第151話 未遂

 教皇様とドロテーアの会談の日まであと三日となった朝のこと。

 私はなんとか影武者の役割を全うしていた。

 相変わらず細かいボロは出してしまうものの、それでも少しずつこの生活にも慣れてきた。


「でも、食事にはちょっと慣れないなあ」


 精霊教会のトップという立場でありながら、教皇様の食事は非常に質素である。

 固いパンに何かの豆を煮込んだ薄味のポタージュ、ゆで卵に少しの果物というシンプルさ。

 革命直後のクレア様や私たちとあまり変わらない食生活だ。

 別に精霊教会は動物の肉が禁止というわけではないはずなのだが、これも修行なのだろうか。


「それでは、毒味させて頂きます」


 お付きの女性がそう言って食事に手をつけた。

 ただでさえ質素な食事を、さらにまずく感じさせているのはこれのせいである。

 教皇様は世界的なVIPであり、なおかつ今は命を狙われているということもあって、食事は全て毒味されている。

 水魔法の解毒を使えばいいのではと思われるかも知れないが、帝国にはカンタレラという前例がある。

 セイン様暗殺に使われた旧型のカンタレラなら私が解毒出来るが、ルイが使った新型や、もしかしたらさらに新しい組成のカンタレラが使われる可能性だってある。

 万能に思われがちな魔法という技術にも、限界はあるのだ。


 毒味役は私の身の回りのお世話をしてくれる修道女さんである。

 名前はサンドリーヌさんというらしい。

 彼女は教皇様の厚い信奉者だそうで、かなり幼い頃からこういうお仕事をしているのだとか。

 見た目はごく普通の修道女で、私と同じくらいの背丈の人だ。

 優しい目をした、人の良さそうな二十代くらいのお姉さんである。

 少し痩せ型なのは、やはり食生活が質素だからだろうか。

 そういえば教会関係者で太った人を見たことがない。


「……大丈夫です。お召し上がり下さい」


 サンドリーヌさんは食事を一口ずつ食べてからそう言って、また側に控えてくれた。


「ありがとう、サンドリーヌ」


 私が礼を言うと、サンドリーヌさんはこれもお仕事ですから、と柔和に微笑んだ。

 ポタージュを口に運びながら、私は少し罪悪感を感じていた。

 サンドリーヌさんは、入れ替わりのことは知らされていない。

 彼女は教皇様のために今日も命を懸けて毒味をしている。

 仮に彼女が毒で命を落としたとして、助かるのは彼女が敬愛する教皇様ではなく、赤の他人の私なのだ。

 それがとても申し訳なく思う。


「本日はまずリーシェ様が面会にいらっしゃるそうです。三日後の会談の最終打ち合わせをしたいと仰っていました」

「分かりました」


 替え玉のこともあって、私と直接接する人は限られている。

 事務的な報告はほぼ全てリーシェ様がしてくれている。

 リーシェ様は仕事の出来る人だった。

 会談の段取りなど教皇として必要な各種の情報に加えて、本物の教皇様やクレア様、そしてメイとアレアのこともマメに報告を上げてくれる。

 おかげで私は安心して影武者のお仕事が出来るというわけだ。


 本日の公務の予定を聞きながら、私は食事を終えた。

 メニューのバリエーションを増やす提案でもしてみようかな、などと思いながら、着替えに移る。

 今日もまたこの重たい法衣を着なければならないのか、と少し憂鬱になりながら。


「教皇様、少しお太りになられましたね」


 サンドリーヌさんの言葉にぎくりとする。

 顔こそそっくりだが、やはり体つきなどには違いがあるのだろう。


「帝国の食材がいいのかもしれませんね。教皇様に万一のことがあってはいけませんから、きっと最高のものを提供しているのでしょう」


 ありがたいことです、とサンドリーヌさんが自己完結してくれた。

 危ない危ない。


「後ろのボタンを留めますね」


 サンドリーヌさんが背後に回る。

 どうでもいいけど、この法衣って自分一人じゃ着られないよね。

 ジッパーならまだしも、背中側のボタンなんて手が届かない。


 ブルーメからジッパーを売り出せないかなあなどと考えていると、背後から小さな呟きが聞こえた。


「玉体に触れる栄誉を賜りましたことを、感謝致します」


 サンドリーヌさんには教皇である私の身体に触れるときに、神への感謝を口にしながらロザリオに口づけする癖がある。

 恐らく今も、彼女はそうしているのだろう。

 ただ、今日はやけに時間が掛かっている。

 どうしたのだろうと私が訝しんでいると、突然背後に強い魔力を感じた。


「っ……!?」


 振り向こうとしたその瞬間、首が絞まり呼吸が出来なくなる。

 何か細い紐のようなものが巻き付けられているようだった。


「サンドリ……ヌさ……ど……して……!」


 疑問はすぐにかき消え、どうしたらこの窮地を切り抜けられるかに頭が切り替わる。

 真相究明は後回し。

 今はまず自分の命を繋がねば。

 私は背後に向かって威力を極小に絞ったつぶてを放ち、サンドリーヌさんの身体を跳ね飛ばした。

 その身体が壁に叩きつけられる。


「はあ……っ……はあ……っ……!」

「……」


 あえぐように酸素を吸い込みながら、私は油断なくサンドリーヌさんを観察した。

 先ほどまでの温和な表情はそこにはない。

 目は光を失い、手にはロザリオが握られていた。

 恐らく、あの紐の部分で締められたのだろう。

 普通の紐ではちぎれてしまうはずなので、あれは絞殺を目的とした特別製のはずだ。

 よく見ると、ロザリオが怪しい光を放っている。

 ひょっとして……魔道具……?


