第146話 初会合

 リーシェ様から教皇様の警護を依頼された次の日から、私たちはその準備にかかりきりになった。

 人を配備したり、警備のシフトの見直しをしたり、会談が行われる公会堂の見取り図をチェックしたり、とすることは山のようにある。


 当然だが、学館の方はお休みだ。

 評価に響くかと思いきや、その辺りは都合をつけてくれるらしい。

 ありがたい。

 ただ、試験は普通に受けさせられるので、休んでいた分の勉強は自分たちでしなければならないだろう。


「ヒルデガルト=アイヒロートです。どうぞヒルダとお呼び下さい」


 レボリリの攻略対象、最後の一人とも面識が出来た。

 彼女は帝国側の警備責任者として挨拶しに来たのである。

 当然だが、会談の警備は教会側だけが行うわけではない。

 会談には皇帝も出席するのだから当然だよね。

 その帝国側の警備責任者がヒルダなのだ。


 帝国の国力の一つに、強大な軍事力がある。

 帝国は各国に先んじて魔法という技術に力を入れ、その結果、魔法先進国となった。

 バウアーとは逆のパターンである。

 ドロテーアがいなければ、帝国の魔法技術部門こそが権力の中枢になっていたかもしれない。

 そして、ヒルダはそんな魔法技術部門に太いパイプがある。


 ヒルダはいかにも切れ者と言ったような風貌で、女性にしては珍しくモノクルをかけている。

 銀色の髪の毛と赤い瞳はリリィ様を思い起こさせるが、小動物めいた彼女と違い、ヒルダにはそれらしい怖さがある。

 フィリーネが言うには、


「ヒルダは一見怖いですけれど、実は優しい人なんですよ」


 とのことだが、私はレボリリの知識でヒルダの性根を知っている。

 彼女は野心家で、目的のためには手段を選ばないタイプだ。

 フィリーネがああ言うのは、彼女自身がヒルダの出世の種だからである。

 ヒルダはフィリーネの前では猫を被っているのだ。


「こちらが帝国側の警備計画です。ご確認下さい」


 そんな一癖あるヒルダだが、能力は申し分なく優秀だった。

 

 私たちは公会堂の一室に設けられた警備部の共同会議室で初の対面をしている。

 大勢の人間が出入りするので室内は広々としていた。

 机と椅子がいくつも並べられ、壁には警備に必要な資料が何枚も貼り出されている。


「ありがとう、ヒルダ。こちらが教会側の警備計画です。すりあわせをしていきましょう」


 対する教会側も、クレア様を筆頭に奮闘していた。

 慣れない仕事ではあったものの、教会のスタッフたちはリリィ様を筆頭に経験者揃い。

 頼もしい味方に支えられて、警備計画は順調に進んでいた。


「今回も、教皇様のご尊顔は拝せないのでしょうか」

「申し訳ありませんわ。教皇様は基本的に、そのお姿を人にさらされませんので……」


 クレア様や私が教皇様の顔に驚いたのは、これが原因である。

 一般人が教皇様の顔を見る機会は基本的にないのだ。

 会話をするにも人に会うにも、彼女はいつも御簾越しだからである。

 移動の際も輿に乗って移動するので、人々がその姿を目にすることはない。


「そうですか……。陛下を説得するのはまた骨が折れそうです」


 ヒルダ曰く、ドロテーアは教皇様が顔を隠して会談に臨むことが気に入らないようで、余計なことをしないように言い含めるのが大変らしい。

 放っておくと、御簾を切りつけてでも無理矢理その顔を拝もうとするかもしれない、とのこと。


「ドロテーア陛下は気が短いですからね。会談を実現させるスタッフたちは戦々恐々としていますよ」


 などと肩をすくめるヒルダだが、その顔は口調ほどには困っていないように見えた。

 そのことをヒルダに指摘すると、


「まあ、ドロテーア陛下だってこの状況下で教皇様に無体を働くほど外交音痴ではないでしょう。今、精霊教徒に反感を持たれれば、帝国は一気に厳しい状況に追い込まれますから」

