第90話 前哨戦

「これはこれは、クレア様にリリィ様。当家にようこそおいで下さいました」


 トンプソン男爵家当主、ウェッジ=トンプソン様はにこやかに微笑むと、私たち三人を出迎えた。

 ウェッジ様はドル様よりも少し若い小太りの男性だった。

 トンプソン家の邸宅は大きさこそフランソワ邸に及ばないものの、下級貴族には分不相応とも思える大きさだった。

 案内された邸内も、私からするとやや成金趣味とも思えるようなきらびやかな美術品がたくさん飾ってあった。

 ウェッジ様は応接間に続く廊下で、あれはどこそこの名画で、うん百万ゴールドもしまして……などと、非常に分かりやすい貴族像を演じてくれた。

 クレア様とリリィ様は辟易していたようだが。


「それで……本日はどのような御用向きでしょうか?」


 皆が応接間に腰を下ろすと、ウェッジ様が手もみをしながらクレア様に尋ねた。

 リリィ様の方にも時々視線をやっているが、私の方は見向きもしない。

 完全に二人の側付きと思われているのだろう。

 実際、私はクレア様の側付きなわけだが。


「実はわたくし、先日より陛下から特務官の任を頂きましたの」

「存じ上げております。女性の身で任官とは、素晴らしいご出世です」


 下級とはいえそこは貴族。

 ウェッジ様は特務官の件を知っていたようだった。

 流石に耳が早い。


「それで、本日はトンプソン家のことを調べさせて頂きたくうかがいましたの」

「おやおや……。それは穏やかではありませんね」


 ウェッジ様は顔を露骨にしかめた。


「当家が特務官様に調べられるような不正を行っているとでも?」

「その疑いがありますので、調べさせて頂きますのよ?」

「なんと……。聡明なクレア様とも思えないお言葉です」


 心外だ、とばかりに大げさなジェスチャーで、ウェッジ様は天を仰いだ。


「わたくしとて好き好んで疑いをかけているわけではありません。トンプソン男爵、無実だと主張なさるのでしたら、なおさら調査にご協力下さい」

「仕方ありませんね。いいでしょう。ご存分にお調べ下さい」


 ウェッジ様は苦笑いを浮かべていたが、その顔には「何も出てきやしませんよ」という余裕が見て取れた。


「では、ここ十年間の財務状況が分かる資料を出して頂けますこと?」

「かしこまりました。書庫から取り寄せますので、少々お待ち下さい」


 そう言うと、ウェッジ様は呼び鈴を鳴らして使用人を呼び、何事か言付けた。

 年かさの使用人は一瞬ちらりとこちらを見たが、何も言わずに頷いて部屋を出て行った。


「お待ち頂いている間、お菓子はいかがですか?」

「あ、ありがとうございま――」

「結構ですわ。わたくしたち遊びに来たのではないのですもの」


 喜びそうになったリリィ様を遮って、クレア様がぴしゃりと言う。

 何度も言うようだが、それでいいのか枢機卿。


「ふふ、そう仰らず。最近、ブルーメに競合する店が出来ましてな。フラーテルという店なのですが、良い菓子を作ります。本店はアパラチアにあるのですが、今度王都にも支店が出来まして」

