第51話 すれ違い

「……行け」


 私は岩石を錐状にしたもの――岩石砲ストーンキャノンの魔法で猿のような魔物を打ち抜いた。

 魔物は爆発四散して、後には魔法石だけが残る。

 私は無表情にそれを拾うと、革袋にしまった。


「……」


 マナリア様との勝負から数日がたった。

 学院はアモルの祭式に向けての準備が進んでいる。


 具体的に何をしているかというと、祭式の式場周辺の魔物の駆除である。

 恋の天秤には魔法石が使われているため、それにつられて魔物がやってくるのだ。

 そのため、毎年祭式の前には学院生が総出で魔物を狩るのである。

 本来、魔物の討伐は軍の仕事だが、何しろ数が多いため学院生も駆り出されるのだ。

 幸い式場周辺の魔物はそれほど強くないため、学院生でも倒すことが出来る。


 とはいえ、この時期の学院生はまだ魔物との戦闘に慣れない一年生もいるため、一年生はチームを組んで駆除に回る。

 私はクレア様とマナリア様とのチームだった。


「あなた、ちょっと無理しすぎじゃありませんの?」


 淡々と魔物を屠り続ける私の様子を見て、クレア様がそんな声を掛けてきた。


「いえ、大丈夫です」


 私は次の獲物を求めて茂みをかき分けた。

 そこには不定形の魔物――グリーンスライムがいた。


「……」


 一瞬、レレアのことが頭をよぎったが、私はもう一度|岩石砲(ストーンキャノン)でそれを屠った。

 核を打ち抜かれたスライムがどろどろと土に還っていく。


「おやおや、荒れてるねえ」


 おかしそうな声はマナリア様のものだった。

 見れば、マナリア様はクレア様の肩に手を回し、こちらをにまにまと見つめている。


「ちょっと、マナリア様。今は戦闘時ですのよ?」

「大丈夫さ。ボクら三人がそろっていて、この辺りの魔物に負けるわけがない」


 それは慢心などではなく、絶対の自信から来る言葉だった。

 事実、マナリア様なら一人でも魔物の駆除に支障はないだろう。


「でも、この者はまだ病み上がりですのよ?」


 クレア様が心配げな声色で言う。

 私にはそれがとても嫌だった。


「私は大丈夫です」

「でも……」


 確かに、マナリア様から受けた傷は浅いものではなかったが、今はもう回復している。

 あれ以来、クレア様は何かと私のことを気に掛けるようになった。

 以前の私ならそのことに小躍りでもしそうなものだが、今は素直に喜べない。

 クレア様を賭けてマナリア様に勝負を挑み、負けたことが尾を引いている。


「ほらほら、クレア。手が止まってるよ」

「え、ええ」

「ほら、あそこにラージワスプがいる。クレアなら問題なく駆除できるだろう?」

「……」


 マナリア様がエスコートするようにクレア様を促す。

 クレア様はまだこちらを気遣わしげに見ていたが、やがて視線を外すと魔物の駆除を始めた。


 私は二人のそばからそっと離れると、胸の奥のわだかまりをぶつけるように、魔物をひたすら屠っていくのだった。


◆◇◆◇◆


「ちょっとあなた」


 その日の魔物の駆除が一通り終わった頃、クレア様が私に声を掛けてきた。


「なんでしょう、クレア様」

「あなたは私の使用人でしょう。使用人が主の元を離れてどうしますの」


 今日一日、私はほとんどチーム編成を無視して一人で駆除作業に当たっていた。

 最初はクレア様やマナリア様と一緒だったが、二人と一緒にいるのが辛くて別行動を取っていたのだ。

 そのことを、クレア様は責めているらしい。


「いいじゃないですか。マナリア様がいらっしゃれば、クレア様をお守りするには十分なはずです」

「そういうことを言ってるんじゃありませんわ。私に仕えるのは、あなたの仕事だと言っているんですのよ」


 クレア様の言い分は正しい。

 正しいが、今の私にはそれを素直に聞くだけの心のゆとりが皆無だった。


「申し訳ありませんでした」

「何が悪かったか、本当に分かっていますの? 大体、病み上がりの身で単独行動など、危険極まりないですわ」


 私がもう少し冷静であれば、この時クレア様は私の身を案じてくれていたということに気づけたはずだ。

