第144話 リーシェの依頼
「よく来てくれましたね、みなさん」
元皇太后、現枢機卿であるリーシェ=バウアー様はにこやかに微笑むと、そう言って私たちの訪れを労ってくれた。
ここは帝都ルームにある精霊教会の建物である。
バウアーの大聖堂ほどではないがここも大きく、私たちはその中でリーシェ様と謁見していた。
メンバーはユー様、クレア様、ミシャ、私という、ドロテーアと謁見したのと同じ四人だ。
リーシェ様は教皇様の行幸に先立って、リリィ様と同じタイミングで帝国入りしたらしい。
私たちはドル様からリーシェ様の暗躍疑惑について聞いたその次の日、さっそくリーシェ様から呼び出しを受けていた。
「お久しぶりです、お母様。ご機嫌麗しゅうございます」
一同を代表して、ユー様が挨拶をする。
他の三人は膝を着いて顔を伏せたままである。
「ありがとう、ユー。みなさんも楽になさって?」
私は伏せていた顔を上げた。
以前は扇に隠れてよく見えなかったリーシェ様の容姿がよく見える。
ユー様と同じ碧い瞳は穏やかに笑っているように見えた。
長かったはずの金髪は今はウィンプルに隠れていて、枢機卿らしい服装である。
平の修道女であるリリィ様やミシャの修道服と違って、リーシェ様のそれにはユー様と同じように優美な刺繍が施されている。
以前は少し冷たい印象だったが、今日は機嫌がいいのか、全体的に印象が柔らかい。
「さて……。今日来て貰ったのは他でもありません。あなた方にお願いしたいことがあるからです」
リーシェ様はおもむろに切り出した。
あらかじめドル様から話を聞かされていた私たちは、来たかと身構えた。
「既に聞き及んでいるかも知れませんが、来月教皇様がナー帝国を訪問されます。あなた方にはその護衛をお願いしたいのです」
リーシェ様の依頼はドル様の予測通りだった。
微笑みを浮かべたまま、リーシェ様は続けた。
「特にクレア=フランソワ、あなたには護衛の実質的な責任者として全体を指揮して貰いたいと考えています」
「わたくしが、ですか?」
クレア様がリーシェ様に問い返す。
おや?
ドル様の話では私にということだったはずだが、矛先が変わったのだろうか。
「お言葉ですが、わたくしには要人警護の知識などありませんし、もっと適任の方がいらっしゃるのではありませんか?」
「それは確かにそうなのですが、教皇様がぜひにと仰るのよ。お願い出来ないかしら」
リーシェ様は困ったわといったような顔で、重ねてクレア様に迫った。
「……レイやミシャと一緒にでもよろしければ、お受け致します」
「まあ、よかった! もちろん、レイやミシャも一緒で結構よ。特にレイにはお願いしたいことがあるの」
「なんでしょうか」
私が首を傾げていると、リーシェ様はお付きの者を呼び、何かを手渡した。
「これから見せるものは他言無用です。決して口外しないように」
お付きの者が恭しくなにかを掲げて来た。
それはどうも絵姿のようだった。
しっかりした造りの額縁に、一人の人物が描かれている。
「……私?」
そこに描かれているのは私だった。
どうして私なんかの絵が、こんな風に後生大事に扱われているのか、と首をひねっていると、
「そこに描かれているのは、レイではありません」
リーシェ様がそんなことを言う。
私でなければ誰だと言うんだろう。
「そのご真影は教皇クラリス=レペテ三世猊下のものです」
「!」
一同の顔が驚きに変わった。
私だって驚いた。
他人のそら似にしては、教皇様の顔は私にあまりにも似ている。
以前、リリィ様が旅先で私のそっくりさんに出会ったと言っていたが、もしかしてこの顔ってこの世界ではありふれた顔なんだろうか。
思い返してみれば、リリィ様と最初に会った時、私の顔に見覚えがあったようなのも、教皇様のことだったのだろうか。
「ご覧の通り、教皇様とレイはうり二つです。そこで、レイには教皇様の影武者をお願いしたいのです」
「影武者、ですか」
武士というものが存在しないはずのこの世界で、どうして影武者という単語があるのかが気になったが、それはそれとして私は申し出の内容を吟味していた。
教皇様に影武者を立てるということは、教皇様がそれなりに危うい目に遭うことが想定されていると考えて良さそうだ。
ドル様も言っていたように、教皇様暗殺というのは単なる噂ではないらしい。
リーシェ様の申し出自体は、それに沿ったものと考えることは出来る。
ただ、リーシェ様自身にも嫌疑が掛かっている以上、影武者を引き受ければある程度の危険は覚悟しなければならないだろう。
「……一つ、おうかがいしたいですわ」
「なんですか、クレア」
ご真影を見たクレア様がリーシェ様に尋ねた。
「リーシェ様は教皇様とレイの顔が瓜二つであることに、なんの疑問も感じないのですか?」
「ああ、そのことですか。門外不出の事実ではありますが、レイ……いえ、教皇様と似た顔立ちの娘は、稀に生まれてくるのです」
リーシェ様は説明し慣れた様子で続ける。
「精霊神様の祝福を受けた顔、と私たちは考えています。歴代の教皇様の中にも、この顔立ちの娘が選ばれた事例が多くありました。教会としてはこの顔を持つ者を率先して保護をしているのです」
やはり、この顔はこの世界においてはメジャーな顔らしい。
でも、どうして?
