第41話 魔鈴の魔物

 その魔物は趣味の悪い前衛芸術家の作品のようだった。

 ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾にコウモリの羽がちぐはぐにつなぎ合わされたそれは、以前に遭遇したウォータースライムよりもさらに大きかった。


「キマイラですって!?」


 魔物の正体を瞬時に看破したクレア様が、悲鳴じみた声を上げた。


 俗にキメラとも呼ばれるその魔物は、元々はギリシャ神話に登場する怪物である。

 強靭な肉体を持ち、口からは火炎を吐く。

 その火炎はしばしば山をも燃え上がらせていたと言う。


 キマイラはこの世界においても、非常に危険な魔物である。

 この世界における魔物は、動物が体内に魔法石を取り込んで生まれると言ったが、このキマイラは少し違う。

 人工的に作り出される軍用従魔なのだ。


「クレア様、ここは一旦後退を。軍に任せましょう」


 私はゲームのヒロインとして転生したけど、ゲームの通りにヒロインするつもりはさらさらない。

 こんな危険な化け物と二人だけで戦うなんて馬鹿げている。

 今は軍もこちらに向かっているのだから、数で制圧してしまえばいい。

 冒険する必要はないのだ。


 しかし――。


「いいえ、ここで食い止めますわ」

「クレア様!?」


 クレア様は頑なにここを動こうとしなかった。


「軍を待てばその間に被害が拡大します。そうなれば、レーネたちが受ける刑は重いものにならざるを得ないはず」

「クレア様……」


 クレア様の発言に、レーネが言葉を詰まらせた。

 そう。

 クレア様は裏切られてもなお、レーネの身を案じているのだ。

 高飛車で傲慢でわがままなクレア様だが、それでもそれだけの人ではない。


「はあ……、損な性格ですね。クレア様?」

「何がですのよ」

「この期に及んで自分を裏切った者の心配なんて」

「ち、違いますわ」


 クレア様は慌てて否定した。


「レーネはわたくしの所有物です。だからこそ、監督責任というものが――」

「あー、はいはい。ツンデレ乙です。今は緊急事態ですので、そういうのはいいです」

「……腹立ちますわね。まあ、いいですわ。あなたは軍の者を呼んできなさい」


 しっしと追い払われそうになる私。


「なに言ってるんですか。私も加勢しますよ」

「余計なお世話ですわ……と、言いたいところですが、今回は助かりますわね」

「なにせ私もクレア様の所有物ですし?」

「私はまだあなたを認めたわけじゃありませんのよ?」

「またまた」

「戯れ言はそこまでだぜ、お嬢ちゃんたち」


 時間稼ぎを狙ったクレア様と私たちの夫婦漫才を、黒仮面の男が遮った。


「ランバート。お前もぐだぐだしてないで、さっさとキマイラを動かせ」

「……分かった」


 同胞に魔物をけしかけるのはやはり躊躇いもあったのだろう。

 それでも、ランバート様は鈴を鳴らした。


「行け。貴族を根絶やしにしろ」


 主の命令を受け、キマイラが筆舌に尽くしがたい咆吼を上げた。

 ウォータースライムも使っていたスタン攻撃、ヘイトクライである。


「……っ! クレア様、動けますか?」

「誰にものを言っていますの。同じ過ちは二度と繰り返しませんのよ」


 ヘイトクライは不意打ちで使われると抵抗するのが非常に難しいが、臨戦態勢を取って気をしっかり持っていれば抵抗することも出来る。

 もちろん、高い魔法適性がなければ、それでもかなり難しいのだが。


「キマイラの属性の分布はご存じで?」

「無論ですわ」


 キマイラは火、地、水の三種類の属性を持っている。

 ライオンの頭が火、山羊の胴体が地、毒蛇の尻尾が水である。


「私は補助に回りますので、クレア様は存分に攻撃を」

「よろしくてよ」


 言い終えるやいなや、クレア様は火属性の槍を生成した。


「消し炭になりなさい!」


 クレア様が魔法杖を一振りすると、槍はキマイラめがけて一直線に飛んでいった。

 しかし、キマイラはその巨体に似つかわしくない俊敏な動きで尻尾を振り回し、クレア様の炎槍をはたき落とした。


「さすがに正攻法では厳しいですわね。頭も悪くないようですし」

「ならこういうのはどうでしょうか」


 私は石矢を生成して、キマイラの後方に放った。

 狙いは、魔鈴を持っているランバート様である。


「お兄様!」

「させねぇよ?」


 あと一歩でランバート様に届こうとしていた石矢は、黒仮面の男が起こした風の障壁にいなされてしまった。

 どうも、彼は風属性魔法の使い手のようだ。


「術者を狙うっていうのは正しい考え方だが、ついさっきまで仲間だったヤツをためらいなく狙うたあねぇ? そっちのお嬢ちゃんはなかなか容赦ねぇな」


 黒仮面の男が嫌みったらしくのたまった。


 私はクレア様を守って戦闘を終わらせることを最優先しているだけである。

 確かにレーネのことは好きだし、ランバート様にも同情はする。

 でも、クレア様の安全とそれを天秤に掛ければ、どちらを取るかは明らかに前者だ。

 そのためならどんな汚い手段だって使う。

 ゲームの知識に驕って、クレア様を危険にさらすのは一度で十分だ。


 でも、あの黒仮面がいる限り、ランバート様を狙うのは難しそうだ。

 やはりキマイラを倒すしかない。