「陛下を信頼していますのね」

「それはもちろん。陛下は合理を愛する方です。よほどのことがない限り、教皇様に対して失礼を働くことはないですよ」


 安心して下さい、とヒルダは笑った。

 どうでもいいけど、先に不安を煽るようなこと言ってきたのはそっちなんだけどね。


「ところで、フィリーネ様はどうですか? もうお会いになったのでしょう?」

「ええ。お優しい方ですわね。あの苛烈なドロテーア陛下のご息女とは思えないくらいに」

「ふふ、皆さんそう仰いますね。でも、意外に似ているところもあるのですよ」

「例えばどんなところですの?」

「フィリーネ様も芯がお強い。つまらないことでくじけてしまう方ではありますが、ここぞというとこでは踏みとどまれる方です」


 ヒルダはフィリーネを賞賛した。

 まあ、そこは同意である。


「バウアーの皆さんもぜひフィリーネ様の良き友人になって頂ければと思いますよ。特に、革命の旗手だったあなた方お二人とは」


 ヒルダは口元を緩めて笑った。

 そうすると、意外なほどに冷たい感じがなくなる。

 この微笑みにやられたプレイヤーは多い。

 でも、騙されてはいけない。

 きっとヒルダは裏でフィリーネに、真逆のことを言っている。

 私たちには気安く近づくなとかそんな釘を刺しているに違いなかった。

 彼女は自分がフィリーネの一番であることを望んでいるからだ。


「ええ、もちろんですわ。親しくさせて頂きたいと思います」


 帝国留学のための事前準備で、クレア様もヒルダの性格については学習している。

 ヒルダが猫を被っていることはクレア様も分かっているのだろうが、そこは流石クレア様。

 如才なく笑って外交に勤しんでいる。


「ところで……、教会側はもちろんご存知ですよね? 教皇様のお命を狙う輩がいるという噂」


 ヒルダが少し声のトーンを落として聞いてきた。


「断言しますが、賊は帝国の人間ではありません。先ほども少し言いましたが、帝国は教会を敵に回すわけにはいかないのです。今回の会談もドロテーア陛下にとっては少し屈辱的ではありますが、帝国が置かれた状況を考えれば受け入れる他ないのです」


 今回の教皇様行幸の目的は、他国侵略を続ける帝国に対して釘を刺すためなのである。

 戦争をすることで民が苦しむようなことはあってはならない、と帝国を諫めるために教皇様は帝国行きを決めたのだ。

 背景には、バウアー、スース、アパラチアの三カ国連合対ナー帝国という、大国間の戦争が起きようとしている今の構図がある。

 帝国に対してだけではない。

 教皇様は既にバウアーでセイン陛下とも会談しているし、帝国の後、スースやアパラチアにも行幸する予定である。

 リリィ様曰く、教皇様は戦争ムードが高まっていることに、ひどく心を傷めているらしい。


 ドロテーアからすれば宗教屋の内政干渉だとでも言って会談そのものを拒否したいところだろうが、帝国が置かれている状況がそれを許さない。

 三カ国軍と事を構える可能性があるのに、この上精霊教徒まで敵に回せば、いくら帝国の国力が大きかろうと、流石に無理が出る。


「ですから、教会側もぜひ警備は厳を期して下さい。猊下に万一のことがあった場合、一番困るのは帝国ですから」

「分かっておりますわ」

「件の元宰相の行方は、その後掴めましたか?」

「それについては……申し訳ありませんわ。まだ捜索中ですの」


 帝国はサーラスの脱獄についても知っているらしい。


「早く……出来れば行幸よりも先に捕まえて頂きたいですね。不安要素は少ないほどいい」

「ええ、全くですわ」

「聞けばその宰相、教会の重要人物と繋がりがあるとか。教皇様を害そうとしているのは、意外とその――」

「ヒルダ、そこまでですわ」


 続けてその「容疑者」の名前を挙げようとしたヒルダを、クレア様が遮った。


「わたくしたちとて馬鹿ではありません。そちらが心配なさっているようなことには、こちらもきちんと対策を立てます。ですから、お互い邪推に基づくような発言はあまりしないようにしましょう」

「……これは失礼を。お詫び申し上げます」


 そう言ってヒルダは軽く頭を下げた。


 そもそもサーラスは帝国とも繋がりのあった人物である。

 腹を探られるのは、あちらもイヤなのだろう。


「いえ、警備の責任者としては当然の心配ですわね。お察ししますわ」

「ありがとう。では、すり合わせを続けましょう」


 教会と帝国の初会合は、その後は何事もなく終わった。

 責任者であるクレア様は流石に疲れたようで、寮に戻るとぐったりしてしまった。


「……何やら予定外のことが色々起きますわね。当初は帝国の籠絡が目的だったはずですのに」

「仕方ありません。私の原作知識のそれとは、だいぶ状況が違いますし」


 メイとアレアの髪に櫛を通しながら、私はクレア様に言う。

 メイとアレアの髪型は、メイが私、アレアがクレア様に似ている。

 初めて会ったときは、メイはショート、アレアはロングだったなあ、などと考えながら。


「それでも、なんとかしませんとね。まずは目の前の仕事を一つ一つ片付けて行くとしましょうか」

「しっかり支えますよ」


 メイとアレアの髪をとかし終えてから、今度はクレア様の髪に櫛を通す。

 ちょっと枝毛が目立つかなあ。

 ストレスだろう、多分。


「頼りにしてますわよ」

「任せて下さい」


 少しでもクレア様の負担がなくなるように、私も頑張らないと。

 私はクレア様の髪に口づけを何度も落とし、決意を新たにするのだった。

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