第157話 育児談義

「じゃあ、今日はこのままお留守番してて。クレア様と私は学館に行ってくるから。二人のお昼ご飯は……アレア、お願いしていい? これを温めてくれればいいから」

「うけたまわりましたわ」

「それじゃ行きましょう、クレア様」

「……ええ」

「「いってらっしゃーい」」


 双子に見送られてバウアーの学生たちが暮らす寮を出た。

 帝国国学館へと続く帝都の目抜き通りを歩いて行く。

 相変わらず人通りが多い。

 行き交う多国籍な人たちの間をすり抜けながら、クレア様と私は歩みを進めた。


 メイとアレアをお休みにしたので送り迎えの時間消費がなかった。

 そのため、結構話し込んだにも関わらず、いつもよりも時間に余裕があった。

 周りの景色を楽しむ余裕がある。


「こんなにのんびり登館するの、久しぶりですね、クレア様」

「……ええ」

「……クレア様?」


 どうも先ほどからクレア様の様子がおかしい。

 何かに思い悩んでいるように見える。

 どうしたんだろう。


「クレア様、どうかなさいました? なさいましたね?」

「決めつけるんじゃありませんわよ。……でもまあ、今回はその通りですわ」


 苦笑いした後、クレア様ははあと大きく溜め息をついた。


「わたくし、ちょっと自信をなくしましたわ」

「自信? なんの自信です? 私に愛されている自信ですか? なんなら今夜にでも取り戻させて上げますけれど」

「レイは茶化さないと生きていけないんですの? 真面目な話です」

「……ごめんなさい」

「まあ、元気づけてくれようとしているんだって、そろそろ長い付き合いですから分かりますけれどね?」


 でも、今は真面目に聞いて下さいな、とクレア様は続けた。


「メイが幼稚舎に通いたくないと言い出したとき、わたくしはまず、道理を説こうとしました。でも、レイは違いましたわよね? あなたはまず、メイとアレアに寄り添おうとしました」


 どうもクレア様にとっては、その差がショックだったらしい。

 クレア様が何を悩んでいるのか、私にも何となく分かってきた。


「わたくしの言おうとしたことは、間違ってはいなかったでしょう。内容も道理にかなったものではあったでしょう。でも、メイやアレアの気持ちを考えたものではなかった気がしますわ。正解の押しつけ……とでもいいましょうか」


 クレア様はそう言って眉を寄せた。


「それに対してレイは、まずメイとアレアがどう感じているか、どうしたいかを問いましたわ。わたくしは、レイの接し方の方が正しい……いえ、よりよいと感じましたの。あなたの接し方と比べると、自分がいかに型にはまった考え方しか出来ていなかったか、痛感しますわ」


