第145話 思えばこそ

「ミシャは頭が堅すぎるよ!」

「ユー様はもう少し冷静になるべきです」


 夕方、隣の部屋から珍しく怒鳴り合うような声が聞こえてきた。

 夕食を食べていたクレア様、メイ、アレア、そして私は思わず顔を見合わせた。


「ユーさまとミシャおねえさまけんかー?」

「ふたりともこわいおこえでしたのー」


 メイとアレアも心配そうな顔をしている。

 あの二人が怒鳴り合うなんてよっぽどのことだ。

 ミシャは音を操ることの出来る魔法使いである。

 つまり今は、そんな余裕すら失っているということなのだ。


「レイ、ちょっと様子を見てきてちょうだい」

「あ、でも片付けが」

「それくらいやっておきますわ。いいから、早く」

「はい、それでは」


 私は「大丈夫だからね」と言ってメイとアレアの頭を軽く撫でてから、隣の部屋を訪れた。

 ドアベルを鳴らす。

 続いていた怒鳴り声が一瞬で静まり、やがて誰かが扉の方へと歩いてくる気配があった。


「……あら、レイ……」

「こんばんは、ミシャ。何かあった? 珍しくケンカしてたみたいな声がしたけど」

「聞こえてしまっていたのね。ごめんなさい。大したことじゃないの」


 ミシャは苦笑いして誤魔化そうとしたが、その瞳は真っ赤だった。

 泣いた後である。


「ちょっとお話聞かせて貰ってもいい? 邪魔だったら引き下がるけど」

「……」

「いいじゃないか、ミシャ。レイにも聞いて貰おう」


 ミシャと私の会話を聞いていたらしく、奥からユー様の声がした。


「……どうぞ」

「お邪魔します」


 ユー様とミシャの部屋に入ったのは、この国に来た最初の日以来だった。

 その時はまだがらんとしていたが、今は家具が運び込まれており、生活の匂いがする。

 二人とも信仰に生きる人なので、宗教的な意味合いのあるものも多いが、質素で素朴な生活を送っていることがうかがい知れた。


「今、お茶でも淹れるわ」

「あ、お構いなく」

「いいのよ。私も少し頭を冷やしたいし」


 そう言うと、ミシャはキッチンで紅茶を淹れ始めた。

 言い争いをした後でささくれ立っていた空気が、紅茶の香りに少し和らいでいく。


「悪かったね、レイ。キミたちの部屋にまで響くほど大声を上げていたつもりはなかったんだけど」

「いえ、それはいいんですが、珍しいですね。二人があんな声を荒らげるなんて」


 ユー様もミシャも穏やかな気性の持ち主だから、あんな風な声を聞くことになるなんて思ってもみなかった。


「ちょっと……、母のことで意見の相違がね」

「リーシェ様、ですか?」

「ユー様ったら、リーシェ様のことを端から疑って掛かろうとするんですもの」


 ミシャがティーカップを載せたトレイと一緒にリビングにやって来た。

 その顔には不満が露わになっている。


「当然の備えだろう? 母はサーラスの脱獄にも関わっていた可能性が高い。そんな相手を警戒するのは当たり前だと思うんだけれど」

「血の繋がった実のお母様ですよ? リーシェ様が何らかの不正や策謀に関わっているかもしれなくても、娘であるユー様がそれを信じないなんて」

「信じられると思う? 私にずっと自分のエゴを押しつけ続けた母親だよ?」

「だとしても――」


 二人がまたヒートアップしそうになる。


「はい、ストップ。ユー様もミシャも落ち着いて」

「……そうだね、ごめん」

「……ごめんなさい」


 私の制止に、二人がばつの悪そうな顔をした。

 この二人、いちゃつくときも揉めるときも、自分たち二人の世界に入りやすいな。


「ユー様はリーシェ様を信じられない、ミシャはリーシェ様を信じたい。要するにそういうこと?」


 二人に尋ねると、二人は頷いた。


「レイだって私の意見に賛成してくれるだろう? 母はこれまでも自分のことしか考えてこなかった。今回だってきっとそうだ」

「リーシェ様のご性格はともかく、リーシェ様はリーシェ様なりに、ユー様のことをずっと考えていらっしゃったと思います」

「考えた結果が、男性として過ごさせることなのかい?」

「それは……」

「はいはい、ストーップ」


 三度ヒートアップしそうな二人をなだめる。

 全く、世話が焼ける。


「リーシェ様を信じるかどうかについては、今の段階ではなんとも言えないと思います。何しろ情報が少なすぎます」


 私は二人を落ち着かせるように続けた。


「サーラスの件はかなり黒に近いグレーな気がしますが、今回の件についてはまだ判断を保留すべきではありませんか? 変に先入観を持って事に当たると、思わぬ所で足をすくわれますよ」


 私の言葉に、二人は沈黙している。

 二人とも聡明な人だし、頭では分かっているのだろう。

 ただ気持ちが追いついていかないだけで。


「ユー様のお気持ちは分かるつもりです。ユー様はリーシェ様の行いのせいで、ずっと不自由を迫られてきたのですから、リーシェ様のことを信じろという方が無理でしょう」

「そうだよ」

「でも!」

「逆に、ミシャは突然どうしたのよ。以前はリーシェ様のことそんなに好きそうじゃなかったよね?」


 ユー様の身体の性別を元に戻す時にも参加してくれたのだし。


「今でもリーシェ様のことは苦手よ。修道院にいる時も、それとなく嫌みを言われたりしたしね」


 聞けば、ユー様に請われて側にいるミシャを、リーシェ様は事あるごとに引き離そうとしたらしい。

 その度にユー様が防波堤になって、リーシェ様からミシャを守っていたそうだが。


「でも、悲しいじゃない。血の繋がった実の母娘がいがみ合うなんて。私はユー様が何より大切だけれど、だからこそリーシェ様との関係がこじれたままなのが悲しいのよ」


 ミシャはぽつりぽつりとこぼすように続けた。


「別に親子は仲良くするべきだ、なんて一般論を持ち出すつもりはないわ。これが他の家庭の話だったら、私だってユー様の意見に同意したと思う。でも、事がユー様に関わるなら話は別よ」


 私はユー様に幸せになって欲しいの、とミシャは言った。


「ミシャはユー様の幸せにはリーシェ様との関係改善が欠かせないと思っているの?」

「この先、事あるごとに二人が対立するのは、お互いにとって不幸だと思うわ」

「つまり、リーシェ様のことを信じたいというよりは、ユー様に幸せになって欲しいっていうことなのね?」

「ええ、そうよ」


 ミシャの話は分かった。

 私はユー様に向き直ると、


「ユー様」

「なんだい?」

「ミシャの心配は私にもある程度理解出来るものです。リーシェ様は権力のある方でもありますし、そんな方と事あるごとに対立していたら、ユー様が困るだろうことは容易に推測できます」

「……」

「逆に、ユー様はどうしてそこまでリーシェ様を警戒するのですか? 身体のことは確かに恨みがましいかも知れませんが、既に解決済みのことです。王位継承権を放棄したことで、ある程度溜飲も下がったと仰っていたじゃありませんか」


 私だってリーシェ様を警戒するに越したことはないと思っているが、ミシャとケンカになるほどユー様が拒否反応を示すなんて、それはどこか行き過ぎな気がするのだ。


「だって……、私のミシャをあんな風に無碍に扱うのは許せないよ」

「修道院にいた頃のミシャの扱いが気に入らないんですね?」

「そうさ。ミシャは私の全てだ。ミシャを傷つけるなら、相手が母親だって容赦はしないよ」

「……」


 ユー様の話も分かった。

 私は二人に向かって言った。


「結局、二人が揉めているのは、お互いがお互いを思い合った結果、ということでよろしいですね?」

「……」

「……」


 二人、沈黙。

 俯いた顔は二人とも頬が赤い。

 私?

 私の心情はこれに尽きる。


 リア充爆発しろ。


「とにかく、お二人ともお互いを一番に考えていることはハッキリしたんですから、もう少し落ち着いて本音で話し合うべきです。変に建前とかを言っていると、話がこじれます」

「……そのようだね」

「……気を付けるわ」


 しゅんとしてしまった二人を見て、もうこれなら大丈夫だろう、と私は思った。


「それじゃあ、私は戻りますけれど、もうあんまり燃え上がらないで下さいよ? ああ、違う意味で燃え上がるのは案外いい方法だと思いますが」

「レイ!」

「……ははは」


 私の戯れ言に目をつり上げるミシャと、苦笑しかないユー様を置いて、私は部屋に戻った。


「どうでしたの? 何か深刻なことがありまして?」


 心配げな口調で問うクレア様に、私は答えた。


「何でもありません。ただの痴話げんかです」


 全く……、ご馳走様だよ!

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