第158話 帝国の食糧事情

 昼休みを告げる鐘が鳴った。


「ふむ。午前の講義はここまで」


 教師は短くそう言うと、さっさと退室していく。

 相変わらず愛想の欠如した人だが、時間内にきちっと講義を終わらせるのはさすがだと思う。


 と、その時、大地が揺れた。


「地震だ!」


 教室中がパニックになる中、私はクレア様を庇って覆い被さった。

 地震は、一分ほどで収まった。


「大きかったですわね、今の地震」

「ええ、最近、多いですね」


 王国を出る前にロッド様とも話していた通り、このところ地震が頻発している。

 サッサル火山の例があるので、帝国でも不安を覚える人は増えているらしい。

 もっとも、地震大国である日本出身の私にとっては、このくらいの頻度は日常感覚なのだが。


「クレア、レイ、大丈夫だった?」

「フィリーネ様」

「ご心配頂き恐縮ですわ。でも平気ですわ」


 心配げな表情でフィリーネがやって来た。


「そう、ならよかった。一緒にお昼を頂きましょう?」


 お昼に誘ってくれているらしい。

 いつもならばここにラナとフリーダが加わって一緒に食事をするのだが、あいにくと今日は勝手が違う。


「ごめんなさい、フィリーネ様。今日はわたくしたち、お弁当を持って来ていませんのよ」


 メイとアレアの不登校騒ぎがあったので、今日はお弁当を作る時間がなかったのだ。

 正確には作りかけだったのだが、それはメイとアレアの朝ご飯になった。

 クレア様と私は朝食も抜きだったのでお腹がぺこぺこだ。

 しかし、クレア様の表情は優れない。


「でしたら、お二人は食堂ですか……」

「そのつもりですわ」


 クレア様に声を掛けるフィリーネも苦笑気味である。

 なぜか。

 実は学館の食堂はあんまり美味しくないのだ。


「なら、私も場所だけご一緒してもいいですか?」

「それはもちろん。施設としては悪くないんですのよね、ここの食堂」

「あれでも一応、帝国の正式な食事を提供している場所なんですけれどね」


 食堂への道を歩きながら、フィリーネとクレア様の会話を私は聞いていた。

 二人は相変わらず仲が良い。

 嫉妬なんかしてない。

 ないったらない。

 正妻の余裕。

 よし。


 歩くこと数分で食堂に到着した。


「今日もがらんとしていますわね」

「ここは人気がありませんから」


 散々な言われようの食堂だが、設備自体は清潔感があり広々としている。

 私の前世で言う大学の学食ほどの大きさはあるだろう。

 建材こそ鉄筋コンクリートではなく木材が多いが、その分温かみのある印象で、テーブルや椅子のしつらえも悪くない。


 問題は料理だけなのだ。


「おば様、今日の献立はなんですの?」

「羊肉と野菜の煮込み、ソーセージ、ザワークラウト、パンだね」


 食堂のおばちゃんが愛想なく簡潔に答える。

 恰幅のいい、いかにも肝っ玉母さんといった感じの女性である。

 メニューは以前ここで食べたときとほとんど変わっていない。

 この食堂ではメニューを複数の中から選ぶ、などという自由はない。

 曜日ごとに決まった料理を利用者全員が食べるのだ。


「じゃあ、それを二人分下さいな」

「あいよ」


 クレア様の声に、厨房の中からやる気のない声が返って来た。

 私はクレア様の後ろに控えつつ料理を待った。


「じゃあ、私は席を取っておきますね」

「争奪戦になるほど混んでいますかしら?」

「お料理がイマイチな分、せめて席くらいはいい席で食べたいじゃないですか」

「それもそうですわね。お願いしますわ」

「ええ」


 フィリーネがお弁当を抱えて離れていく。

 その姿を目で追うと、彼女は窓側の日当たりと景色のいい席を確保してくれているようだった。


「あいよ、お待たせ。持っていきな」


 おばちゃんが料理を載せたトレイを出してくれた。

 この間五分も掛かっていない。

 おそらく、作り置きを温め直して出すだけなのだろう。

 そこはまあ、仕方ないと思う。

 一般の料理店だって下ごしらえはするし、ゼロからいちいち作る店は少ない。

 それはいいのだ。

 問題は――。


「……」

「クレア様。じっと見つめても美味しくはなりません。諦めましょう」

「そうですわね……」


 私はクレア様を促して、フィリーネが確保してくれた席に向かった。


「それじゃあ、いただきましょう」

「いただきますわ」

「いただきます」


 私と同じく手を合わせる二人を見ると、ここはやっぱり日本のゲーム会社が作ったゲームの世界なのだなあと実感する。

 ここが完全に中世ヨーロッパな世界なら、食事の前は宗教的な祈りになるのだろう。


 などということをぼんやり考えながら、まずはパンを千切って口に運ぶ。

 うん、固い。

 上等な小麦ではなく、質の悪い小麦や大麦を使っているせいだろう。

 酵母もよくないのかもしれない。

 バターの割合も少なそうだ。

 食べられないほどまずくはないが、決して美味しくはない。


 とはいえ、これはまだ序の口。

 次はスープに口をつけた。

 シンプルな塩味ときつい香辛料の香りがする。

 使われている羊肉はラムではなくマトンである。

 香辛料自体は嬉しいが、きちんと計算されておらず、ただただマトンの臭みが消せれば良い、といったような適当さだ。