 はあ、とクレア様は再び溜め息をついた。

 これはいけない。


「クレア様、ちょっとここで待ってて下さい」

「……レイ?」


 きょとんとするクレア様を置いて、私は近くの果物屋へと歩いていった。


「お姉さん、この苺下さい」

「お姉さんだなんて、冗談はよしとくれ。あたしゃもうあんたくらいの娘がいるおばさんだよ」

「え、見えない」

「あっはっは、上手だねぇ。ちょっとまけたげる。ちょうど時期も終わりだしねぇ」

「ありがとうございます」


 料金を払って紙袋に包まれた苺を受け取ると、私はクレア様の元へ戻った。


「はい、クレア様。どうぞお一つ」

「また買い食いなんてして……。というか話はまだ終わっていませんわよ」

「ええ、続けるつもりです。それはそれとして気分転換しましょう」

「……もう……」


 仕方ない人、と言いながら、クレア様は素直に苺に手を伸ばしてくれた。

 女将さんはそろそろ時期が終わると言ってたが、採れたてらしい苺は口に放り込むと爽やかな酸味と甘みがじゅわっと広がる。

 いい苺だ。


「美味しいですわね」

「ええ。きっと熟練の農家さんが育てたものですね。子育ても同じだと思うんですよね、私」

「? どういうことですの?」


 クレア様がもう一つ私の手元から苺をつまんで口に入れながら、疑問の表情をした。


「経験が大事なんだろうなあって」

「え!? レイ、あなた子どもを育てた経験がありますの!?」


 もちろんここでクレア様が言っている子育ての経験というのは、私の前世のことだ。


「いえいえ、違います。私が育てた経験じゃないです。むしろここでは、育てられた経験ですね。以前、私の初恋のことをお話ししたの、覚えていらっしゃいますか?」

「もちろんですわ。例のどろっどろの四角関係のことですわね」


 私が小咲に恋をし、それがきっかけでこじれにこじれた私の傷である。


「あの時の母が、ちょうどさっきの私のように接してくれたんです。私も、メイと同じように学校へ行きたくない時期がありましたから」


 初恋に手ひどく破れた、あの直後のことである。


「私自身がああして貰えて良かった、と思ったことをしたまでです。今回はたまたま、それがハマっただけですよ」

「でも、わたくしは――」

「クレア様はいい子過ぎたんだと思います」

「いい子過ぎた?」

「はい」


 以前にも述べたと思うが、クレア様は悪役令嬢になる前は、とても聞き分けのいい子だった。

 むしろ良すぎるというくらいに。


「多分ですけれど、クレア様やクレア様のお母様を始めとする貴族の方々が受けてきた教育というのは、大義名分や正当性というものが重視される教育だったと思うのですよね」

「それは……確かにそうかもしれませんわ」

「ですよね。ですから、クレア様にとっては、さっきのクレア様のような応対が正解になったんです。それに反発を覚えもしたでしょうけれど、ミリア様が説明上手でいらしたこと、クレア様が聞き分けが良かったこともあって、それで何も問題が無かったんだと思います」

「……」


 クレア様は少し遠い目をした。

 在りし日のミリア様との時間を思い出しているのだろうか。

 一応、確認しておくと、ミリア様というのはクレア様のお母様の名前である。


「実際、私の前世でも、教育のあり方については対立がありました。社会が期待する理想像へと個人を近づける方向性か、個人の一人一人の個性を尊重する方向性か。クレア様が受けた教育は前者に近く、私が受けた教育は後者に近いですね。どちらにも利点があり、どちらにも欠点があります」

「……」


 私は苺をまたひと囓りして続けた。


「例えばさっきのメイに対して、教育機関というものは通うものだ的な言い方をすることも出来ますし、それで上手く行く場合もあると思うんです。今回は違う展開になりましたが、私の接し方の結果、二人が幼稚舎に通わなくなった可能性だってあるわけで、それなりに危険性はあったわけです」

「でも、結果的にはレイが正解でしたわ」

「ですから、経験です。クレア様が社交ダンスを嫌がった時と、私が登校拒否をした時。メイの場合は私の場合に近いと思ったんです。ですから、私は今回、クレア様の言葉を遮ってでも、ああいう言い方をしました。上手く行ったのは、幸運も大きいと思いますよ」


 メイもアレアもあの年齢にしてはびっくりするぐらい物を考えている子たちだし。


「とにかく、私が言いたいのは、クレア様の子育て観が間違っていたわけではない、ということです。時と場合によって、何が最適なのかは変わってくるんだと思います」

「……それは単なる慰めではなくて?」

「純然たる本音です」

「……ありがとう、レイ」


 そう言うと、クレア様は苺の最後の一粒を差し出して来た。


「お礼にこの一粒は差し上げますわ」

「あーんして下さい。あーん」

「ふふ……バカ」


 口ではそう言いながらも、クレア様はあーんをしてくれた。

 うん、さっきよりも五割増しで甘い。


「私もこれからしょっちゅう子育てでやらかすと思うので、その時は指摘したり助けたりして下さいね」

「ふふ、かしこまりましたわ。これからもよろしく、レイ」

「こちらこそ」


 別にケンカをしていたわけではないが、少し重たくなっていた空気が晴れていった。

 メイとアレアが大切だからこそ、こういう風に真剣に悩んでしまうこともある。

 でも、出来るだけ考えてることを話し合って、二人で乗り越えて行きたい、と思う。


 そしてそれは、きっとクレア様だって同じだと私は思うのだ。

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