第147話 邂逅

 準備は着々と進み、あっという間に教皇様が到着する日を迎えた。

 空は清々しく晴れ、太陽も柔らかな光を地上に注いでいる。

 クレア様を始めとする帝都での警備担当は、教皇様を迎えるために帝都西の門まで来ていた。

 リリィ様は別の仕事があるらしく、この場にはいない。

 他には出迎えの側のユー様やミシャ、リーシェ様の姿もある。


「遅いですわね……」


 クレア様がぼやくように、教皇様の到着はもう一時間近く遅れている。

 二十一世紀の日本のように、分刻みのスケジューリングではないとはいえ、そろそろ何かあったのではないかと心配になる遅れだ。


「心配ですか?」

「当たり前ですわよ。教皇様にはあんさ……こほん、例の噂があるでしょう?」


 暗殺という単語を言いかけたクレア様は、とっさにそれを誤魔化した。

 警備担当の間では既に共有されている事柄だが、人目のあるここでそれを口にするのはあまりよろしくない。


「案外、行きがけに寝坊したとかかもしれませんよ」

「レイじゃないのですから、教皇様がそんなドジをするわけありませんわよ」


 クレア様はまだカリカリしている様子だ。


「酷い。いつも早起きしてご飯の用意しているのに」


 私は顔を覆って泣く真似をした。


「ちょ、ちょっと。いえ、申し訳ありませんでしたわ、レイ。あなたにはいつも感謝しております。今のは失言でしたわ。撤回して謝罪致します。ですから、泣き止んで――」

「いいえ、傷つきました! クレア様がキスしてくれるまで泣き止みません!」


 私はよよよと泣き真似を続ける。


「ば、バカを仰い。家の中ならともかく、人目のあるところでキスはしないとあれほど」

「いーやーでーすー! ちゅうしてくれなきゃ許しませーん」


 ひたすら駄々をこねてみたのだが、


「……レイ。あなた本当は泣いてないでしょう」


 あ、クレア様の目が据わった。


「てへ」

「てへ、じゃありませんわよ。何をふざけていますの。今は大事な仕事中ですわよ」

「大事な仕事中だからこそ、です。クレア様」


 私はおどけるのをやめて言った。


「楽観的過ぎるのも考え物ですが、悲観的になり過ぎるのもいけません。昔、何かの本で読んだのですが、こういう時は最悪の事態を想定しつつ、楽観的に行動するのがコツだそうですよ」

