第52話 宣戦布告

「見損なったよ」


 次の日の朝、自室の扉を開けると、マナリア様が立っていた。

 不機嫌そうな顔でこちらをひたと見据えて来る。

 何を言われているのかは薄々感づいていたが、私は気づかないふりをした。


「なんのことでしょうか?」

「とぼけるなよ。クレアのことだ」


 マナリア様は私が逃げることを許さなかった。

 強い瞳で私をにらむ。


「昨夜、突然ボクの部屋に来てからずっと泣いてる。理由は言わないが、何があったのか大方予想はつく」

「……」


 マナリア様の言葉を聞いて、私はいても立ってもいられなくなった。

 いますぐクレア様の元に駆けつけて、嫌がられても抱きしめて差し上げたい。


 でも、それはもう叶わないのだ。


「クレア様のこと、よろしくお願いします。クレア様は寂しがり屋なので」


 私はもう側にいられない以上、クレア様のことはマナリア様にお願いするしかない。

 恋敵にクレア様を頼むのは癪だが、マナリア様ならクレア様を預けるのに十分信頼出来る。

 私はマナリア様に頭を下げた。


 と、襟首をつかまれ、無理矢理身体を起こされると壁に叩きつけられた。


「そこまでクレアのことが分かっていながら、どうしてキミが側にいようとしない!」


 襟首を締め上げるマナリア様の茶色の瞳が怒りに燃えていた。

 私を糾弾しているのだ。


「私はマナリア様に負けました。メイドもやめましたし、お側にいる理由がありません」


 私の泣き言を聞いて、マナリア様の表情がますます険しくなる。

 整った顔が端正な美貌が、冷たいほどの怒気に染まっていた。


「そんなことで諦めるのか! キミの想いはそんなものか!」


 マナリア様に息荒くそう言われて、私の方もだんだん怒りがこみ上げてきた。


「あなたがそれを言うのですか! 私からクレア様を取り上げた、他でもないあなたが!」


 私は首元をつかむマナリア様の手をつかんで振り払おうとした。

 しかし、マナリア様の手はびくともしない。


「ボクが取り上げた? 違うね。キミが勝手に諦めたんだ。キミは逃げているだけだ」


 マナリア様の声が挑発的な色を帯びる。

 私も言い返す。


「私だって諦めたくなかった! 逃げたいなんて思ってない! あなたさえいなければ、私は――」

「違うね」


 マナリア様は声のトーンを一つ落とした。

 静かな声で続ける。


「ボクが現れなくたって、キミはいつかクレアを諦めた」

「何を根拠にそんな――」

「自分の想いは報われなくてもいい、クレアさえ幸せならそれでいい、そんな綺麗事を言ってるからさ」

「!」


 マナリア様の言葉は、私の心に鋭く切り込んできた。

 しかし、それを認めるわけにはいかない。


「何が悪いんですか! 想い人の幸せを願って何がいけないんですか!」


 私は水魔法を発動し、氷のつぶてをマナリア様にぶつけて跳ね飛ばした。

 さすがに不意打ちだったのか、マナリア様が手を離してたたらを踏む。


「見返りを求めない? ご立派だね。聖人君子にでもなったつもりかい?」

「そんなつもりはありません!」

「だろうね。キミは傷つくことが怖いんだ。クレアから思われないことに絶望したくないんだ。だから最初から諦めてる。逃げ道をずっと確保してる」

「違う!」


 否定しながら、私は心のどこかでああ、そうだなと思っていた。


 私はクレア様が好きだ。

 その気持ちには一切偽りがない。

 だが、見返りを求めていないというのは本当だっただろうか。


 クレア様に笑いかけて貰いたいと思わないのか?

 彼女に抱きしめて貰いたいと思わなかったか?

 口づけしたいと思わなかったか?

 

 想い想われたいと思わなかったか?


