第152話 笑顔
※教皇クラリス=レペテ三世視点のお話です。
「きょーこーさま、どうしたのー?」
「わたくしたちのかおになにかついていますのー?」
幼い双子――名前はメイとアレアといったか――が私の方を訝しげに見ている。
訝しいという表現は適切ではないかもしれない。
その視線に怪訝な色はなく、むしろ単純に疑問という感じである。
ここは私が仮の住まいとしてお世話になっているレイとクレアの部屋だ。
今、クレアは出かけていて、私はメイやアレアと一緒に留守番をしている。
情けないことに私は普通の生活をする上で必要な家事の一切が出来ないので、大人しくメイとアレアの相手をして過ごしている。
実際には私の方が二人に世話されているようなものなのかもしれない。
「なんでもありません。ただ、二人は可愛らしいなと思いまして」
私は率直に感じたことを述べた。
これは私にとってとても貴重な経験だ。
教皇としての私は、自分で感じたことを自由に表現する機会すらほとんどない。
私の発言、表情、そして思想に至るまで、それは教会という大きな組織のそれとして捉えられかねないからだ。
私はそれを重荷と感じることはない。
生まれたときからそうあれかしと育てられ、そのように生きてきた。
教会の表象として生きることが、私の人生そのものなのである。
私という存在は、
「ほめられた? ねぇ、きょーこーさま、メイたちほめられた?」
「ええ」
私がこくりと頷くと、メイが満足そうに笑った。
しかし、アレアの方はいささか不満そうである。
「きょーこーさま、かわいいものをみたら、わらうものですわよ?」
「笑う?」
「ええ。そんなおかおでかわいいといわれても、ほんとうにそうおもっているかどうかわかりませんわ」
むしろちょっと怖いですわ、と言われて、私は困ってしまった。
「アレア、笑うというのは、どうすればいいのですか?」
「え?」
私の素朴な質問に、アレアはそんなことを聞かれるとは思わなかった、という顔をした。
「きょーこーさまは、わらいかたがわかりませんの?」
「はい」
「わらったことは?」
「ないと思います」
「まあ、たいへん。メイ、どうしたらいいのかしら?」
アレアはメイと何やら相談しだした。
笑うということは、きっととても大変なことなのだろう。
「メイにまかせて! かんたんだよ! こうするの!」
メイが抱きついてきて、脇腹をくすぐってきた。
「あれ? きょーこーさま、くすぐったくなーい?」
「くすぐったいです」
「でもわらわないね?」
「そのようです」
「アレアもてつだって! ふたりでくすぐればきょーこーさまもわらえるかもしれないよ!」
「かしこまりましたわ」
アレアも抱きついてきて二人して私をくすぐる。
しかし、
「わらいませんわね?」
「おっかしいなー」
私は笑えなかった。
くすぐったくはあるのだが、それが笑うという行為に結びつかない。
その後も、メイとアレアはあの手この手で私を笑わそうとしてくれたが、結局、私は笑うことが出来なかった。
「ごめんなさい、メイ、アレア。折角頑張ってくれましたのに」
「きにしないで、きょーこーさま。でも、わらうのがむずかしいひとっているんだね」
「わたくしたちなんて、まいにちまいじかんまいびょうだってわらっていますのにね」
不思議ねー、と双子が顔を見合わせる。
「でも、きょーこーさまはメイたちをみてかわいいっておもったんでしょー?」
「はい」
「それならきっと、そのうちわらえますわ。レイおかあさまがいっていましたもの。かわいいはせいぎだって」
可愛いは正義。
笑うことと正義がどう結びつくのか、私には分からなかった。
笑う、ということはとても奥が深い。
結局、その日はほどなくしてクレアが帰宅し、その話は有耶無耶になってしまった。
でも私は、自分が笑えないということに、少し胸の奥がもやもやするのだった。
◆◇◆◇◆
翌日、私はクレアを伴って帝国内にある修道院を訪れていた。
本来、命を狙われている私はあまり出歩かない方がいいのだが、ずっと家に引きこもっているのもレイらしくない。
