第1章2話 すごいっていうか、もう神の所業じゃ
ラグルエルの話を聞きながら廊下を歩いているうち、彼女はとある扉の前で足を止める。そして彼女は、扉を開け部屋の中に入っていった。
扉の向こう、ラグルエルの入っていった部屋は、木材が多用された暖かい雰囲気の部屋。
部屋の中心では、ブラウンの髪を肩に垂らし、朗らかな表情をした、俺と同じぐらいの歳の少女が、ソファの上に腰掛けている。
少女はラグルエルが部屋に入ってきたのを確認すると、ソファを立ち口を開いた。
「マスター、お疲れ様です」
「フユメちゃん、何度言えば分かるのかしら? 私のことはマスターじゃなく、昔みたいにラグお姉ちゃんと呼びなさい」
「分かりました、マスター」
「話聞いてたかしら?」
「マスター、そちらの方が、『ムーヴ』の救世主様ですか?」
「え、ええ。救世主のクラサカ=ソラト君よ」
俺の名を少女に伝えたラグルエル。
少女は俺を正面に見据えると、自己紹介をはじめた。
「私の名前はフユメです。救世主に選ばれたソラトさんの、魔法修行の補佐をすることになりました。よろしくお願いします」
挨拶とともに丁寧なお辞儀をする、フユメと名乗った少女。
フォーマルな衣装に物腰の柔らかい、しかし快活さを含んだ口調。フユメという日本人的な名前も合わさり、俺はフユメに対する安心感を抱く。
「実はね、フユメちゃんはクラサカ君と同じ『スペース』の住人で、クラサカ君と同じ日本人なのよ」
「え!? そうなの!?」
「はい。私のフルネームは
「あら嬉しい。フユメちゃんは本当に良い子ね。これで昔みたいにラグお姉ちゃんって呼んでくれたら、もっと嬉しいんだけど……」
日本人的どころか、日本人だったフユメ。
どことも知れぬ場所で同じ日本人を見つけた時の安心感は、遭難中の大海原で一隻の船を見つけたような気分だ。そんな日本人フユメが魔法修行の補佐とは、なんとも頼もしいことである。
ただ、日本人だからといって、フユメの言葉の全てを理解したわけでもない。
「うん? すみません、魔法修行って何ですか?」
「あ、まだ説明してなかったわね。でも、説明する必要あるかしら? 書いて字のごとくよ。これからクラサカ君には、魔王を倒すための魔法修行をやってほしいの」
「は、はあ。てっきり、女神様がチート能力を与えてくれるもんだと……」
「世の中はそんなに甘くないわよ。フユメちゃん、説明してあげて」
「分かりました」
ラグルエルはデスクチェアに座り、フユメは俺をソファに座らせた。
そしてフユメは、本棚から取り出した1冊の本を俺に渡す。
本の題名は『救世主育成プログラム』。
「マスターたち管理者は、自分が管理している世界が不可抗力によって滅亡の危機に晒された場合、その世界が一定の文明レベル以下であれば、救世主を送り込み世界の危機を救っても良いと、『プリムス基本法』及び『救世主派遣法』によって定められています」
救世主と魔王、女神と転生、魔法といった夢の世界が唐突に崩れ去った。
まさか法律の話がはじまるとは思ってもみなかった俺は、『救世主育成プログラム』を流し読みしながらフユメの説明に耳を傾ける。
「私やソラトさんの故郷である『スペース』でも、過去に救世主が派遣されたことがあります。アレクサンダー大王が『スペース』の救世主ですね。しかし、文明が発達した今の『スペース』に、魔法修行以外の目的で救世主を派遣することは法律で禁止されています」
「ってことは、俺が魔王から救わなきゃならない『ムーヴ』とかいう世界は、文明レベルが低いということで」
「はい。『ムーヴ』は『スペース』で言うところの、中世ヨーロッパ程度の文明レベルですから、救世主派遣が可能なギリギリの文明レベルですね」
「なるほど。で? どうして俺はチート能力を与えられるんじゃなくて、修行なんかしなきゃいけないわけ? 最初から強い救世主を送れば、万事解決な気がするけど」
