第131話 帝国国学館

「て、帝国に逆らうのか!?」

「あら、変なことをおっしゃるのね? わたくしも貴方もただの学生ですわ。そもそもあなたの名前は帝国だったかしら?」


 不敵な顔で挑発するクレア様。

 元悪役令嬢らしく、大変悪い顔をしている。

 相手の男子学生は、ひるんだようにうっと詰まる。


 ここは帝国が運営する教育機関、帝国国学館である。

 腕を組んで仁王立ちするクレア様の後ろでは、フィリーネが座り込んで震えていた。


「あ、あの……」

「大丈夫です。ここはクレア様にお任せしましょう」


 私はフィリーネの手を取って立たせると、彼女にそう耳打ちした。

 フィリーネは戸惑っているようだったが、ひとまずこくりと頷いてくれた。


「俺が誰だか分かってて言ってんのか!?」

「ごめんあそばせ? わたくし今日編入してきたばかりで、あなたのことはこれっぽっちも存じ上げませんの」

「ちきしょう……。なめやがって」


 三下っぽいセリフを言う男子学生が、敵意のこもった目をこちらに向けてくる。

 編入初日からなんでこんなことになっているかというと、話は数時間前に遡る。


◆◇◆◇◆


「本日から諸君と学業を共にする編入生たちだ。皆、仲良くするように」


 教師は私たちを簡単にそう紹介すると、そのまま席につかせてすぐさま講義に入った。

 自己紹介やらなんやらをさせられるのかと思っていた私たちは、少し戸惑いながらもそのまま講義を受けることになった。


 編入生のためにこれまでの講義を振り返るなどということは一切なかった。

 今は教養の講義だが、内容やスピードも王立学院のそれより濃く、そして早かった。

 編入生たちには基本的に帝国についての教養はあまりない。

 一部の例外を除いて、編入生たちは講義についていくのに必死だった。

 講義終了の鐘が鳴る頃には、ほとんどの者がへとへとになっていた。


「以上である。ではまた次回」


 無愛想な教師は、そういうと教室を出て行った。

 この講義について行くのはなかなか骨だぞ、と編入生たちが思っていると、


「なあなあ、アンタらバウアーから来たんだろ?」

「革命が起こったって本当?」

「ねえ、名前教えてよ」


 ぞろぞろと私たちを囲む人だかりが出来ていく。

 教員はあんな感じだったが、学生の方はバウアーとそう変わりないのかもしれない。


「ちょっとお待ちくださいな。順番に自己紹介致しますわ」


 このクラスにいるバウアー側の編入生は五人。

 クレア様、私、それからラナ、イヴ、ヨエルである。

 ユー様やアパラチアから来ているはずのレーネの姿は見当たらない。

 彼女たちは別クラスのようだ。


「わたくしはクレア=フランソワ。お見知りおき下さいな」


 まずクレア様が自己紹介をした。

 彼女が名乗ると、教室中が湧いた。


「革命の英雄じゃないか!」

「一人で千人の王国兵を返り討ちにしたって本当?」


 やはりクレア様は帝国でも名が知られているらしい。

 色々と尾ひれが付いているようではあるが。


「わたくしはそんな大層な者じゃありませんわ。革命は市民が起こしましたのよ」

「でも、すげぇ強いんだろ?」

「流石に千人も相手に出来ませんわ。それは誇張ですわね」

「ねぇねぇ、ドロテーア陛下とどっちが強い?」


 クレア様、初日から大人気である。


「まずは自己紹介を終えさせて下さいな。レイ?」


 促されたので、私も椅子から立った。


「レイ=テイラーです。クレア様の嫁です。クレア様は私の嫁なので取らないでくさい。噛みつきますよ。がるる」

「ちょっとレイ、あなた!?」


 クレア様が慌てた。

 こういうのは最初が肝心。

 しっかり所有権を主張しておかないと。


「え、なになに? クレアって恋人いんの?」

「様付けだったね」

「えー、レイって面白い!」


 なんかウケた。

 ジョークか何かと思われたのだろうか。


「つ、次ですわ。ラナ?」

「はーい」


 ラナが立ち上がる。


「ラナ=ラーナでーす。レイセンセをクレアセンセから奪おうと画策してまーす。悪女でーす。よろしくー」


 パチンとウィンクまでつけて、ラナはそう言った。


「え、三角関係?」

「やば、女同士の修羅場じゃん」

「昼ドラみたい」


 これもウケたらしい。

 っていうかちょっと待って。


「昼ドラって?」

「え、知らないの? 昼下がりのドラマっていう小説。どろっどろの人間関係を描いた傑作だよ。今度貸してあげる」

「あ、うん。ありがとう」


 紛らわしいな!


