第153話 強襲
いよいよ会談の当日になった。
流石に会談本番は本人が出るのだろうと思っていたら、御簾の裏には私が立ち、ミシャが風魔法を使って教皇様の声を届けるらしい。
つまり、本番も私が出るのだ。
それを説明したときのリーシェ様は、
「事実を知ったら、ドロテーア陛下は激怒するでしょうけれど、背に腹は代えられません」
と、苦々しい口調だった。
教会としても本意ではないのだろう。
私は既に会談場に作られた御簾の中にいる。
後からドロテーアたちがやってくる手はずになっているので待機中だ。
御簾の周りには警備の兵たちが立っており、その中にはクレア様、リリィ様、ミシャ、そして私のフリをしている教皇様の姿もある。
教皇様は御簾のある場所から見てドロテーアの席とは反対側に立っている。
ドロテーアからは見えない位置なので、口を動かしても大丈夫、というわけだ。
「ドロテーア=ナー皇帝陛下、おいでになりました」
やって来たドロテーアはいつもの漆黒の甲冑姿だった。
これが彼女の正装ということなのだろう。
マントを翻しながら足早に歩いてくると、自らの席の前に立って名乗った。
「ドロテーア=ナーである。此度は実りある会談を望む」
短く言ってから、どかりと腰を下ろした。
お付きの者が真っ青な顔をしているが、本人は涼しい顔だ。
相変わらず、自己中心的な人である。
彼女にとってはこれが「合理的」なのだろう。
「クラリス=レペテ三世です。本日はよろしくお願い致します」
対する教皇様は飽くまでマイペースだった。
世辞や外交儀礼を極力排しているのは、恐らくドロテーアに配慮しているからだろう。
教皇様は続ける。
「会談に先立っておうかがいしたいことがあります」
「何か?」
「サンドリーヌに私を狙わせたのは、あなたですか?」
教皇様の率直な物言いに、会談場がどよめいた。
私も驚いている。
いくらドロテーアが率直な物言いを好むとはいえ、これは流石に率直すぎやしないか。
「ふむ。貴様が命を狙われているという噂はまことであったか。余ではない……と言えば、貴様は信じるのか?」
「信じます。あなたは嘘はつかない人とうかがっています」
冒頭から波乱の幕開けだ。
会場の空気がピリピリと張り詰めている。
しかし、
「ふっ……ふははは……! 今代の教皇はどうやら面白い人物らしい。気に入った」
「ありがとうございます」
からからとドロテーアは笑い、それに対して教皇様も柔らかく返した。
帝国側も教会側もほっと胸をなで下ろした。
「貴様の命など興味はない。余の国には今、教会を相手するだけの余力はないしな。この国にいる限り、貴様の安全は保証してやろう」
「心強いお言葉です。それでは会談を始めましょう」
私はかねてからの打ち合わせ通り、半分上げられた御簾から手を伸ばした。
皇帝がそれをがっちりと握る。
ものすごい力だ。
痛い。
「ふむ……、そういうことか」
皇帝が何やら一人で納得している。
何が得心いったのかは分からないが、皇帝はニヤリと笑った。
その後の会談はしばらく穏やかに続いた。
やりとりの中身こそ、教皇様が帝国の超積極外交に対して苦言を呈し、皇帝が内政干渉はやめろと突っぱねる緊張感の漂うものだったが、飽くまで外交的な交渉に終始した。
私もずっと気を張り詰めさせていたが、特別危険を感じるようなことはなかった。
このまま何事もなく終われば、などと思い始めた会談の終盤、それは起きた。
「ところで教皇。貴様の流儀では一国の主に対するのに、替え玉を使うのか? 命を狙われてるとはいえ、少々非礼が過ぎると思うのだが」
ニヤリと笑いながら皇帝が放ったその一言が、場にこの日一番の緊張をもたらした。
……バレている?