「いくら思ったって叶わないことがあるんです! クレア様は女性です。同性なんです。そして、彼女には別に好きな人がいる」

「だから諦めるのか。勝負もしないで、上っ面だけの関係に満足して? 見返りを求めない一方通行の関係がいつまでも続くと思ってるの?」

「私はそれでいい! クレア様のためなら、私はこの気持ちを殺してみせる!」


 言いながら、胸の奥底で何かが叫ぶ。

 本当は、私は――。


「無理だよ。そんな関係はいずれ破綻する。どうして分かるかって? ボクがそうだったからさ」


 そう言うと、マナリア様は自虐に口を歪めた。


「ボクが後継者争いから脱落したのは、同性愛者であることが露見したからだ」


 その言葉で、私はマナリア様の「設定」を思い出した。

 マナリア様は私と同じ同性愛者だ。

 女性しか愛せず、実際にメイドの一人に恋をした。

 彼女は自分の思いをひた隠しにしていたが、ある時、自分の想いを抑えきれずメイドと関係を持ってしまった。

 それは王族とメイドという身分差を利用した一方的なものになってしまった。

 メイドはしばらくして王宮を去ったという。


 そのことを、マナリア様はずっと後悔している。


 自暴自棄になったマナリア様は、それでも同じ過ちは犯すまいと身分を隠して娼館に入り浸るようになった。

 金銭を伴う身体だけの関係なら、後腐れがないと思ったからだ。

 しかし、マナリア様の正体に気づいた者が王宮に密告。

 マナリア様は王宮を追われることになった。


「見返りを求めない想いは必ず歪む。人の心は、そんなに強くも綺麗でもないんだよ」


 静かな口調だったが、そこには確実に血がにじんでいた。

 自分の心の弱さ、汚さに、マナリア様も悶え苦しんだのだろう。


 今の私と同じように。


「……マナリア様はさっきから何を仰っているんですか。……私にどうしろって言うんですか」


 毒気を抜かれた私は、もう言い返す言葉もなく、ただただ途方に暮れた。

 そんな私に、マナリア様は答えるでもなくこう言った。


「もしキミが飽くまでクレアを諦めるというのなら、ボクはクレアを慰み者にする」


 今、なんと言った……?


「クレアはボクに好意を持っているからね。つけ込む隙はあるさ。もちろん、彼女の好意の種類が、ボクらのそれとは違うことは承知している」

「なに……を……」


 この人は何を言っている……?


「クレアはボクが愛した人に似ている。せいぜい代わりに可愛がってやるさ」


 そう言って、マナリア様は嘲笑った。

 美しい顔だが、私にはこれまでに見たどんな人間よりも醜く見えた。


「本気で言っているんですか?」

「本気だとも。ボクが追放になった理由を忘れたかい? 女遊びが過ぎたからさ。今さら失うものも何もない。楽しませて貰うとするよ」


 くっくっくと、マナリア様はおかしそうに笑った。

 しかし、目は笑っていない。

 昏い……底知れない昏い瞳で、私でないどこかを見ている。


 マナリア様は本気だ。


「そんなことはさせません!」

「ほう、どうやって? ボクに負け、メイドもやめたキミに何が出来るというんだい?」


 マナリア様は嬲るような口調で言った。


 考えろ、私。

 この人にだけはクレア様を渡すわけにはいかない。

 こんな人は、クレア様に相応しくない。


 私の方が、クレア様を幸せに出来る――!


「アモルの祭式がありますね?」

「月末だったね」

「そこで恋の天秤を使った儀式が行われるのはご存じですね?」

「うん、聞いたよ。想いの深さを量るんだったね」

「それで勝負しましょう」

「ふん? 悪くないね」


 だが、とマナリア様は続けた。


「一度はついた勝負だ。何もなしに受ける訳にはいかないね」

「なら、どうすれば?」

「今度の勝負でボクが勝ったら、キミ自身もボクが貰う」


 そう来たか。


「いいでしょう」

「おや、そんな安請け合いをしていいのかい? ボクのものになる以上、クレアのことはすっぱり諦めて貰うよ?」

「構いません。負けませんから」

「言うじゃないか。いい目だ」


 マナリア様は満足そうに笑った。


「なら、勝負だ。せいぜいあがいてみせるといい」


 そう言ってマナリア様はきびすを返した。


「……」


 その背中を見送りながら、私は覚悟を決めていた。

 この勝負に勝つためなら、私はなんだってする。


「クレア様、見ていて下さい」

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