第182話 密書

「改まってお話との事デシタガ……。一体何事デース?」


 ティーカップが五つ載ったトレイをテーブルに置きながら、フリーダはいつもの陽気な顔にほんの少しの戸惑いを見せた。


 ここはフリーダの下宿先である。

 初めて訪れた彼女の部屋に特段変わったところはなく、いわゆる平均的な帝国国民のそれである。

 宗教的なモチーフや祭壇、儀式に使う道具などは一切ない。

 精霊教はこの世界で一般的な宗教なので、それらに類するものが一切ないのは、いっそ不自然ですらあるのだが。


「突然、押しかけてしまって申し訳ございませんわ。折り入ってお願いしたいことがありますの」

「ノンノン、美人の訪問はいつだってウェルカムヨ! クレア、レイ、フィリーネ、来てくれて嬉しいネ! それに、リリィ! アナタまで!」

「あ、ありがとうございます」


 そうなのだ。

 今回のフリーダ宅訪問には、クレア様、フィリーネ、私の他に、リリィ様にも来て貰っている。

 宗教的なしがらみうんぬんはどうなったのかと言われそうだが、やむを得ないことなのだ。

 その理由については追い追い。


「まあ、まずはお茶デース。ワタシの故郷のお茶デース。お口に合うといいのデスガ……」


 フリーダがカップを配る。

 手元に来たお茶は不思議な色合いをしていて、甘い香りが漂ってきた。

 紅茶に似ているが、香りに思い当たるものがない。

 フレバーティーだろうか。


「あら、美味しいですわね」

「本当ですね。不思議な風味です」

「お、美味しいです」


 クレア様たちには好評のようである。

 私は一応、解毒をかけてから一口すすった。

 あ、ホントに美味しい。


「お気に召したようでほっとシマシタ。お茶菓子もいかがデース?」

「いえ、そこまではお構いなく。ありがとうございますわ」

「残念デース」


 フリーダの顔にはもっとおもてなししたかったという表情が見て取れる。

 それが何割本気のものなのかは、私には分からない。


「そろそろ本題に入りましょう。フィリーネ様?」

「はい」


 それまで先頭を切って会話していたクレア様が、フィリーネに水を向けた。

 フィリーネは少し緊張した面持ちで前に出ると、一度深呼吸をしてから口を開いた。


「フリーダ、あなたにお願いがあります」

「なんでも言ってクダサーイ! 美少女のお願いなら、大抵のことはウェルカムヨ!」


 対するフリーダの方はいつもと変わらないテンションだ。

 ニコニコと朗らかな笑みを浮かべていて、彼女に隠された一面があるなどとは到底思わせない。

 しかし――。


「あなたが持つメリカの民との繋がりを――」


 ギィンと金属音が弾けた。

 一拍遅れてフィリーネがギョッとした顔をする。

 彼女の首の横数センチにまで迫った刃が、別の刃で受け止められていた。


「……」

「……!」


 フィリーネに切りつけたのは、ニコニコとした表情を貼り付けたままのフリーダで、それを受け止めているのがリリィ様である。

 穏やかな話し合いにはならないだろうと思っていたが、いきなり切りつけてくるとはやってくれる。


「ふ、フリーダさん、まずはお話を聞いて下さい」

「……お断りネ!」


 フリーダは短剣をひねるように動かすと、リリィ様の短剣をいなして再びフィリーネに切りつけた。


「ふ、フリーダさん!」


 一瞬、体勢を崩されたリリィ様だったが、瞬時に足を踏み換えると立て直し、もう片方の短剣でフィリーネを守った。

 そのまま力を込めてフリーダを跳ね飛ばし、一旦間合いを開ける。

 そうは言ってもここは室内。

 それほど広くもない部屋であり、いつまたフリーダが襲いかかってくるか分からない。

 クレア様も私も、既に臨戦態勢である。


「……ナゼ知っているんデース?」


 油断なく短剣を構えながら問うフリーダの顔には、相変わらずの笑みが浮かんでいる。

 行動は豹変しているのに、表情だけが変わっていないので少し……いや、だいぶ怖い。


「誰かが裏切りましたカ? 不信心なそれは誰か教えて頂きマース!」


 フリーダが刃を閃かせて踏み込んでくる。

 白兵戦が得意と言っていた彼女の言葉に嘘偽りはなく、対峙しているのが私だったら、あっという間に切り伏せられていただろう。

 クレア様でもギリギリじゃないだろうか。

 そんな相手を傷つけることなくやり込めているリリィ様は、やはり大した腕前である。

 彼女に来て貰ったのは、やはり正解だった。


「フリーダ、話を聞いて! 私はあなたたちの力になりたいの!」


 フィリーネの懸命な訴えに、フリーダが手を止めた。