「はい次、イヴ?」

「イヴ=ヌンです。よろしく」


 イヴはここでもそっけない。


「氷雪系美少女来た!」

「ねぇねぇ、飴食べる?」

「踏まれたい」


 イヴまでウケた。

 っていうか、今変な人混ざってたよね?


「最後、ヨエル?」

「……ヨエル=サンタナだ。腕っ節には自信がある。よろしく」


 ヨエルは無難に終わらせた。

 ちょっと愛想というものが欠如していたが。


「クール系男子だね」

「無愛想なのも味だよね」

「踏まれたい」


 ヨエルもそこそこウケた。

 いや、絶対変な人混ざってるでしょ。


 とまあ、そんな感じで、私たちはあっさりクラスに迎えられた。

 てっきり警戒されるか、孤立させられるかとも思っていたのだが、そこは流石多民族国家である。

 こちらから馴染もうとすれば、受け入れてくれるらしい。


「私たちも自己紹介するかー」

「オレ、ヨハン!」

「ちょっと、抜け駆けするんじゃないわよ!」


 わいわいと自己紹介が続く。

 そんな騒がしい中にあって、一人、物静かな子が紛れていた。


「フィリーネ、あんたも自己紹介しなよー」

「あ……、は、はい」


 その名前にクレア様が私にちらりと目配せした。

 私は頷く。


「ふぃ、フィリーネ=ナーです。よ、よろしくお願いします……」


 小動物めいた雰囲気のその女性は、おどおどと自己紹介を終えた。

 すぐに座り直し、本の後ろに隠れてしまう。

 内気な子らしい。


「フィリーネはね、あれでもドロテーア陛下の娘なんだよ。全然似てないけど」

「そうなんですの」


 やはり彼女がそうだ。

 私たちの攻略相手である。

 もう少し彼女とコミュニケーションを、と思っていた時だった。


「さっきからうるせぇんだよ!」


 粗暴な声が響いた。

 見ると、見るからにヤンキーといったような男子学生が、机に脚を乗せて悪態をついていた。


「お、オットー……いたのか。キミも自己紹介したら――」

「ああ!? 舐めてんのか手前ぇ!」

「い、いや、ごめん……」


 教室が一瞬で静まりかえった。

 オットーとやらは、どうやら問題児らしい。


「っつーかよー? そっちの巻き毛どもは帝国の敵なんだろ? 歓迎ムード出してんじゃねーよ」


 オットーはギシッと椅子をきしませて立ち上がると、のっしのっしとこちらにやって来る。

 背が高い。

 百八十cmはあるのではないだろうか。

 体つきもがっしりしていて、まるで岩が動いているかのようだ。


「オットーさんと仰るのね。わたくしはクレア=フランソワと申します。よろしくお願いします」

「ちっ、すかしてんじゃねーぞ、小娘が。どうせお前もあっちのフィリーネみてぇに、お飾りのお嬢様なんだろーが?」


 ぬっと顔を近づけて、クレア様を見下ろすオットー。

 私は魔法を叩き込んでやろうかと思ったのだが、クレア様に視線で止められた。


「お飾り? そうですわねぇ。あながち間違いでもないかもしれませんわ」

「へっ、やっぱりな」

「でも、あなたの頭よりはきっとマシでしてよ。その空っぽの頭には敵いませんわ」


 オットーが一瞬キョトンとした顔をする。

 そして次の瞬間、真っ赤になった。


「てめぇ、殺されてぇのか!?」

「あらあら、本当にその頭はお飾りですのね。わたくしたちに手を出したら、外交問題になることくらい分かりませんの?」

「知ったことか!」


 オットーは腕を振り上げると、クレア様に殴りかかった。

 クレア様はひらりと身をかわして、すれ違いざまに足を引っかけた。

 オットーがなすすべもなく倒れる。


「て、てめぇ……」

「あら、ごめんあそばせ?」

「もう許さねぇぞ――!」


 オットーは激昂してクレア様に再び襲いかかる。

 しかし――。


「はあ……っ、はあ……っ……。てめぇ……くそ……」


 数分後、かすりもせず一方的にやり込められたのは、オットーの方だった。


「大したことありませんわね。不良ぶっているのも飾りでしたの」


 クレア様はぽんぽんと肩の埃を払っている。

 察するに、オットーは何かしらの格闘技をやっているのだと思われるが、幼い頃から護身術をたたき込まれ、革命へと至る様々な出来事の中で実戦を経験したクレア様には遠く及ばない。


「くそ……こうなったら……!」


 オットーが懐から杖を取り出した。

 魔法杖――!