 と、その時キマイラが口を開いた。


「クレア様!」


 次に起こることを予想して、私は咄嗟にクレア様を抱き寄せた。

 クレア様が抗議の声を上げかけたが、次の瞬間、灼熱の業火が辺りを包んだ。


「危なかった……」

「今のは?」

「キマイラのファイヤーブレスです。想像以上の威力ですね」


 咄嗟に水の障壁を全力で貼って凌いだけど、分析室の中はひどい有様になっていた。

 分析に使う魔道具は軒並み焼け焦げているし、レンガ造りの壁すらも一部が融解している。

 煙が充満する室内では一酸化炭素中毒の危険性もあるし、このままでは建物が倒壊する可能性すらある。

 そう何発も凌げるものじゃない。


「外へ出ましょう」


 私はランバート様たちに聞かれないよう、小さな声でクレア様に提案した。


「! しかし、被害が広まってしま――」

「裏庭に誘導します。群衆はまだ一番広い第一運動場にいるはずです。学院生や職員さんたちは寮でしょうし」

「……分かりましたわ」


 クレア様は頷くと、溶けてもろくなっている壁に向かって炎弾を叩き込んだ。

 壁に人が通れるくらいの穴が開いた。


「逃げますわよ!」


 今度はわざとランバート様たちに聞こえるように、クレア様が叫んだ。

 同時に、二人して外へと駆け出す。


「追わせろ。財務大臣の娘だ。逃がすんじゃねぇぞ?」

「……」


 ランバート様は魔鈴を鳴らして、キマイラに追撃を命じた。

 私たちが建物の外に出るのと建物が崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。

 冷や汗が背中を伝う。


「敵がまとめて建物の下敷きになってくれてたりは――」

「しないようですわね」


 大地を震わせるような大音を響かせて、キマイラががれきの中から飛び出してきた。


「くっ! 炎よ!」


 迫り来るキマイラに対し、クレア様は炎の矢を浴びせかけた。

 炎槍よりも小さいが、数が多くて小回りがきく。

 炎矢はキマイラを包み込むように着弾した。


 しかし――。


「直撃したのに!?」


 キマイラはそれに構わず突っ込んできた。

 ダメージを負っていないわけではないだろうが、動きを止めるほどではなかったということか。

 キマイラの巨体が目前に迫り、禍々しく鋭い爪が振り上げられた。


「凍り付け」


 私はキマイラの全身を特大の氷の中に閉じ込めた。

 ズシンと重い音を立てて氷が落ち、ようやくキマイラの動きが止まった。


「……なんていう非常識な魔法ですの」

「クレア様のピンチともなれば、これくらいの真似は出来ますよ」


 あきれかえるクレア様と軽口を叩き合う私。

 でも、警戒は解いていなかった。


 獅子の雄叫びを上げ、キマイラはまたブレスを吐いて氷を跡形も無く溶かしてしまった。


「全身を芯まで凍り付かせることは出来ませんの?」

「あまり上策ではありませんね。瞬時には無理ですし、時間を掛けても水属性の尻尾が健在だと思います」

「……どうしたものかしら」


 考えている間にも、キマイラは襲ってくる。

 運動能力では圧倒的に劣っている私たちは徐々に劣勢に追い込まれていった。


「クレア様、ここは人生最初の共同作業と行きましょう」

「何をすればいいんですの?」


 クレア様はツッコミを入れる余裕もないと見えて、素直に先を促してきた。


「以前、セイン様がやった属性付与です。水属性を付与しますから、頭を狙って下さい」

「でも、また尻尾で叩き落とされてしまうのではなくて?」

「学院騎士団の入団試験でお使いになった、クレア様の切り札を使って頂けますか?」

「……なるほど。でも、あれにはちょっとだけ溜めが必要ですのよ」

「時間を稼ぎます。その間に」


 私の言葉に、クレア様が不敵な笑みを見せた。


「あなたを信頼しろと?」

「出来れば」

「……ふん、まあいいですわ」


 やることは決まった。

 後は全力でクレア様をサポートするのみ。


「火よ!」


 クレア様は小さな火弾を無数に生み出してキマイラに放った。

 次々と山羊の胴体に着弾する。

 だが、キマイラはやはりそれを無視して突っ込んできた。


 まだ距離があると思っていたが、キマイラはブレスを吐こうと大口を開けた。


「凍り付け」


 ぎりぎり魔法が間に合い、キマイラの全身が氷漬けになって動きが止まった。


「今です、クレア様!」


 クレア様は両手を横へふわりと伸ばした。

 フランソワ家の紋章が四つ生まれてクレア様の周りに浮かぶのと、氷が砕かれるのは同時だった。


「光よ!」


 四条の光が、キマイラのブレスをも断ち切ってほとばしった。

 クレア様のマジックレイは、ブレスのために大口を開けていたキマイラの口腔を突き抜けて全身を串刺しにしていた。

 悲鳴を上げてキマイラの巨体が倒れ、今度こそ動かなくなった。


「やりましたわね」

「お疲れ様でした。さすがです、クレア様」


 クレア様も私も、一瞬、緊張の糸が切れた。

 そこに、油断があった。


「大したもんだが、やっぱりお嬢ちゃんだな」


 いつのまにかこちらに近づいて来ていた黒仮面が、クレア様にナイフを振り下ろした。


「クレア様!」

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