 野菜も煮えすぎでくたくたになっている。

 これまた決して美味しくない。


 ザワークラウトは普通だ。

 普通だが取り立てて褒めるべきところもない。

 キャベツの漬物という以上の感想はない。


 唯一の救いがソーセージである。

 これは食べられる。

 美味しい。

 ただ、メインのタンパク質源はマトンのようで、ソーセージは副菜であるため量がそれほどない。

 むしろマトンをやめてソーセージでスープを作った方がいいと私なら思う。


 とまあ、以上のように、帝国のオフィシャルな食事というのは、決して美味しくない。

 これはこの世界では結構有名な話で、前世でいうイギリス料理の悪名のようなものである。

 イギリスのそれと違って、実際に美味しくないところが救いがない。


「……」


 作って貰ったものに文句を言うなどということは決してしないクレア様ですら、黙々と食べるのが精一杯という有り様。

 これだけで帝国の食事がどのようなものかお分かり頂けるのでないだろうか。


 もちろんこれにはいくつか理由がある。


 まず第一に帝国の伝統的な食事観がある。

 帝国の富裕層は伝統的に質素な食事を奨励し、華美を戒めて来た。

 そのため、公的な場の食事から贅沢が消えてしまったのだ。

 イギリスのジェントルマンが質素な食事を愛したのと同じ構図である。


 また帝国の社会制度的な理由もある。

 帝国では若者が奉公に出ることが多く、幼い頃に親元を離れて住み込み仕事をするのだ。

 そのために、いわゆるお袋の味が継承されず、知識のない若者が作る食事は結果的に美味しいものにはならない。

 食事文化における負の再生産である。


 シェフやパティシエの社会的地位が伝統的に低いことも挙げられるだろう。

 長く他国との戦争が続いている帝国において、尊ばれる職業はやはり軍人である。

 シェフやパティシエのような職業は、そうした戦いに向かない人たちが就く職業とされ、潜在的な差別の対象となっている節がある。

 もちろん、軍に同行する料理人だっているし、そもそも食事は軍事にとって非常に大切な要素なのだが。


 勘違いしないで貰いたいのは、これらのことは飽くまで帝国の公的な食事に限った話であるということだ。

 先に見た帝国の中央市場では、他国の様々な食材が所狭しと並んでいた。

 他国からの留学生や移住者もたくさんいる。

 そんな中で、国民たちがまずい食事を続けるはずがない。

 つまり、民間には美味しいものはたくさんあるのだ。

 帝室を始めとする帝国の富裕層が、頑なにそれを拒否しているのである。


 その証拠に、王族であるフィリーネの弁当も、クレア様や私が食べているものとさほど変わらない。

 だからこそ、フィリーネはチョコレートと落雁にあれほど感激したのだ。


「レイ、眉間に皺が寄ってますわよ?」

「すみません。でも、料理をここまでまずく作ることには、怒りすら覚えます。食材への冒涜です」

「……ごめんなさい」

「フィリーネ様が謝る事じゃありませんわよ。こればかりはお国柄としか言いようがありませんわ」

「でも、外務関係者の間でも頻繁に問題になってるみたいなんです。帝国の料理は他国からの貴賓に非常に評判が悪いと」


 そりゃあそうだろう。

 歓迎の席でこんな料理を出された日には、毒殺を疑うレベルである。


「あたしたちだって、不本意なんだよ」


 ふいに掛けられた言葉は、厨房から出てきたおばちゃんのものだった。

 どうやら話が聞こえていたらしい。


「あ、ごめんあそばせ。決してあなた方を非難するつもりは――」

「いいんだよ、それは。分かってるんだ。ここの料理は決して美味しかぁない。でも、あたしたち料理人だってこんな料理で満足してるわけじゃあないんだ」


 そう言うと、おばちゃんは小皿に取り分けた白い塊を人数分配った。


「パンにつけて食べな。別に他の使い方したって、あたしらは文句言わないがね」


 そう言うと、おばちゃんは意味深に笑った。


「どういうことですか?」


 フィリーネが首を傾げている。


「恐らく、こういうことかと思います」


 私はバターを半分切り分けてスープに投じた。

 味をみると、先ほどよりもコクが増して遙かにマシな味になっている。


「あら、美味しくなりましたわ」

「そうかい」

「これ、最初からそういう味付けにしておいたらいいのでは?」


 私が言うと、


「前に味付けを変えたら怒られてねぇ。帝国にだって美味い料理はいくらでもあるのにねぇ……。ツヴィーベルクーヘン、シュパーゲルズッペ、アイアーシェッケ……今はもう忘れられた味だよ」


 ぶつぶつ言いながら、おばちゃんは厨房に戻っていった。

 彼女が口にしたのは元の世界でドイツの郷土料理だったものだったはずだ。


「……これ、なんとかならないんですか?」

「私もなんとかしたいんですけれど、肝心のお母様が何も問題を感じていらっしゃらないので……」


 うん。

 私、ドロテーアとはやっぱり分かり合えそうもない。


 とはいえ、食事は食事なので、残すことはあり得ない。

 私たち三人は決して美味しくない食事を、時間を掛けて全て食べきった。


「ごちそうさま……でした?」

「疑問文にするのはおやめなさいな」

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