「クレア様、危な――」


 思わず割って入ろうとしたその時、


「ダメです!」


 クレア様の前に立ち塞がる人影があった。

 フィリーネである。


「あ!? なんだよフィリーネ、邪魔すんなよ!」

「いくらなんでもやり過ぎです。魔法を使うなんて!」

「邪魔だって言ってんだよ!」

「きゃあ!」


 オットーがフィリーネを突き飛ばした。

 その瞬間、彼が何かを口にしたのが私には目だけで分かった。

 尻餅をつくフィリーネの前にクレア様が立ち塞がる。


「魔法ですの。いいでしょう。使ってみればよろしいんじゃなくて?」

「な……舐めやがって……」


 と、ここで冒頭のシーンへと戻るわけだ。


「くらえ!」


 オットーが魔法杖を振った。

 杖の先から炎の矢が飛び出し、クレア様へと向かう。

 クレア様はその炎の矢へ向かって飛び込んだ。


「危ない!」


 フィリーネの悲鳴が響く。

 しかし――。


「何だと!?」


 高速詠唱した炎の矢でオットーの炎を対消滅させると、クレア様はそのままオットーに駆け寄ってその腹を蹴飛ばした。


「がはっ……!」

「さて、お仕置きの時間ですわ」


 倒れたオットーにニコッと微笑みかけるクレア様。

 あ、あれはキレてるな。

 笑顔だけど完璧にキレてる。

 多分、オットーがフィリーネを突き飛ばしたことで、堪忍袋の緒が切れたのだろう。


「ま、待て! 国際問題になるんだろ!?」

「なりませんわよ。ただの学生の喧嘩ですもの。そうでしょう、皆さま?」


 艶然と笑って手をポキポキ鳴らすクレア様。

 ギャラリーは迫力に圧されて声も出ない。

 いやー、クレア様、生き生きしてるね!


「てめぇが言ってたんじゃねーか!」

「ハッタリに決まってますでしょ。そんなことも分からないから、あなたの頭は飾りだと言うんですのよ」


 クレア様は魔法杖を抜くとオットーに突きつけた。

 いや、ハッタリは今クレア様が口にしていることの方なのだろうが。

 いくら学生同士とはいえ、死人でも出た日には大騒ぎになるだろう。


「ちなみに、わたくしはお飾りではありますけれど、魔法敵性は炎の高適正ですわ。ちょっと痛いかもしれませんけれど、許して下さいましね?」

「や、やめ……!」

「お、お待ちください!」


 怯えるオットーの顔に向けて、クレア様が杖を振り下ろそうとしたその瞬間、フィリーネがその腕を止めた。


「なんですの?」

「もうその辺りで、どうか……!」

「いいんですの? あなたも随分、煮え湯を飲まされているようですけれど」

「オットーは……粗暴な所はありますが、根っからの悪人ではないんです。今日は少し、虫の居所が悪かっただけで……」


 フィリーネは賢明に訴えた。

 その目には涙がにじんでいる。

 きっとクレア様が怖いのだろう。

 私は大好物だが、マジギレモードのクレア様を初めて見る人は大抵怯える。

 事実、周りの帝国学生たちは近づけもしない。


「結構。この場はあなたに免じて矛を収めますわ。ちょっと過激な自己紹介になりましたわね。みなさま、ご機嫌よう」


 そう言うと、クレア様は鞄を持って教室を出て行った。


「……畜生……」

「オットー……、今、手当を……」

「いらねぇよ!」


 治癒魔法を掛けようとしたフィリーネを振り切って、オットーも教室を出て行く。

 私はその一部始終を見届けた。


「ね、ねぇ、レイセンセ。クレアセンセて……あんなにおっかなかったの……?」

「え、どこが?」

「どこがって……」


 ラナが言葉を失った。

 え、私は久しぶりにいいもの見たとしか思わないんだけど。


「クレア様はまあ、怒ると怖いけど、でも、普段は全然普通だよ? むしろ可愛らしい」

「で、でも……」

「例えば、ほら」


 私は教室の扉の方を指さした。

 すると、クレア様がばつの悪そうな顔で戻ってきた。


「ど、どうしたのクレア……?」

「まだ何か……?」


 怯えつつ尋ねる帝国学生たち。

 それに対するクレア様の返事は、


「……まだ講義が残っているのを忘れてましたわ」


 はい、かっこ悪い。

 可愛い。

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