「何のことでしょう」
「とぼけるか。まあ、それはいい。しかし、その女は見逃せぬ。女、その魔道具が発動しないことが不思議か?」
皇帝の目が一人の女性を射貫いた。
リーシェ様だった。
「な、何のことでしょう」
「先ほどから貴様が発動しようとしているその指輪、魔道具だったのであろう? 残念だがそれは使えぬぞ」
「なっ……!」
「貴様の入れ知恵が役に立ったようだな、レイ=テイラー」
ドロテーアは御簾のこちら側を見て笑った。
リーシェ様も悔しそうに一瞬顔を歪めてこちらを見る。
「レイ……あなた……」
「申し訳ありません、リーシェ様。あなたが持ち込もうとした転移の魔道具は、すり替えさせて頂きました」
「!」
リーシェ様の顔が憤怒に歪んだ。
やはり、彼女が犯人か。
「どうしてそれを……」
「おかしいと思ったのは、サンドリーヌさんによる暗殺未遂の直後のことです。リーシェ様はこう仰いました。まさか
「それのどこがおかしいというの」
「おかしいですよ。だって犯行の凶器だったロザリオは私が握りこんでしまっていたので、リーシェ様はロザリオそのものは目にしていないはずです」
「で、でも、首に絞められた跡が……」
「それなら普通、紐かロープをまず疑いますよね? 即座にロザリオと看破するのはやっぱりおかしいですよ」
単純なうっかりだったのだろうが、私が疑いを持つには十分過ぎた。
私の指摘にリーシェ様は悔しそうに唇を噛んでいたが、やがて、
「そう……やっぱり分かっていたのね。あの時の教皇命令は差し詰め、あなたなりの意趣返しかしら?」
「そんなわけありません。こんな推理、本当は当たって欲しくありませんでした。私はあなたを信じたかった」
「甘いのね。私があなたなら、疑った時点で処刑しているわ」
「それでも、あなたはユー様のお母様だから」
「……!」
私の言葉に、リーシェ様がハッとしたような顔をした。
「茶番はそこまでにするがいい。ヒルダ、拘束せよ」
「はっ」
ヒルダの指示で、兵たちがやって来る。
リーシェ様は諦めたような顔で抵抗する様子はない。
しかしそこで、
『いやいやいや、それでは困るのですよ、リーシェ様』
聞き覚えのある、悪意に満ちた声が響いた。
「サーラス!」
「どこですの!」
『ごきげんよう、レイ=テイラーにクレア=フランソワ。そしてさようならです』
サーラスの嘲るような声とともに、辺りに魔力の気配が満ちた。
「ヒルダ、解析せよ」
「はっ……。こ、これは……!」
側に控えていたヒルダが血相を変えた。
「転移の魔法です! 何者かがこの場にやって来ます!」
「ふむ……。女、貴様、思い当たることはあるか?」
「……」
リーシェ様は黙り込んでいる。
しかし、その顔は蒼白で、彼女が何らかの企てに関わっていることは一目瞭然だった。
「お母様、何をなさるおつもりですか!?」
ユー様の悲鳴のような声が響いた。
リーシェ様はそれに対して、
「全て、あなたのためなのよ、ユー」
そう言って、引きつった笑いを浮かべた。
壊れた人形のような笑いだ、と私は思った。
次の瞬間、それは現れた。
「ほう……、魔族か」
その魔族は、人間のような格好をしたアリストとも、原始人めいた格好をしたプラトーとも違う異様だった。
硬質な輝きを放つ金属で全身が覆われた巨躯。
全体的に黒い色をしたその魔族は、上半身が人間、下半身が昆虫のような、そんな姿をしていた。
「名乗るがいい、魔族。冥土の土産に喋る栄誉を与える」
「ワシはラテス。三大魔公が一人、ラテスと申す」
ラテスと名乗ったその魔族は、上半身の人間の手で私を指し示した。
いや、私ではない。
その後ろ――本物の教皇様を指さしていた。
