第184話 三人の容疑者

「私に用件とのことだが……なんだね? 私はこれでも忙しいのだが」


 第一の容疑者アヒム=バルツァーは、訪ねてきた私たちに開口一番そう言った。

 ここはアヒムが経営するバルツァー商会の応接室である。

 椅子も机もしっかりとした造りで、壁を飾る絵画や部屋の隅に置かれた壺なども、高い骨董価値があると思われた。

 商会の経営は順調らしい。


 アヒムは豊かなあごひげを蓄えた老年の男性だった。

 フリーダの話によると、彼は六十歳。

 しかし、年齢よりもずっと若い印象を抱いた。


「お忙しいところ申し訳ありませんわ。聞きたいのはアルノーのことですの」

「アルノー? アイツがどうかしたのか?」

「亡くなりました」

「な、なんだって……? お姫さん、それは本当ですか……?」


 フィリーネの告げた言葉に、アヒムは信じられないといった顔をした。


「そんな……いつ……?」

「つい三日前のことですわ。ご存じなかったんですの? 彼はあなたの部下でしょう?」

「アルノーは帝都を出て商品の買い付けに行っているはずなんだ。戻るのは来週ということになっていた」


 まさか死んでいたとは、とアヒムはうめいた。


「彼が殺された理由について、心当たりはありますか?」

「殺されたのか? ……正直、信じられん。ヤツのことはよく知っている。悔しいが俺の部下の誰より優秀だ。かといってそれを鼻に掛けることもなく、性格も温和で出来た人間だった。ヤツが人から恨みを買うようなことは考えられん」

「あなたの後継者の座を巡って、少し揉めているとうかがいましたが?」


 私の意地悪な問いに対して、アヒムは少しムッとした顔をした。


「確かに、そういうことはあった。だが、ヤツにその気は全くなかったよ。俺の跡取りは息子のブルーノだ。もう代替わりの準備は済んでいる」


 不愉快そうな顔はしたが、アヒムはそれでも冷静に答えた。


「あ、アヒムさんは引退されるにはまだまだ若くていらっしゃいますね?」

「分かりやすい世辞だな。だが、もう俺もとしだ。最近、記憶が曖昧になることも多くてな。商人の世界で、それは致命的だ」


 リリィ様の問いにも、アヒムは動揺することなく答えた。

 まだ大丈夫な内に後進に譲りたい、というのが彼の考えらしい。


「ちなみに彼が殺された時、あなたはどちらに?」

「お前ら、俺を疑っているのか!?」


 今度の私の問いに対しては、ハッキリと激昂するアヒム。

 これはまあ自然な反応だろう。

 誰だって殺人犯扱いされれば、不愉快にもなる。


「疑いを晴らすためですわ。アヒムさん、ご協力下さいな」

「……ふん。それで? アルノーが殺されたのはいつだ?」

「おや? 三日前と申し上げましたが?」


 わざと揶揄するように言った私の言葉に、アヒムは嗤って、


「さっきも言っただろう。俺は忙しいんだ。一日の間に何人もの人間に会うし、色んな場所へ行く。三日前というだけじゃあ、無罪の証明は出来ん」


 時計がまだないこの世界だから、分刻みとはいかないだろうが、それくらいに忙しいということなのだろう。


「アルノーさんが殺されたのは、三日前の早朝、五時から六時頃らしいですわ」

「その頃なら、帝都の外でちょうど人と会っていた。引き継ぎのために、馴染みの商人に挨拶しに行っていたところだ」


 アヒムは記憶をたどるように右上に視線をやりながら答えた。


「その商人さんのお名前をうかがっても?」

「お前、疑り深いな。カトってヤツだ。もういいだろう、帰ってくれ」


 私たちは商会を後にした。


 ◆◇◆◇◆


「確かに彼とは、ちょっとしたトラブルがありました」


 二人目の容疑者、イルザ=グレルマンはアルノーとトラブルがあったことをあっさりと認めた。


 私たちが話しているのは、帝国の役所の一つにある談話室である。

 談話室は簡素な造りで、特別目立った調度などはおいていない。

 それでも、市民への心配りなのか、花瓶に花が生けてあった。


 私たちはソファに座ってイルザと対面している。

 イルザは女性にしてはやや身長の高いすらっとした人だった。

 長い髪をひとまとめにしてくくっており、キャリアウーマンという雰囲気がある。


「どんなトラブルでしたの?」

「些細なことですよ。アルノーさんが申告した税の納付額に不明な点があったので、それを問いただしただけです。結果、誤解であることが分かったので、彼には改めて謝罪したのですが、彼は最後まで納得していないようでした」