「ブルーメに勝てるとは思えませんわ」

「真偽の程はぜひ、クレア様ご自身の舌でお確かめ下さい。ブルーメにも勝るとも劣らない、そして、そこらのメイドには絶対に作れない味です」


 ウェッジ様がそう言って間もなく、メイドたちがトレイにティーポットとココットを載せて入ってきた。


「これがフラーテルの一番人気であるクリームブリュレです。まだ王国内で召し上がった方は、それほどいらっしゃらないと思いますよ」


 自慢げに言うウェッジ様だったが――。


「クリームブリュレなら前に頂いたことがございますわ。この者が作れますもの」


 急速に興味を失ったクレア様が、私を目で示して言った。


「なんですと!? ……い、いえ、フラーテルの菓子は素人仕事とは一線を画するものです。ぜひ、召し上がって頂きたい」


 ウェッジ様にとってフラーテルのクリームブリュレは社交の種だったのだろう。

 まさか相手の従者が作れるとは思ってもみなかったに違いない。

 目に見えて狼狽してしまったようだが、貴族特有の図太さで立て直し、一度食べてみてくれと促してくる。

 どうでもいいけど、さっきから私、ちょいちょいディスられてるね。

 その度にクレア様の機嫌が急降下していることに、恐らくウェッジ様だけが気づいていない。


「まあ、そんなに仰るなら頂きますわ」


 クレア様はスプーンを持つと一瞬だけこちらに視線を寄越した。

 私はこくりと頷く。

 前もって、私たちが調査に向かう先で出された食事には、全て私が解毒魔法をかけるように打ち合わせてあったのだ。

 私が魔法をかけ終わったことを示して、ようやくクレア様はクリームブリュレを口に運んだ。


「まあ……、悪くはないですわね」

「と、とても美味しいです!」


 クレア様は抑えめの評価だったが、リリィ様にはかなり好評だったようだ。

 リリィ様の顔には驚きと素直な賞賛の色が見える。

 旗色良しと見たのか、ここぞとばかりにウェッジ様がしゃべり出した。


「美味しいでしょう! 私もこれを見つけたときは驚きました。妻など、以前はブルーメびいきだったのですが、今ではすっかりフラーテルにぞっこんでして。ブルーメの菓子は非常に高価ですが、フラーテルは価格も非常に良心的で――」

「でも、やっぱりこの者が作ったものには及びませんわね」

「!?」


 でも、大して興味もなさそうに言い放ったクレア様の言葉に、気持ちよく喋っていたウェッジ様の顔色が変わる。


「そ、そんなはずは……!」

「レ、レイさんはこれより美味しいものが作れるんですか……?」

「ええ。レイ、これちょっと味見なさいな」


 そう言うと、クレア様がスプーンでクリームブリュレを一口すくうと、私の口元に持って来た。


「間接キスですけれどいいんですか?」

「な、なんですのそのハレンチな単語は!? ……いいから、味見なさい」

「はい」


 遠慮なく頂くことにする。

 ねっとりねっぷりスプーンを舌でなめ回す。

 いや、味見のためですよ?

 そうだと言ったらそうなんです。


「うーん……。これは生クリームをケチりましたかね。牛乳の比率が少し大きい気がします」

「な――!?」

「あと、表面のカラメルの処理が甘いですね。多分、レシピは完璧なんでしょうけれど、作る職人さんの技術が追いついていないんじゃないかと」

「き、貴様! 何を分かったような口を!」

「トンプソン男爵、私の使用人の非礼はお詫び致しますけれど、わたくしも同感ですわ」

「あ、いえ! クレア様を非難するつもりは決して――!」


 クレア様の冷静な声に、ウェッジ様は慌てて猫なで声を出したが、苛立ちを込めた目で睨まれた。

 やー、怖いなー。


 でも、私は嬉しくなった。

 このクリームブリュレのレシピを私は知っている。

 フラーテル、か……いい名前だね。


 そんなことをつらつら思っていると、ドアがノックされて先ほどの年かさの使用人が入ってきた。

 手には書類の束を持っている。


「では、見せて頂きますわ」


 菓子を片付けて貰い、書類の束を受け取る。

 私は帳簿の類いをまずざっと眺めて全体像を把握しようとした。


「クレア様、困ります。いくらクレア様が特務官に任命されていると言っても、一介の使用人にまで当家の財務資料を漁られるわけには」


 私が帳簿を開くと、すかさずウェッジ様からクレームが来た。

 しかし――。


「この者も特務官ですわよ。特務官は三名とお聞き及んでいらっしゃいませんの?」

「!? こ、この者が!?」


 ウェッジ様が目を白黒させた。


「何か他に問題でも?」

「い、いえ。失礼しました」

「とにかく、そういう訳ですから、余計な心配は無用です。レイ、始めなさい」

「はい」


 クレア様の頼もしさを感じながら、私は帳簿に手をつけ始めた。

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