「簡単そうで難しいことですわね……」


 クレア様は続ける。


「では、考えてみますわ。現状で言う最悪の事態というのは?」

「教皇様が既に亡き者にされている、でしょうか」

「その上で楽観的に行動すると?」

「誰かに様子を見に行かせるとか」


 などと私たちが話し合っていると、


「伝令! 教皇様ご一行が魔物の群れに襲われております! 至急援軍を!」


 私たちの間に緊張が走った。


「敵の規模は!?」


 クレア様が鋭く尋ねる。


「脅威度中程度の魔物が十ほどです!」

「警備部隊一番から三番までを援軍として派遣します。残りは門を守りなさい」


 クレア様の指示の下、援軍が編成されていく。


「あなたも行って下さる、レイ?」

「ご下命とあらば」

「お願いしますわ」

「はい」


 私は援軍に同行することになった。

 援軍の内訳は帝国内の教会が有する僧兵たち五十名ほどと、帝国兵百人ほど。

 バウアーからの留学生は、私を除き今回はお留守番である。

 風魔法の使い手が援軍全体に行軍速度上昇を掛け、凄まじいスピードで街道を駆けていく。


「見えたぞ!」


 先頭を行く誰かが声を上げた。

 教皇様の一行は魔物に包囲されていた。

 方陣を組んで、なんとか耐え忍んでいるような状況のようである。


「かかれ!」


 援軍の責任者が部隊に指示を飛ばす。

 魔法使いがほとんどの部隊だが、中には剣を使う者もいるようだった。

 白兵戦を挑む者たちを前衛に、後衛となる魔法使いたちから魔力弾が放たれる。

 目の前の敵に集中していたらしい魔物達は、背後からの強襲に反応が遅れた。

 全体の三割ほどが倒れる。


「畳みかけるぞ!」


 教皇様の護衛兵たちと一緒に挟撃する形になった。

 魔物はみるみる数を減らしていく。


「た、助かった……」


 最後の一匹を打ち倒したところで、護衛兵が安堵の声を漏らすのが聞こえた。

 しかし、


「まだです!」


 その後ろに忍び寄る黒い影に向かって、私は氷の矢を放った。


「けっ……、勘の良いヤツがいるな」


 空に飛び上がって私の攻撃をかわしたその黒い影には、背中に大きな翼があった。


「魔族だと!?」

「人間どもが俺様をどう呼ぼうが構わんが、俺様にはプラトーって名前があんだよ。覚えておきな」

「プラトー!? 三大魔公の一人じゃないか!」


 アリストとは違い服というよりは獣の皮を巻き付けただけの格好をしたその魔族は、どうやら件の三大魔公の一人らしい。

 口調といい雰囲気といい、アリストよりも随分と粗雑な感じだ。

 滅多に遭遇しないと聞いていたのに、連戦じゃないか。


「さあて、俺様の力を見ろ! そして死ねぇ!」


 プラトーは棍棒のような得物を振りかぶると、それを地面に叩きつけた。

 地面が波打ち、人間側の全員が尻餅をつき、一瞬行動不能になる。


「くらいやがれぇ!」


 プラトーが手を上に上げると、地面から錐状の石が突き立った。

 地の中級魔法アーススパイクだが、数が異常である。

 プラトーが起呪したアーススパイクの数は、全部で百は下らない。


「マディーソイル!」


 石の錐が全員を貫くまでの僅かな時間を縫って、私はその土魔法を柔らかい泥へと変化させた。

 百を超えるアーススパイクを上書きするのは、いくら高い私の魔法適正でもしんどかったが、あのままでは全滅させられていた。


「やるじゃねぇか。そうか、てめぇがレイ=テイラーだな? アリストの野郎が討ち漏らしたヤツか」


 魔力の急激な消耗を感じていると、プラトーが私に目をつけたようだった。

 まずい。


「アリストの野郎はきっと余裕ぶっこいて下手を打ったんだろうが、俺様はそうはいかねぇぞ。きっちり殺してやるからな」


 プラトーは棍棒を構えると、それを振りかぶりながらこちらに突進してきた。

 早い!


「させるか!」


 警備兵の内何人かがプラトーの進路上に立ちはだかって槍を構え、剣を振り、魔法を放った。


「しゃらくせぇ!」


 しかし、プラトーはその全てを、立ち塞がる兵士達をものともせず跳ね飛ばしていく。


「おら、ったぁー!」


 目前へと迫ったプラトーは勝利を確信した笑みで、私に棍棒を振り下ろした。


「ジュデッカ!」


 プラトーが棍棒を振り下ろそうとしたその姿のまま氷漬けになった。


「アーススパイク!」


 そこにプラトー自身も使ったアーススパイクが突き上がり、プラトーを粉々にしようとする。

 私の十八番、連続魔法コキュートスである。


「っぶねぇ」


 しかし、アーススパイクが届く前に、プラトーは氷結状態から脱した。

 力業で氷を振り砕くと、羽根を使って空へと逃れる。


「俺様としたことが……油断はしねぇって言ったそばからこれかよ。人間ってヤツは怖ぇなあ、全く」


 プラトーはホバリングしたままこちらを睨みつけている。


「でもまあ、そろそろ限界じゃねぇの? 人間は魔族と違って魔力容量が小せぇからなあ。あんだけの魔法を連発すりゃあ、そろそろ魔力もすっからかんだろ?」


 悔しいが、プラトーの言うことは正しい。

 百を越える魔法の同時起動、敵対魔法の強制上書き、上級魔術の二連発と、私は立て続けに魔力を失っていた。

 完全にゼロではないものの、ヤツにダメージを与えられそうな魔法となると、あと一発か二発撃てれば良い方だ。

 これはまずい。

 私が撤退を考え始めたその時、戦場に響く厳かな声があった。


「満ちよ」


 辺りが光に包まれた。

 その光はまるで質量があるかのようにふんわりと柔らかく、触れた場所から力がみなぎって来る。

 倒れていた兵士達が次々と起き上がった。

 私も、尽きかけていた魔力が全快していることに気づいた。


「教皇様の祝福である! 皆の者、我らに敗北はない! 魔族を討ち取れ!」


 教皇様の輿の近くにいた聖職者とおぼしき人が声を上げた。

 同時に、護衛や僧兵、兵士達が雄叫びを上げる。

 今のは……範囲回復?

 それも魔力まで?


「ちっ……、殺しきれなかったか。まあいい、今日は挨拶みてぇなもんだしな。あばよ」


 こちらが体勢を立て直したのを見るやいなや、プラトーはあっさりと踵を返した。


「逃げるの?」

「へっ、やっすい挑発だなあ、おい? 生意気な口は、俺様と互角に戦えるようになってから叩きやがれ」


 このまま倒してしまいたかったが、プラトーはどうやら挑発には応じてくれないらしい。

 嘲るように吐き捨てて、東の空へと帰って行く。


「今のは教皇様のお力か……?」

「奇跡だ……」


 兵士達が口々に教皇様を褒め称える。

 当然だろう。

 危うく全滅させられる所だったのだから。

 窮地を救った教皇様のあの魔法は、兵士達に絶大な影響を与えたようだ。


「レイ=テイラー、こちらへ」


 先ほど兵士達を鼓舞する声を上げた聖職者の人が、私を手招きした。

 私はなんの用だろう、と首をひねったが、とりあえず招きに応じた。


「時間を稼いでくれて助かりました。教皇様のあの魔法は効果は大きいですが、発動までに時間がかかるのです」


 そう言って、聖職者さん――どこかで見覚えがある――は私の労を労ってくれた。


「いえ、こちらこそ助かりました。凄いですね、教皇様の魔法は」

「――そうでもありません」


 その声は、輿の中から聞こえた。


「きょ、教皇様!?」

「いいのです、ローナ司教。いずれにせよ、私は彼女と顔を合わさねばならないのですから」


 輿の御簾が上げられた。

 そこには、私にそっくりの、しかし雰囲気が決定的に違う少女がいた。


「初めまして、レイ=テイラー。私が教皇です」


 表情をぴくりとも変えず驚くほど平坦な声で、その少女は自らがクラリス=レペテ三世だと名乗ったのだった。

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