「昔はそうでした。でも、チート能力を与えた救世主の中に、その能力を悪用する人も少なからずいました。彼らのほとんどは、突然手に入れた強大な力を、うまく扱えなかったようです」
「昔のバカのせいで俺が面倒な修行をしなきゃならなくなったと。勘弁してくれよ」
きっと俺の不満が露骨に表情に浮き出たのだろう。フユメは少しだけ慌てながら、前のめりになって話を続ける。
「あ、安心してください! チート能力をまったく与えないわけではないですから! というか、ソラトさんはもうチート能力を与えられてますから!」
「さすが女神様。で、どんなチート能力が俺に備わってるんだ?」
「食いつきが早いですね……。マスターたちがソラトさんに与える力は、どんなモノ・現象も一度経験すれば魔法として覚えることができる、という能力です」
セールスマンのような笑顔を浮かべたフユメ。
果たして彼女が口にした能力がどんなものなのか、俺は考える。すでにチート能力を宿しているというが、どうすればそれを確認することができるのだろうか。
などと思っていると、ラグルエルが俺の側までやってきて、俺の右手を手に取った。
控えめに言って美人であるラグルエルがすぐ側にいる状況に、俺の体は熱くなる。
それどころか、俺の右手はさらに熱くなった。ラグルエルがライターらしきもので俺の右手を炙ったのだ。
「あっつい! あっつい! ちょっと! あっついって!」
突き刺すような痛みとめくれ上がる皮膚の感覚、視界に映った揺れる炎、空気が燃やされていく音、灼熱の味、焦げた皮膚の匂いに、俺は阿鼻叫喚。
それでも俺の右手を炎で炙り続けるラグルエルは、控えめに言って鬼である。
わずか5秒ほどの出来事だったのだろうが、5秒間も右手を炙られるのは地獄だ。
「これで十分かしらね。フユメちゃん、治癒魔法お願い」
「分かりました」
火を消し俺の側から離れたラグルエルに代わり、フユメが俺の側にやってきた。今度は何をされるのかと、俺の不安が全神経を締め付ける。
一方でフユメは、俺の右手に優しく手をかざした。手をかざした途端、痛々しく焼け焦げていた俺の右手が深緑色の光に包まれた。
光の中、痛みは氷が解けるかのように引いていき、鼓動も落ち着きを取り戻す。
「これで大丈夫かな」
穏やかな笑みを浮かべたフユメがそう言うと、深緑色の光は消えていった。
光が消え姿を現した俺の右手は、炎に炙られる以前の姿をしていた。いや、前よりも少し健康的かもしれない。
にわかには信じられぬ現象に俺が唖然としていると、ラグルエルは可笑しそうに笑う。
「すごいでしょ。フユメちゃんはね、数少ない治癒魔法の使い手なの」
「すごいっていうか、もう神の所業じゃ」
「治癒魔法だけではなく、蘇生魔法も使えます。ソラトさんが危険な目に遭ったとしても、私が必ずソラトさんを守りますので、ご安心ください」
あれだけの火傷を、あれだけの時間で完治させてしまうのだ。
未だ不明な俺の能力よりも、フユメの治癒魔法と蘇生魔法の方がよっぽどチート能力というに相応しいような気がする。
そんな力を持ったフユメが俺を守ると言ってくれたのだから、これほど嬉しいことはない。
さて、治癒魔法に驚いていると、執務室に置かれたクローゼットらしきものから、突如として物音がした。あれも魔法に関係することなのだろうか。
「すみません、クローゼットから変な音が聞こえるんですけど?」
「私が管理してる世界から転移してきた未確認生物が暴れてるだけだから、気にしないで」
「気にしますよ! マスター、また変な生物を転移させたんですか!?」
鋭くツッコミを入れたのはフユメであった。俺も彼女のツッコミに同意である。
しかも、フユメは『また』と言った。つまりラグルエルが変な生物を転移させたのは、これがはじめてではないということ。
底知れぬ不安がじわりと俺の胃袋を締め付ける。
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