第98話 取り引き

「え?」


 思わぬ所で自分の家名が出たことに、クレア様は虚を突かれたようだった。


「私が持っている記録魔道具には、ドルの不正の証拠も記録されている。フランソワ家がどうなってもいいのか?」

「で、でたらめですわ! お父様がそんな――」

「幸せな娘だ。父親がどんなに汚い人間か知らずに、ここまで蝶よ花よと育ってきたのだからな」

「お父様への侮辱は許しませんわ!」


 クレア様は今にもサーラスに攻撃を仕掛けそうである。


「クレア様、落ち着いて下さい」

「落ち着いてなどいられますか! それとも、レイまでサーラスの言うことを鵜呑みにするというんですの!?」

「鵜呑みにはしません。でも、サーラス様の仰ることは事実です」

「!? な、なんですって……?」


 クレア様が信じられないことを聞いた、という顔をする。

 あるいは、私が言っていることが理解出来ない、という顔であろうか。


 以前、ドル様に直談判した時には、まだ無罪かも知れないという希望があった。

 だが、ここに来てサーラスから不正の証拠があると言われ、手前味噌だが他ならぬ私にもそれが真実と言われてしまった。

 ショックは小さくないだろう。


「一応、確認させて貰えますか? あなたが持っているというドル様の不正の証拠が、確たるものであるかどうか」

「いいだろう」


 サーラスは文机から立ち上がると、側にある金庫に近寄った。

 私たちから手元を体で隠しつつダイヤルを解錠する。

 彼が取り出したのは、私が持っているものよりも幾分くたびれた記録魔道具だった。


 サーラスが魔道具に魔力を込めた。


 ――今月はこんな額しか跳ねられなかったのかね?

 ――申し訳ございません、ドル様。なにしろ最近、監察官の目が厳しくなって来ましたので。

 ――ふん、よく言う。貴様自身が私腹を肥やしていることは分かっているのだぞ?

