第106話 利害調整
「お久しぶりですね、クレア。また会えて嬉しいですよ」
薄い微笑を貼り付けてそう言ったのは、バウアー王国元宰相サーラス=リリウムだった。
ここは革命政府の陣幕。
クレア様と私は革命政府と臨時政府との利害調整にやって来たのだった。
クレア様は別に臨時政府の代表というわけではないがドル様の娘である。
加えて、今やクレア様は時の人だ。
臨時政府と革命政府のどちらも、クレア様を無視することは出来ない。
「過去のことは水に流しましょう。お互い、実りのある話し合いが出来るといいですね」
「……」
サーラスはクレア様に握手を求めた。
クレア様は硬い表情でそれに応じた。
サーラスの後ろには彼の私兵を中心とした革命政府の兵士が並んでおり、その中にはリリィ様の姿もある。
うかつなことは出来ない。
アーラとアーヴァインは不在のようだった。
恐らく、サーラスが政治的な実務を取り仕切っているのだろう。
「革命政府の要求はなんですの?」
おもむろにクレア様が切り出した。
「ずいぶん早急に話を進めるのですね? こういった交渉事は、地ならしから始めるものでは?」
「お互い手の内を知らない仲でもないでしょう? 話は早いほうがいいですわ」
早くも両者の間に火花が散っている。
この交渉はサーラスの方が圧倒的に有利だ。
いくら財務大臣の娘として政治に触れた経験のあるクレア様でも、相手は一国の宰相として政治の最前線にいたサーラスである。
政治家然としたやり取りをしていては、一方的にやり込められる恐れがあった。
クレア様の直球ど真ん中な言いようは、主導権を渡さないためのものである。
「まあ、いいでしょう。こちらの要求は単純です。貴族制の撤廃、そして主権を平民のものとすることです」
「!」
それはすなわち、この国のあり方を根底から覆すということだった。
「民たちの要求は、王制への復帰ではありませんでしたの?」
「最初はそうでした。でも、民たちは気づいたのですよ。政治に自ら参画するチャンスだとね」
それは平民運動が理想としていたゴールでもあった。
ロセイユ陛下が始めた平民重視政策に端を発する平民運動が、ここに来て王室から主権を奪う動きへと結実したことに、私は皮肉を感じた。
「そんな要求が通ると思いまして?」
「通らなければ通すまでですよ。なんとしてもね」
暗に武装蜂起も辞さない、とサーラスは言っている。
「臨時政府には軍がおりますのよ?」
「数はこちらの方が上です。大義もこちらにあります」
「あなたは民に大義のために死ねと仰るおつもり?」
「そんなことは言いませんし、民を殺すのはあくまで軍ですよ」
実際には、革命軍の中にはナー帝国の者が紛れ込んでいる。
クレア様の綱紀粛正で取り締まられた貴族の兵士も、何割か合流しているようだ。
加えて平民は数の上では圧倒的だ。
中にはある程度魔法を使える者もいるだろう。
革命軍の力は侮れない。
さらに言えば、臨時政府軍の中には民に刃を向けることを忌避する感情がある。
彼らにとって民はこれまでずっと守るべき対象だったからだ。
守るべき相手を攻撃することは、軍にとって存在意義を揺らがされているようなものである。
その事実を、サーラスが知らないはずがない。
「サーラス。あなたの狙いは別にあるのではなくて?」
「と言うと?」
「民のための革命は飽くまで方便。あなたは権力のトップになりたいだけでしょう?」
クレア様の糾弾にも、サーラスは涼しい顔だった。
「仮にそうだとしても、この革命が民のためになることには違いありません。革命の結果、私が新政権のトップになったとしても、それは結果論ですよ」
もちろんこれは詭弁であるが、今のところその論を崩すことは難しい。
「ドル様にお伝え下さい。我欲は捨てて、民のために政治の場を明け渡して下さい、とね」
◆◇◆◇◆
「馬鹿馬鹿しい。罪人が調子にのりおって」
ところ変わってここは議事堂である。
クレア様は革命政府の要求を携えて、臨時政府の首脳たちと面会していた。
上の言葉は、要求を聞いたドル様のセリフである。
「陛下のご温情を勘違いした平民たちの思い上がりですな」
「まさに。ここらで一度、平民たちには思い知らせてやらねばなりません」
臨時政府の首脳陣は、口々に革命政府を罵倒した。
そこには民を思う貴族の姿はなく、民を見下す支配者としての貴族の姿しかなかった。
「でも、お父様。革命政府は民の支持を受けております。これを一方的に攻撃すれば、わたくしたち貴族は大義を失います」
「何を言う。我々貴族こそが正義。民の支持など大義にはならんよ」
クレア様の言葉にも、ドル様は聞く耳を持たない。
「お父様! そもそもこの臨時政府という存在がおかしいのです。王国の主権は王室のもの。なぜ王室を差し置いて政治を行っているのですか?」
「無論、私たちとていつまでもこのようなことを続けるつもりはないよ、クレア」
ドル様は聞き分けのない子に言い含めるような口調で続けた。
「しかし、セイン様はまだお若い。この難局を乗り切るには、我々貴族が一肌脱ぐしかないのだよ」
「それならまずセイン様に即位して頂いて、貴族院議員の中から宰相を立てればいいだけのこと!」
「クレア、そんな暇はないのだよ。サッサル火山の噴火に平民の反逆……。ことは火急を要する」
「お父様……」
クレア様にも分かっているのだろう。
ドル様が言うことは全て上辺を取り繕ったことばかり。
彼らは政権を手放すつもりなどさらさらないのだ。
「では、臨時政府はどのように対応するおつもりですの?」
「デモの即時中止と革命政府とやらの即時解散を求める」
「そんな……こちらからも少しは歩みよらなければ、衝突になりますわよ!?」
「その時はその時だ。民を傷つけるのは本意ではないが、秩序回復のためには致し方ない」
ドル様の言葉に、列席した貴族たちも頷く。
クレア様は懸命に説得を続けた。
「元はと言えば、臨時政府が発した増税政策が事の発端ですわ。せめてそれを取り下げることは出来ませんの?」
「出来んな。噴火の影響は甚大だ。復興には金がかかる」
「ならば、貴族が率先して身を切らねばならないんではありませんの?」
「切っているではないか。増税は貴族も対象に含んでいる」
しかし、その税率は平民と変わらない。
影響が大きいのは、平民たちの家計の方だ。
「お父様……。民あっての貴族ですわよ?」
「違う、貴族あっての民だ」
言い切ったドル様の言葉を聞いて、クレア様の顔に失望の色が広がる。
話にならない。
「臨時政府とやらに伝えたまえ。分を弁えろ、とな」
◆◇◆◇◆
「レイに難しい立ち回りと言われてはいましたが、これは難しいなんてものじゃありませんわ……」
寮の自室。
クレア様はそううめくと、ベッドに倒れ込んだ。
「双方の溝が深すぎますわ。これの落としどころなんてホントにありますの……?」
意地っ張りのクレア様が泣き言を言うなんて珍しい。
それくらいに困難な交渉ということだ。
「無いかも知れませんが、その場合は――」
「分かってますわ。軍事衝突になりますわよね。それだけは避けないと……。レイ、ちょっと」
クレア様に手招きされた。
なんだろう?
「も~~~っ! 大の大人がワガママばっかり言うんじゃありませんわよ~~~!」
近づいたところを抱きつかれて、そのまま思い切りハグされた。
さながら抱き枕である。
「ク、クレア様、嬉しいですけれど苦しいです」
「き~~~っ!」
そのまま三分ほどおもちゃにされた。
汚されちゃった……ぐすん……えへへ。
「まだ交渉は始まったばかりです。粘り強く行きましょう」
「そうですわね。レイ、喉が渇きましたわ。お茶を入れてちょうだい」
「かしこまりました」
私はクレア様の言葉に従って、調理室へと向かった。
「まあ、クレア様には申し訳ないですが……どれだけ粘っても無駄なんですけれどね」
などと、呟きながら。
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