というわけで、私はクレアにお願いして修道院に連れてきて貰ったのである。
ここに来た目的は、
「あ、クレア様とレイ様だー!」
「メイとアレアもいらっしゃーい」
「こんにちは、みんな。元気にしていまして?」
「「「はーい!」」」
ここに子どもたちがたくさんいると聞いたからだ。
クレアたちはバウアーにいた頃から積極的に修道院を訪れて寄付をしたり慈善事業に精を出したりしていたらしい。
その活動は帝国に来てからも変わっていないらしく、この修道院でももうすっかり顔なじみのようだ。
「みなさん、クレア様たちを困らせてはダメよ? いらっしゃい、クレア様、レイ様」
「また来てしまいましたわ、カーヤ。わたくしたちこそお邪魔じゃなくて?」
「とんでもありません。この子たちもお二人が来るのを楽しみにしていますもの」
「それならいいのですが。これ、お土産のお菓子ですわ。皆さんで分けて下さいな」
「「「わーい!」」」
クレアが下げていたバスケットを渡すと、子どもたちから大歓声が上がる。
カーヤと呼ばれた修道女が困ったように眉を下げた。
「こら。ちゃんとお礼を言わないとダメでしょう? 言えますか?」
「「「クレア様、レイ様、ありがとうございます!」」」
「どういたしまして。メイ、アレア、皆さんと遊んでいらっしゃい」
「はーい!」
「かしこまりましたわ」
子どもたちはバスケットを持って修道院の庭へ走って行く。
花壇の側に座り込むと、早速お菓子を分け始めたようだ。
「レイ様、どうかなさいましたか?」
「?」
声を掛けられ、私はきょとんとしてしまった。
私は何かおかしなことをしただろうか。
「どうも元気がありませんから。普段であれば、子どもたちに混ざって遊んでいらっしゃたりしますのに、今日はどこかこう……上手く言えないのですが」
やはり、レイをよく知る者からすると、今の私は違和感があるらしい。
顔の作りこそよく似ていても、やはり別人ということなのだろう。
それはそうだ。
でも、この身体は本来、
「私はよく子どもたちと遊んでいるのですか?」
「え? ええ……、そうですよね?」
「レイは中身はお子様ですからね。子どもたちと混ざって遊ぶくらいで丁度いいんですのよ」
「……」
なるほど。
「子どもたちと遊んでいた時の私は、笑っていましたか?」
「それはもう! とても楽しげに笑っていらっしゃいましたよ」
「そうですか……」
私はカーヤとクレアの元を離れると、子どもたちの輪の方へ歩いて行った。
近づくと、子どもたちが座ったまま見上げてきた。
「どうしたの、レイ様ー?」
「レイ様もお菓子食べるー?」
「レイおかあさまの分もあるよ!」
「まずはおすわりくださいな」
アレアに手を引かれて、子どもたちの輪に加わった。
「おかしをつかっておままごとをしていますの」
「メイはいちばんうえのおねえさんなんだよ!」
「私がお母さん!」
「ボクがお父さんです」
「オレ、おままごとじゃなくて鬼ごっこがいい」
「後で鬼ごっこもしましょう? 今はせっかくお菓子があるんだから、おままごとにつきあって?」
私は子どもたちの中で繰り広げられる会話を興味深く聞いた。
こんなに幼い子どもの間でも、様々なコミュニケーションが行われている。
その内容は驚くほど複雑で、使われる言葉、イントネーション、表情の組み合わせは無限とも思えるほどだ。
私は軽くめまいのようなものを覚えたが、それは決して苦痛ではない。
むしろ、とても好ましいものに思えた。
元々ここに連れてきて貰ったのは、メイとアレアの二人だけですら可愛いのだから、もっとたくさん子どもがいるところに行けばもっと可愛いのではないか、という単純な発想だった。
だが、子どもの集合体というのは想像以上に複雑で、そして面白いと思えた。
可愛いだけではないのだな、と私は認識を新たにした。
「レイ様、めしあがれ?」
小さい女の子が焼き菓子を差し出してくれた。
どこか内気そうな子で、先ほどからちらちらとこちらをうかがっているのに気づいていたのだが、私はどう反応するべきかが分からなかった。
「珍しいじゃない、ユリア。いつもはレイ様を怖がるのに」
「今日のレイ様は、あんまり怖くない」
そう言うと、ユリアは私の横にちょこんと座ってほんのり笑ったのだった。
入れ替わって以降、レイと比較して劣った評価しかされて来なかったので、ユリアのその一言は私にとても温かな気持ちを呼び起こした。
しかしその気持ちも長くは続かない。
私は、そのようには出来ていないからだ。
それでも、気がつくと、私は彼女の頭を撫でていた。
子ども特有の細くて柔らかい髪の感触がする。
ユリアはくすぐったそうに目を細めている。
「おあじはいかがかしら、レイおかあさま?」
いつまでも菓子を口に運ばない私にじれたのか、アレアがそんなことを聞いてきた。
今日の焼き菓子はアレアが焼いたものである。
レイのそれには及ばないらしいが、私の目には上手に焼けているように見えた。
「……美味しいです」
一口かじると、スポンジ生地が口の中でふわりとほどけ、砂糖の甘さとバターの濃厚な風味が口いっぱいに広がった。
少し遅れて、何かの柑橘類の香りが鼻腔を擽る。
立場上、あまり甘味を口にすることのない私にとって、それはとても新鮮な体験だった。
「おくちにあいまして?」
「アレアのおかしはおいしいでしょー?」
「えっ、これアレアが作ったの?」
「すげぇ」
「レイ様並みじゃない?」
子どもたちも、これを美味しいと感じているようだった。
同じ感覚を共有出来たことに、私は気分の高揚を覚えていた。
その後も子どもたちに混じって色々な遊びに興じた。
体力のない私はついていくのがやっとで、子どもたちに「今日のレイ様よわーい」などとからかわれた。
でも、私は何度も楽しいという感情を呼び起こされ、その度にその感情を殺されねばならなかった。
「それではカーヤ、みんな。また来ますわ」
「はい。またいらして下さい」
「「「ばいばーい!」」」
カーヤと子どもたちに見送られて、私たちは修道院を後にした。
「どうでしたかしら、教皇様。普段はあまりこういう場所にはいらっしゃらないでしょう?」
「そうですね」
立場上、私が接するのは各国の高官や王侯貴族といった人が多い。
もちろん、修道院や恵まれない人々と接する機会もあるが、それはどちらかというと政治的パフォーマンスの側面が強い。
こんな風にゼロ距離で子どもたちと遊ぶなどという機会はこれまでなかった。
教皇が聞いて呆れるというものである。
「とても、得がたい経験でした」
本当にそう思う。
こんな機会がなければ、一生知らずにいたかもしれないことを、今日はたくさん学んだ。
これまでに感じたことのない感情を、自分の中にたくさん感じた。
「あら。ほら、ご覧下さいな、教皇様」
くすくす笑うクレアが指を指す方を見ると、修道院の門の所で小さな人影が手を振っていた。
ユリアである。
小さな手を懸命に振って、私たちを見送ってくれている。
私は彼女に手を振り替えした。
こちらの反応に気がついたユリアの手が、一層大きく振られる。
「教皇様、今、ご自分がどんな顔をなさっているか分かりまして?」
「いえ、普段と同じだと思いますが」
「ふふ……、笑っていらっしゃいますわよ」
「……!」
私はペタペタと自分の顔を触った。
確かに目尻が下がり、口角が上がり、頬肉が持ち上がっている。
これが、笑うということ。
「また来ましょう」
「ええ、ぜひに」
レイとしてはもう来られないかも知れない。
でも、私は必ずまたここを訪れる、と決めた。
「今日はありがとうございました、クレア」
「いえいえ。わたくしも来られて楽しかったですわ」
クレアは穏やかに微笑んでいる。
きっと彼女は、レイといる時はもっとたくさん笑うのだろうな、と思った。
クレアの穏やかな笑顔を見ながら、私は思う。
許されないことと知りながら、願う。
幸せそうな彼女たちが、どうか
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