主人公顔だから?
「もしかしたら、の話ですが……、レイ、あなたが教会の人間であった可能性もあるのですよ」
「はあ……」
言われてみると、イーリェも教会の人間だったという。
私も今の両親に引き取られていなければ、教会でご厄介になっていたのだろう。
まあ、私の顔についてはともかく、もう一つ確かめておかないといけないことがある。
「私からも一つ、おうかがいしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「教皇様のお命を狙う輩がいる、という噂は本当ですか?」
「……それは……」
私の問いに、リーシェ様は口ごもった。
この反応は、どういう意味だろう。
判断に迷う。
「……きっとドルね? 口が軽いこと。でも、いずれにしても知っておいて貰わなければいけないことね。ええ、本当です。恐れ多いことに教皇様の命を狙う輩がいる、という噂があります」
嘆かわしいこと、とリーシェ様は首を振ってから、
「口さがない者の中には、私が教皇様のお命を狙っているなどという者もいるようですが、とんでもありません。教皇様は精霊教会の頂点に立つお方。そんな方を害したりすれば、世界中の精霊教徒から憎まれるでしょう」
そんな愚かなことを私はしません、とリーシェ様はきっぱり否定した。
「とは言え、影武者の役割が危険なことに変わりはありませんね。ただ、この役割はレイ、あなたにしか出来ないことです。あなたがただの一般人ならこんな危険な役割をお願いすることはなかったでしょうが、幸いなことにあなたには十分な戦闘能力があります」
リーシェ様は随分私のことを買ってくれているらしい。
「ですから、どうかお願いします。教皇様のお力になって下さい」
そう言うと、リーシェ様は深々と頭を下げた。
その様子に、ユー様とミシャが驚きを露わにした。
後で聞いたことだが、リーシェ様が頭を下げたところを、二人は初めて見たらしい。
「……分かりました。承ります」
私は考えた末にそう答えた。
暗殺を企てているのが結局誰なのかは分からないが、当事者になれるのなら対処もしやすいと考えたからだった。
これが少し前の私なら、余計な火の粉がふりかかるのはまっぴらごめんと思ったに違いない。
絶対、クレア様の影響だよねえ、これは。
「……驚きました。あなたは私のことを憎んでいると思っていました」
私が影武者を了承したことはリーシェ様にとって意外なことだったようで、リーシェ様はそんなことを言ってきた。
「ユーの身体の一件の後、私は手のものに命じてあなたを害そうとしました。きっとあなたはそのことに気づいていたはずです」
牢屋に入れられている間に、食事に毒を入れられたことを言っているのだろう。
私はリーシェ様が自らそれを認めたことに少し驚いた。
「リーシェ様のお立場からすれば、恨まれて当然だと思っていました。私はユー様のお気持ちを最優先にしましたが、リーシェ様だってお辛かったはずです」
私はとりあえず無難な答えを返しておく。
リーシェ様の本音がどこにあるにしろ、無駄に敵対関係になることは避けたい。
「……私はあなたを誤解していたかも知れません、レイ=テイラー。過去の私の浅慮な行為を、どうか許して下さい」
そう言うと、リーシェ様は再び頭を下げた。
「それではクレア、レイ。二人に警備を任せます。責任は私が取りますから、精一杯務めて下さい。ユー、ミシャ。あなた方も二人を助けるように」
リーシェ様の言葉に四人で平伏して、その日の会談は終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます