朝っぱらから大迷惑

「よう! おはよう、タクミ!」

「うっわあ!」


 いつも通り、低いローアングリィベッドで手を組んで仰向けになって祈りの気分のなか安らかに眠っていたのに、目を開けた瞬間思わず叫んで飛び起きた、――だってカインが馬乗りになっているのだ。

 部屋の天井を背景として。ホワイトな天井の真ん中は正方形にくり抜かれていて、いまは朝だから真っ赤にライトアップされている――カーフリィ、カラフリィ、カラフル、つまり色によって信仰の道を収めていくカーフィリ修道院ならではの、救済の仕組み。


 兄弟に朝からのしかかられているんだ、

 ヤバい。罪だ。こんなの。

 慌てて周囲を見回す。


 昨晩眠ったときにはひとりきりだったはずの寮の部屋。部屋を共有する隣人は未確定だった。なんでも、原則二人一組の部屋の割り振りは奇妙にも早い者勝ちだそうで、どうするどうするとレクリエーションホールできょどきょどと顔を見合わせる兄弟たちを横目にそれじゃあ僕はねいちばん奥で、とさっさか部屋を確保。

 そのあとは自由時間だったからたぶん新入生の同期たちのだれよりも僕は夜の聖典読解と個人的な月のお祈りを済ませ早く眠りについた、はず――。


 そして起きたらカインがニヤニヤしながら僕に馬乗りになっているのだ――。



 僕は迷わずためらわず、拳をカインの顎に突き上げた。

 ゴンッ、と気持ちのいい音がする。うん。……うまく入った。



「――ってえ! なにすんだよ、兄弟!」

「こっちのセリフだ!」



 カインは顎を抑えて悶絶している。ベッドの上に膝立ちで座り込んだまま。

 チャンスとばかりに僕はベッドの上での水平蹴りをこいつの腰に食らわせてやった。



「さらに、なにすんだよお!」

「だからキミさ、とりあえずベッドから落ちろ……降りろって! いまからギルティなことしてどうすんだよおまえ!」

「あーっ! いま、おまえってゆった! しかも落ちろって言いかけただろ! 兄弟に向かって! 神さんにチクっちゃおー、チクっちゃおー!」

「小学生かっ!」



 埒が明かないので僕は蹴りで無理やりカインを床に落とした。

 いってえ、とおおげさにのたうち回っているが……床は天井の光そのままに輝くマットだし、大怪我とかはしてないだろう。多少の打撲とかは、知らん。罪を、犯すほうが、悪い。



 僕は深いため息をつきながら、就寝用の真っ白なつるつるの布一枚を複雑に編み込むかのように着る、修練着の着衣をいちおう確認し整えた。……まあ、なんともない。すくなくとも、その、……そういうふうに意図的に乱されては、いない。

 そりゃ、まあ。襲ってきたんじゃ、ないだろう。そんなことくらいはさ、……わかるんだけどさ。



 どうにも、僕は、ね。……この手の、ことが。



「……なんだよお。そんな目で見るなって、兄弟。朝っぱらから驚かせて悪かったと思って――思ってるかどうかは別として、そういうことにして謝るからよ」

「いちおう、親愛なる兄弟として確認をしておくけど。

 僕に、不埒を、働こうとしたとかいうわけでは――ないんだよね?」

「フラチ……って、なんだっけ?」


 僕は今度は軽めのため息をついた。


「……やましい気持ちで僕にさわろうとかいう、そういうつもりじゃなかったんでしょ、って」

「――ったりめえだろ!」



 バッ、とカインは身を起こした。……あ、ちょっと焦ったかな、コイツ。



「ただ俺は楽しいことをしてやろうと思っただけだ!」

「……ごめん、ぜんっぜん、楽しくなかった。はい、その話終わり。終了。失敗でしたー。で、ブラザー・カイン。兄弟しての義務で言うけど、おはようきょうも太陽の神さまが月交代つきごうたいまであなたに微笑みますように。そんで? なんでこんな真っ赤な時間帯から僕の部屋に――」


 真っ赤な時間帯、……それは、この刻限は赤の時間だと定められているから。

 部屋の天井のライトアップも、従ってすべての色を受け止める白色の床も赤。

 レクリエーションホールだっていまこの時間帯は、真っ赤に染まっているはずだ――。


 ニィッ、とカインは笑った。

 そしてゆっくり、とてもゆっくりと、隣のベッドを指さした――。



 オンボロのリュックと、ぶちまけられたその中身。いちおうミニサイズの聖典だけはあるけれど、あとは飴やらガムやらヨーヨーやらパチンコやら……だれだ、こんな荷物を持ち込んだのは? いくら自分自身の安心と安堵のための私物持ち込みは認められてるからといって、修道院にこんなモノ持ち込むだなんて、しかも聖典が逆さになっててそれではページが傷んでしまう、いったいだれだよこんなことするズボラで不届きなヤツは――




 そう思って、はっ、と、ぴん、と、きた、――きてしまった。




「……カイン。まさか、僕ら同室?」

「ピンポーン、ブラザー・タクミくん! あのあとさ、おまえ追っかけて、早いモン順だから俺はおまえと組むことにしたぜ。おまえに金魚のフンみてえにくっついてりゃ、修道生活間違いねえって思ったんだよ!」

「なにが……」



 ――ああ、たとえを使うなら、そんな汚い凡俗なモノにするのはやめてくれよ。

 頭が痛い。僕はこめかみに右のこぶしを当てた。でも、……もう、ここでこれ以上カインを殴ることはできない。




 カインが不埒を働こうとしたなら太陽と月の御名みなにおいてぼこぼこにできるかもしれないけれど、そうではないなら、……せいぜい、ベッドに腰を下ろして不機嫌のあかしの右足蹴りをいまだ床にいるカインの眼前に突き出すことが限界だ、



「……空振りだって」



 もちろん、わざとだ。

 それなのに、こんなにポカンと大口開けて驚いている新しいルームメイト、修道院でのブラザー……はあ、まあ、僕の見当は正解だった。




 神の御許でもたぶん人間は、どこまでだって、人間でしかないのだから――って。

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