「そのおなごの命を刈り取りに参上した。邪魔をしなければ命までは取り申さぬ」
そう言うと、ゆっくりとした歩みで教皇様に歩み寄って行く。
「総員、戦闘隊形! レイ、あなたも応戦なさい! 替え玉の策はもうバレていますわ!」
クレア様が素早く指示を飛ばした。
それに従い、警護の兵達が動き出す。
私も御簾を飛び出して構えた。
先陣を切って、教会の僧兵たちがモーニングスターを振りかぶってラテスに殺到した。
「邪魔じゃ」
ラテスは構えることもなかった。
ただ無造作に、三対ある昆虫の足のうち前二つを薙いだだけ。
それだけで、僧兵たちは壁まで吹き飛ばされた。
「接近戦は控えて魔法で応戦なさい!」
相手の白兵戦力が高いとみるやいなや、クレア様が指示を切り替える。
それに呼応して、警備兵達から魔法弾が撃ち出された。
会談のための広い部屋とはいえ屋内だ。
巨躯のラテスに逃げ場はない。
全ての魔法弾が着弾した。
しかし――。
「邪魔じゃと申しておる」
魔族の歩みは少しも止まらなかった。
立ち上る噴煙の中から、たじろぎもせずに悠々と進み出てくる。
「これならどうでして!?」
クレア様がマジックレイの発射態勢に入っていた。
以前のアリストの時と違い、今度は消耗もない万全の状態だ。
「光よ!」
「闇よ」
放たれた四条の光を、同じく四条の闇が相殺する。
闇の柱はクレア様のマジックレイを完全に相殺しきり、さらにクレア様の元に襲いかかった。
「クレア様、危ない!」
私はクレア様に飛びかかってその身体を倒した。
すぐ頭上を闇の束が通過していく。
それは反対側の壁に直撃し、その一面を粉々に粉砕――いや、消滅させた。
「なんという威力ですの……」
クレア様が呆然と呟いた。
今のラテスの魔法は、明らかにクレア様のマジックレイを上回る威力だった。
「その魔法……お前様がクレア=フランソワか。あのおなごの次はお前様じゃ。順番を待ちなされ」
倒れ伏す私たちを尻目に、ラテスはさらに歩みを進める。
「教皇様!」
「さ、させません」
教皇様の前に、ユー様とリリィ様が立ち塞がった。
他の兵士たちはすっかり戦意を喪失している。
「アイシクルブレイド!」
ユー様が構える剣が、冷たい光を帯びた。
以前説明したこともあると思うが、彼女の戦闘スタイルは魔法剣士――通称氷の王子様、もとい氷の王女様だ。
ユー様はウィンプルを翻して間合いを詰めると、ラテスの前足に向かって切りつけた。
「!?」
しかし、その刃はラテスの足を浅く傷つけただけで止まってしまった。
ラテスは歩みを止めず、そのままユー様を踏み潰そうとした。
「ラテス! 約束ですよ!?」
悲鳴のようなリーシェ様の声に、ユー様を押しつぶそうとしていた足が寸前で止まった。
「そうじゃったな。約束は約束。お前様は見逃す。どこへなりとも行くがよい」
ラテスは足を横に振ると、ユー様の身体を跳ね飛ばした。
リリィ様が慌ててその身体を抱き留める。
「う……」
「ユー様、しっかりして下さい!」
リリィ様が懸命に回復魔法を掛けているが、傷は浅くはないだろう。
これでこちらの戦力はほぼ出尽くしている。
誰もラテスに有効な攻撃を与えることが出来なかった。
ラテスは既に教皇様のすぐ前にまで来ている。
万事休す――誰もがそう思った。
しかし――。
「余の前で好き勝手な真似はさせんぞ、魔族」
腰の鞘から二本の黒剣を抜き放ち、彼女は肉食獣のような笑みを浮かべた。
皇帝ドロテーア。
剣神の二つ名を持つ女傑が、ラテスの前に立ちはだかった。
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