 でも、私は会話を続けるのが辛くて、謝ることで早々に会話を切り上げようとした。

 そして、誠意のない謝罪をクレア様は見抜いていた。

 そこを付いたクレア様のお説教に、私は少しうんざりしてきた。


「別にあなたのことを心配してる訳じゃありませんけれど、使用人に死なれたら寝覚めが悪――」

「申し訳ありませんでした。以後、気を付けます」


 会話を終わらせてその場を去ろうとした私の腕を、クレア様の手がつかんだ。


「お姉様との勝負以降、あなた変ですわよ? 一体、何があったんですの」

「……別に何も」

「嘘おっしゃい。これまでうるさいくらいわたくしに絡んできましたのに、ここ数日すっかりなりを潜めているじゃありませんの」


 クレア様はマナリア様と私が勝負したいきさつを知らない。

 他の者たちと同じく、単に魔法の腕比べをしたとしか思っていない。


「あの勝負は、クレア様を賭けたものだったんですよ」

「は?」


 私は仕方なく、勝負に至ったいきさつを説明した。

 自分でも、驚くほど感情が死んだ声が出た。

 それと反比例するように、みるみるクレア様の顔色が変わっていく。


「という訳で、私にはもうクレア様のお隣にいる資格がないんです」

「何を勝手なことを言っていますの!」


 説明を終えると同時にクレア様がキレた。


「わたくしを賭けて勝負? 何を考えていますの! わたくしはものじゃありませんのよ!? それを勝手に……」


 クレア様の言い分はもっともだ。

 勝手に賞品にされたりしたら、それは怒るだろう。

 プライズガールという女性を賞品化する概念があるが、私だってそれは嫌いである。


 だが、このときの私は完全にどうかしていた。

 だから、こんなことを言ってしまったのだ。


「そうですか? 良い気分なんじゃありませんか? マナリア様のような素敵な方に求められて」


 今思えば、どうしようもない失言である。

 クレア様の目が完全に据わった。


「訂正なさい。使用人が主に向かってなんたる暴言を吐くんですの。これだから平民の使用人は……」


 クレア様の方も売り言葉に買い言葉だったのだろう。

 普段の私ならそのことに気づけたはずだ。

 でも、この時の私にはそれがとても癇に障った。


「じゃあ、私、やめます」

「……なんですって?」

「クレア様のメイドをやめます。平民の私には向いていないのでしょう」


 そう言うと、クレア様の顔から表情が消えた。

 平坦な声で、クレア様が続ける。


「……本気で言っていますの?」

「はい」

「わたくしの使用人をやめたいんですのね?」

「はい」


 私は一刻も早くこの場を立ち去りたかった。


「そう……分かりましたわ」


 クレア様の声がどこか震えていることに、私はその時になって気づいた。


「クレア様?」

「給金は本日までの分を日割りで計算し、後ほど払いますから取りに来るように」


 クレア様の口調は事務的なものだった。


「色々と不満はありましたが、これまでよく仕えてくれました。フランソワ家の令嬢として、御礼を申し上げますわ」


 そうして、無理矢理と私でも分かるぎこちない笑顔で、


「これまでありがとう、テイラーさん」


 私をファミリーネームで呼んでそう言うと、クレア様はひと雫の涙をこぼした。


「クレアさ――」

「もうお行きになって? 今までわがままを言って申し訳ありませんでしたわね。テイラーさんのこれからに幸いがありますことを」


 私は過ちを犯した。

 取り返しの付かない、致命的な過ちだ。

 後悔してももう遅い。


 クレア様は私を見限ったのだ。


「……失礼します」


 私に出来ることは、そう言ってその場を去ることだけだった。

 気持ちがぐちゃぐちゃで、私はもうただ自分の部屋に戻ってベッドに駆け込みたい一心だった。


「あなたも、わたくしを一人にするんですのね……。嘘つき」


 クレア様が最後にこぼした言葉が、私の心を深く深くえぐった。

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