 税の納付にはトラブルがつきものなのですけれどね、とイルザは溜め息をついた。


「それは本当に誤解だったんですか?」

「? ……どういうことです?」

「本当は彼が税額を誤魔化していたのに、あなたは口封じをされたとか」

「そんなことはありえません。私たち役所の職員は、ドロテーア陛下からその職務を預かっているのです。不正に荷担するなどもっての外ですよ」


 今回も私は意地悪な質問をする鞭役である。

 実際の警察官も、片方が容疑者に同情的、もう片方が敵対的な役割をしつつ尋問をしたりするらしい。

 推理小説で読んだ知識なので、本当かどうかは知らない。


「アルノーさんが殺されたことはご存知でして?」

「……ええ。役所の同僚から聞かされました。お気の毒なことです」


 言葉とは裏腹に、イルザの顔にはホッとしたような色が浮かんでいる。


「アルノーさんが殺された理由について、何か思い当たることはありますか?」


 フィリーネが問うと、イルザは少し考えて、


「バルツァー商会ほどの大商会なら、多かれ少なかれ揉め事は抱えていたでしょう。そのうちのどれかが爆発したのではありませんか? よく分かりませんけれど」


 心当たりなどないが、大方そんなところだろうという、気のない返事だった。


「彼が殺された三日前の午前五時から六時の間、あなたはどうしていました?」

「その時間ならまだ自宅で夢の中よ。それを証明出来るものはなにもないわ」


 でも、私は犯人じゃありません、とイルザは無表情に言い切った。


 ◆◇◆◇◆


「あ、アルノーが……死んだ……?」


 アナは私たちから話を聞くと、絶句して口を押さえた。


 ここはアナの自宅である。

 室内はいかにも年頃の少女といった感じの可愛い部屋で、小さな小物などが所々に飾られていた。

 私たちはリビングに通され、椅子に座って会話をしている。


 アルノーの死を私たちが告げると、アナは言葉を失い泣き出してしまった。

 隣に座るクレア様が、優しくその背中を撫でた。


「アナはアルノーさんとお付き合いなさっていたんですのよね?」

「……うん」


 アナの様子が落ち着くのを十分待ってから、クレア様が話を切り出した。


「アルノーは私の幼なじみなの。としは離れてるけど、ずっと兄妹みたいに育って……。私はずっとアルノーのことが好きで、私から告白して付き合い始めたの。でも、最近の彼はちょっと様子がおかしくて……」

「どんな風にですか?」


 フィリーネが先を促した。


「私のことなんて全然構う余裕がないみたいだった。仕事のことでいくつかトラブルがあったからだ、って彼は言ってたけど……私、彼が他に好きな人が出来たんじゃないかって思ってしまって」


 それで別れ話を切り出したのだという。


「アルノーは誤解だって……絶対に別れないって言ってた。でも私、不安で不安でどうしようもなくて……しばらく距離を置きたいって言っちゃったの……。こんなことになるなら、もっと言いたいこと、して上げたいこと、いっぱいあったのに……!」


 アナはまた泣き出してしまった。

 クレア様がまた落ち着かせるように肩を抱いた。


「アナ、彼が殺された理由に思い当たることはない?」

「そんなの……あるわけない。彼は凄くいい人だった。色んな人から好かれてたし、殺されていいような人じゃなかった……」


 アナは涙を流しながらそう訴えた。


「これは一応、全員に聞いていることなんだけど、アルノーが殺された三日前の午前五時から六時、アナはどうしてた?」

「……無罪の証明が必要なのね。その時間はいつも近所を走ってるかな。朝の日課でね。ひょっとしたら私の姿を見てた人もいるかもしれないけど、分からない」


 アナは確かなことが言えなくてごめんなさい、と力なく言った。


「アルノーを殺した人、絶対捕まえてね」


 悲しみに染まった瞳に見送られ、私たちはアナの家を後にした。


 これで容疑者への聞き込みは一通り終わった。

 この中に犯人がいるという話だが、果たして誰なのだろうか。

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