのことを思った。


 ラナはバウアーでサーラスの件の取り調べを受けている。

 イヴも同じく取り調べを受けているはずだし、その後はスースに行くという。

 ヨエルは精霊教会の教えに背いたとしてバウアーに戻されてしまった。

 フィリーネは国外追放され、私は信じていないが暗殺されたという噂もあるという。

 フリーダはフィリーネの国外追放に合わせて姿をくらました。


 仲の良かった人たちがいない教室は、何だか実際以上にがらんとしているように感じる。


「レイ、よそ見してると注意を受けますわよ?」


 私が上の空だったことに気がついたのか、クレア様がペンの背中で私の手をつついた。


「すみません。みんないなくなっちゃったなあと思ったら、なんだか少し……」

「気持ちは分かりますけれど、今は講義に集中しなさいな」

「そうですね」


 私はノートの上に転がしてあったペンを拾うと、再び講義に集中しようとした。


「では、この問題を……オットー、前に出て解きたまえ」

「……」


 講師に指されたオットーは何も言わずに席を立つと、憮然とした表情のまま黒板の問題をすらすらと解いていく。


「よろしい。正解だ」

「……」


 講師の言葉を聞くと、オットーはそのまま席に戻った。

 私はおや、と思った。

 オットーの問題児っぷりは以前にも説明したと思うが、彼は教師から問題を解くように言われると、必ず悪態の一つや二つついたものだ。

 それが今日は借りてきた猫のように大人しい。

 表情こそ無愛想なままだが、罵声の一つもないとはいったいどういう風の吹き回しだろう。


「オットーは少し様子がおかしいですわね」

「ええ」


 クレア様もどうやらオットーのことが気になっているようだ。

 お揃いですね、クレア様――とは、講義中なので言わないでおく。


「何かあったのかしら」

「気になりますか?」

「クラスメイトのことですわよ? 当たり前じゃありませんの」


 こういうことが自然に言えてしまうのがクレア様の健全なところだよなあと思う。

 私だって怪訝には思ったが、でもそこまでだ。

 クレア様のように、クラスメイトだからというだけで自然に気遣うような温かい心はあまりない。


「講義が終わったら、少し話を聞いてみます?」

「ええ、そうしますわ」


 ◆◇◆◇◆


「あ? お前らとメシ? なんでだよ。ほっとけよ」


 ですよねー。

 あまりにも予想通りな悪態に、私はいっそ清々しさすら覚えた。


 昼休みになったので、オットーをお昼に誘ったのだが、あっさりと断られた。

 でも、そんなことでクレア様が引き下がるわけもないわけで。


「オットー。あなた、何か困りごとを抱えてませんこと? 様子がおかしいですわよ?」


 クレア様が粘り強くオットーと会話を続ける。

 身内と認識した相手にはとことん付き合うのがクレア様である。

 逆に、敵と認定した相手にはとことん攻撃的になるのもクレア様ではあるのだが。


「何もねーよ。ほっとけっつってんだろ」


 オットーはにべもない。

 にべもないが、取り立てて声を荒らげるでもない。

 どちらかというと、上の空という感じだ。

 これはいよいよ重症なのでは?


「オットー、オットー」

「んだよ、お前まで」

「なんか上の空だね?」

「気のせいだろ」

「もしかして……」

「なっ……なんだよ……」


 私の読みが外れていなければ――。


「恋煩い?」

「……はぁ……。違ぇーよ。お前らみたいな恋愛脳じゃねーんだよ、俺は」


 ありゃ、外れか。

 結構自信あったんだけどなあ。


「まあ、いいや。ここでご飯にしましょう、クレア様」

「そうしましょうか」

「ちょっ、お前ら、何を勝手に――!」


 文句たらたらなオットーは放置して、クレア様と一緒にお弁当を広げる。


「今日も美味しそうですわ。ありがとう、レイ」

「どういたしまして」

「……勝手にしろ」


 構わずお弁当を食べ始めた私たちを呆れるように見ると、オットーもお弁当を広げて食べ始めた。


「そのお弁当、オットーの手作り?」

「だったらなんだよ」

「いや、美味しそうだなと思って」

「こんなもん、てきとーだよてきとー」


 オットーは玉子焼きにフォークを突き刺すと、一口かじった。


「玉子焼きって適当で作れるものですの?」

「あ? こんなもん、味付けして焼くだけじゃねーか」

「わたくしが作ろうとすると、味付けの時点でもう何かじゃりじゃりになるんですのよね」

「それは味付け以前の話だろ!? 卵がちゃんと割れてねーんだよ!」


 オットー、いいツッコミだ。


「オットーは兵士のご家庭とうかがっていますけれど、ご両親は?」

「あ? どうでもいいだろ、んなこと」

「でも、オットー、お弁当自分で作ってるんだよね?」

「……家族はみんな忙しいからな。一番暇な俺が作るのが合理的だろうが」


 オットーの意外な一面を見た気がする。

 初対面の印象が最悪だったが、こうしてみると意外に話せるじゃないか。


「ご家族はご両親だけですの? ご兄弟は?」

「だから、なんでさっきから質問攻めなんだよお前らは!」

「別にオットーから質問してくれてもいいよ。ばっち来い」

「……そうじゃねぇ」


 カリカリと髪の毛をかくオットー。


「兄弟は姉貴が一人だ」

「へぇ、どんな方ですの? やっぱり学館に通っていらっしゃるの?」

「姉貴はもう卒業した。今は……帝国軍の軍事教練を受けてる」


 後半、オットーの声のトーンが明らかに下がった。

 これは……?


「お姉様も軍人になるんですのね」

「……親父もお袋も止めたのに、聞きやしねぇ。俺だって何度説得したか……」

「オットーはお姉さんが軍人になることに反対なの?」

「だって危ねぇじゃねぇか」

「そうですわよね。帝国は常にどこかの国と戦争してますし、お姉様だっていずれは――」

「いずれは、じゃねぇ!」


 オットーが声を荒らげた。

 突然のことに、クレア様も私も顔を見合わせる。


「戦地への配属を待つまでもなく、姉貴は――」

「どういうことですの? お姉様に何か?」


 クレア様が問いかけたところで、オットーは我に返ったようだった。


「……何でもねぇ。忘れろ」

「オットー、わたくしでよければ力になりますわよ?」

「忘れろっつってんだろ!」


 オットーが乱暴に机を叩いて立ち上がった。

 教室中が静まりかえった。


「? これは……?」


 オットーが机を叩いた拍子に、何かがひらりと舞い落ちた。

 私は他意なくそれを拾い上げた。


「!? 返せ!」


 オットーが血相を変えてそれをひったくった。

 でも、私には見えてしまった。


「……見たか?」

「ごめん、見た」

「レイ?」


 オットーの目が血走っている。

 これはまずい。


「オットー、場所を変えよう。私たちは落ち着いて話し合う必要があると思う」

「……ちっ」

「ちょっとちょっと、レイ! オットーもどうしたんですのよ」

「クレア様も来て下さい。いいよね、オットー?」

「……ああ」


 私たちは食べかけのお弁当を仕舞うと、人気のない中庭にやって来た。

 据え付けられているベンチに腰掛けると、私はオットーに切り出した。


「オットー、説明して。なぜあなたはこんなことを考えているのか」

「こんなこと?」


 事情を飲み込めていないクレア様が顔に疑問符を浮かべている。

 オットーの方は押し黙ったままだ。

 私はクレア様に説明した。


「オットーはドロテーアを暗殺する計画を立てています」

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