「……」


 私の疑問をよそに、サンドリーヌさんが紐を構えて突っ込んできた。

 足取りはそれほど速くない。

 恐らく彼女は、運動オンチの本物の教皇様を想定してこの殺害方法を選んだのだろう。

 しかし、


「よっ……と」


 私は彼女の右の手首を掴むと、関節を極めて捻り上げた。

 サンドリーヌさんは少し抵抗したが、すぐに紐から手を離した。


「安眠」


 私は続けてサンドリーヌさんの額に指をつけると、水魔法の安眠を強めにかけた。

 平民運動の時に、クレア様を眠らせたあの魔法である。

 私の安眠は魔力の強いクレア様ですら昏倒させる威力がある。

 ただの修道女であるサンドリーヌさんは、抵抗することもなくその場に崩れ落ちた。


「ふう……」


 ひとまず窮地は脱したようだった。

 誰か人を呼ばないと……と、サンドリーヌさんのロザリオを拾い上げながら考えていると、


「教皇様!」


 ドアが乱暴に開けられ、人影が飛び込んできた。


「リーシェ様……」

「ご無事ですか!? 何やら大きな物音がしましたが!?」


 リーシェ様は息を切らしている。

 きっと全力で走ってきたのだろう。


「血が……!」

「ああ、跳ね飛ばしたときに切れたようです」


 どうやら私の首回りに傷痕がついているらしい。


「これは……サンドリーヌが?」

「ええ。でも彼女、正気を失っていたように見えました」

「彼女はまだ生きて……?」

「ええ、気を失わせただけです」


 事情を聞くまで、サンドリーヌさんの命を奪うわけにはいかない、と思ったのだ。


「こんなに真っ赤に痕がついて……。ごめんなさいね、武器や暗器の類いは調べていたつもりなのですけれど……まさかロザリオに細工をするなんて」


 リーシェ様は気遣わしげな顔をしながら、治癒魔法を掛けてくれた。

 おや、と私は思った。

 手の中に握りこんでいたロザリオをそのまま法衣の中にしまった。

 まだ結論は早い、と思いたかった。


 リーシェ様に続いて、教会の関係者がどかどかと部屋に入ってくる。


「これは……!」

「教皇様、お怪我を……!?」

「サンドリーヌが犯人だったのか……」


 何やら急に騒がしくなった。


「う……」


 僧兵に組み敷かれて、サンドリーヌさんが目を覚ました。


「私は……一体……」

「サンドリーヌ、教皇様殺害の咎でお前を拘束する」

「!? そんな……、私、そんな恐れ多いことしていません!」


 サンドリーヌさんは潔白を訴えた。

 しかし、彼女が少なくとも実行犯であることは、私が身を以て知っている。


「この期に及んで諦めの悪い……。裁判を待つまでもありません。この場で処断してしまいましょう」


 リーシェ様が物騒なことを言い出した。


「待って下さい。彼女には色々と聞きたいことがあります」

「そんな悠長な……。彼女の犯行であることはもはや明らか。ここは速やかに――」

「大丈夫ですよ、


 私はリーシェ様にだけ伝わるように言った。

 しかし、


「即座に処刑すべきです!」


 リーシェ様は強硬に処断を主張してくる。

 仕方ない。


「教皇である私の言うことが聞けないのですか?」


 私は最後の手段を使うことにした。

 リーシェ様と一対一ならなんの効果もない言葉だが、幸いなことにここには他の人の目もある。


「……かしこまりました。ご聖断に従います」


 リーシェ様を始め、一同が平伏した。

 うわー、これすっごく感じ悪いよね、私。


 その後、サンドリーヌさんは教会の取り調べを受けた。

 彼女によると、私の着替えを手伝っている途中から記憶がないということだった。

 自分を酷く責めているようで、理由はどうあれ教皇様を害そうとした客観的事実を突きつけられると、自ら処断されることを望んでいるという。


 取り調べには、必ず教会とバウアーの人間を両方同席させた。

 彼女の単独犯とは思えなかったので、口封じを防ぐためである。

 私の取りなしを聞いたサンドリーヌさんは、私が面会しに行ったときに、


「あなたに危害を加えた私などに、どうしてそこまでして頂けるのですか?」


 と、涙を浮かべて聞いてきた。

 私は上手い返しが思い浮かばなかったので、


「あなたがサンドリーヌだからに決まっているでしょう」


 と言ってみたのだが、彼女は感極まって泣き出してしまった。

 教皇様、なんかフラグ立ててたらごめんね。


 私は彼女の処遇をどうするかについては、背後関係が明らかになるまで待つようにと厳に言い含めた。

 そしてもう一つ、


「これも調べて貰わないとね」


 私はサンドリーヌさんのロザリオを、リーシェ様には内緒で密かにバウアーの関係者に渡して、解析して貰うように手配した。

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