 ――ドル様とて、随分と多くの貴族から賄賂を受け取っているではありませんか。

 ――滅多なことを言うな。私は有志の者から献金を受け取っているだけだ。

 ――そうですか。なら、私ももう、これっきりにしたいと思いますが。

 ――構わんよ。その代わり、キミの上級貴族への昇格はなかったことになるだけだがね。

 ――それは困ります。やはりこれは賄賂ではありませんか。

 ――どうとでも取りたまえ。


「もう、結構ですわ!」


 悲痛な声が響き渡った。

 クレア様である。


「……わたくし、信じられなかった。いえ、信じたくなかった……」

「クレア様……」

「状況証拠がお父様の有罪を示していることは分かっていましたわ。それでも……それでも!」


 悲嘆に暮れるクレア様を、私は抱きしめて支えた。

 胸が詰まる。


「さて、取り引きと行こうじゃないか」


 しかし、サーラスは待つつもりはさらさらないようだった。

 畳みかけるように交渉を求めてきた。


「ドルの不正の証拠を明らかにされたくなければ、こちらが抱えている証拠についても口外しないで貰おう」

「私やリリィ様は、フランソワ家とはなんの関わりもありませんが」

「とぼけるのはやめた方がいい。キミのクレアに対する入れ込みようは知っている。キミはクレアを見殺しには出来ない」

「……」


 事実なので反論のしようがない。


「お、お二人がダメでも、リリィはお父様を告発できます!」

「出来ないよ。お前には」

「で、出来ます!」

「出来ない……出来ないんだよ」


 サーラスの言うことは不可解だったが、何か根拠があるようだった。


「さて、返答を聞こう」


 サーラスが回答を求めて来た。

 私が口を開こうとしたその時――。


「答えは、ノーですわ」


 返答は、腕の中から響いた。


「クレア様……」

「お父様が不正をしているというのなら、わたくしはそれを黙っていることなど出来ません。むしろ、わたくしこそがお父様の罪を告発しなければ」


 クレア様の瞳はまだ涙に濡れていたが、その光には一点の曇りもなかった。

 こういう人なのだ、クレア様は。


「馬鹿な……。自ら没落を受け入れるというのか?」

「貴族とは、自らを強く律するべきもの。堕落を覚えた貴族など、それこそ平民運動の言う寄生虫に他なりませんわ」


 毅然として言うクレア様の言葉に、サーラスは狼狽している。

 同じ貴族であっても、二人のあり方は天と地ほども違う。

 クレア様の凛としたあり方は、サーラスには理解出来ないだろう。


「サーラス=リリウム。あなたも貴族なら観念なさい」

「……断る」


 クレア様の最後通牒を、サーラスは首を振って拒絶した。


「ここまで来るのにどれほどの労苦があったと思っている……。ここまできて没落など、してたまるものか」


 そう言ったサーラスの目に、危険な色が浮かんだ。

 クレア様とリリィ様がとっさに身構える。


「いいでしょう。黙っていましょう」

「レイ!?」


 そんな張り詰めた空気の中に、私は割って入った。


「あなた、何を言っていますの!?」

「クレア様、ごめんなさい」


 私はクレア様の額に指をつけると、魔法を発動した。

 クレア様の体が崩れ落ちる。


「れ、レイさん!?」

「大丈夫です。眠っているだけですよ」


 平民運動の時と同じだ。

 私はクレア様に安眠の魔法を強めにかけたのだ。


「ふむ。キミは話が分かるようだね」

「あなたと同じと思われるのは心外ですが、クレア様最優先ですから」

「そうかね」


 私の返答に満足したように、サーラスはくっくと笑った。


「では、お互いについては沈黙を守る、ということで構わないですね?」

「はい」

「クレアは説得出来るのですか?」

「そこは任せて下さい」

「ふむ」


 サーラスはまだ疑わしげにしていたが、とりあえずそれ以上は何も言わなかった。


「見損ないました、レイさん!」


 責めるような声は、もちろんリリィ様のものだった。


「他の誰は言っても、レイさんだけは……レイさんだけはそんなこと言って欲しくなかった!」


 彼女は目に涙を溜めて私をなじった。

 当然だろう。

 私の行いは決して褒められたものではない。

 聖女とも言われ、信仰心の厚さから倫理観も高い彼女には、到底受け入れられるものではないはずだ。


 私は内心焦っていた。

 そう言えば、彼女のことを考えていなかった。


「ああ、安心して下さい。リリィには何も出来ませんから」

「……? 先ほども仰っていましたが、何を根拠に?」

「それはキミがクレアを説得出来るのと同じだと思ってくれていい」


 よく分からないが、そう言われてしまうと私にはそれ以上追求が出来ない。


「……!」


 私が声を掛ける暇もなく、リリィ様は部屋を飛び出して行った。


「本当に大丈夫なんですか、彼女?」

「そこは請け合いますよ。誓って、彼女には何も出来ない。いや、何もさせない」


 まあ、リリィ様が何か喋ればサーラス自身の身が危ういのだから、彼の言うことは正しいのだろう。

 今は信じるしかない。

 こんなやつを信じるなど、反吐が出そうだが。


「では、取り引き成立ですね」


 サーラスが手を差し出してきた。


「馴れ合うつもりはありませんので」

「そうですか。……くくっ」


 狡猾な笑いを浮かべるサーラスに、嫌悪感がこみ上げる。


「ああ、そうだ。一つご忠告を」

「何ですか?」


 去る際に、私は思い出したようにサーラスに言った。


「今夜、金庫から記録魔道具が消えます」

「……おかしなことを言う」

「そうですね。信じるも信じないも、サーラス様にお任せしますよ」

「そうですか」

「用件はそれだけです。失礼します」


 倒れ込んだクレア様を抱え上げると、部屋を後にした。


(クレア様を説得? 出来るわけないでしょ)

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