 その様子を見て、フィリーネの顔が一瞬明るくなるが、それもすぐにまた曇る。


「力に……なりタイ……?」


 フリーダの顔から笑みが消えた。

 いや、見かけはまだ笑っている。

 かろうじて笑っているが、醸し出す雰囲気でそれを笑顔と呼ぶことはとてもじゃないが出来なかった。


「ワタシたちの祖国を滅ぼしたこの国の皇女であるアナタが、今さら力になりタイ……? それはどんなジョークデスカ?」


 そこに浮かんでいるのは憎悪。

 積もりに積もった深い憎しみの感情が、貼り付いた笑顔からあふれ出していた。


「ふ、フリーダ……」

「秘密を知られたからには生かしておけまセン。ここでみんな死んで貰いマス」


 フリーダが再び短剣を構えた。


「フリーダ。あなたは憎しみに駆られて、祖国復興の機会を棒に振るんですか?」


 私の言葉に、フリーダが怪訝な顔をする。


「祖国復興……?」

「そうです。フィリーネ様の目的は帝国の外交政策を変更すること。そして、その助力を求める代わりに、あなた方の祖国の復興を申し出ているんですよ」

「……」


 フリーダはまだ戦闘態勢を解かなかったが、その顔にはほんの少し理性の色が戻った。


「そんな戯れ言には騙されまセンヨ?」

「戯れ言でも嘘でもありませんわ。フィリーネ様は本気ですわよ?」

「本気だとしたら、それこそ正気を疑うネ。フィリーネはあのドロテーアの娘デショウ?」

「話を聞いて下さい、フリーダ……いえ、フリーデリンデ=ウル=メリカ!」

「!? どうして……!」


 フィリーネの呼びかけに、フリーダの顔に動揺が走った。

 恐らく彼女は、自分がメリカの国民であることは見抜かれていても、自分の正体までもが見抜かれているとは思っていなかったに違いない。

 何しろ、彼女の正体は彼女の同志たちの中でも、ごく限られた人間しか知らない極秘事項だからだ。


「そんナ……。誰が裏切ったのデス……」

「誰も裏切ってなどいません。革命の乙女の噂は知っているでしょう? このクレアとレイには予言のような力があるんです」

「……ばかナ……」

「ならあなたは、ご自分の同志に裏切り者がいる方がいいんですか?」

「……」


 フリーダの瞳が逡巡に揺れた。

 フィリーネが畳みかける。


「私は、お母様に反旗を翻すつもりです」

「……」

「お母様に譲位して頂き、この国のあり方を変えます。弱肉強食の国から、もう誰も泣かない国へ」

「そんなことが出来るとデモ……?」


 フリーダは嘲るように言った。

 そこにはほんの少しの自嘲も含まれているようだった。

 あるいはそれは、これまで大きな成果を上げられなかった自分たちへの皮肉かも知れない。


「私一人では無理です。でも、フリーダ。あなた方が力を貸して下されば出来ます」

「……」

「お願いです。力を貸して下さい」


 フィリーネは真摯に訴えた。

 だが、フリーダはまだ態度を決めかねているようだった。


「アナタの話だけでは信じられナイ」

「そう思って、別口からも話を持って来ましたわ。リリィ?」

「は、はい!」


 クレア様に促され、リリィ様が懐から手紙のようなものを取り出して、床に置いた。


「……?」

「きょ、精霊教会からの密書です」

「!」

「中を改めて下さいな」


 フリーダは少しだけ迷う様子を見せたが、それもほんの数秒。

 おずおずと手紙に近づくと、拾い上げてそれに目を通した。


「これは……枢機卿による真贋の保証……!」


 この密書は、フィリーネの話が嘘偽りでないことを、教会が保証するものだ。

 以前にも触れたと思うが、この世界では神に誓うということが非常に重い意味を持つ。

 一般市民同士の口約束ですらそうなのだから、それが精霊教会の枢機卿によるものだとすれば、その効果はどれほどのものかはご想像頂けることと思う。


 もちろん、お墨付きを与えた枢機卿というのは、ユー様のことである。

 反政府勢力籠絡に取りかかると決めてから、ユー様に改めてお願いしたのである。

 彼女は驚き、ミシャなどは反対までしたが、最終的には納得してくれた。

 彼女たちは教会に籍を置いているが、それ以上にバウアーの人間なのである。


「ねぇ、フリーダ。話だけでも、聞いてくれませんか?」


 フィリーネはフリーダの目をまっすぐ見つめていった。

 フリーダはしばしその視線を吟味するように見返していたが、やがて一つ大きく溜め息をつくと、


「オーケイ。一応話は聞きまショウ。遺言にならないと良いデスネ?」


 そう言って、ひとまず短剣を下ろすのだった。

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