第1話 

 受験に向けて、ただひたすらに勉強している日々のつまらなさったらない。苦痛である。これで傍らに麗しの彼女でもいれば、瞬く間に受験勉強ですら楽しく感じるのであろう。しかし、いない。そう思えば思うほど苦痛になった。

 たまに気分転換として散歩にでる。

 街はクリスマスムード一色であり、どこからともなくクリスマスソングが流れてくる。

 俺は憤りを感じた。

 なぜだかカップルのためにあるかのような聖なる夜ならぬ性なる夜となってしまった忌まわしきクリスマスは滅びるべきである。キリストには申し訳ないが、残念ながら世間はキリストの生誕など微塵も祝っていないのだからどうでもよかろう。

 しかしクリスマスは滅びるべきだが、サンタクロースは純然たる子供のためにも、そして俺のためにも必要である。俺は言うまでもなく彼女が欲しい。あるいは青春そのものでもいい。

 そんなことを考えながら歩いているうちにも、いったい何組の制服姿のカップルとすれ違ったのだろう。数え切れない。己らの幸せを振りまくがごとく楽しげに歩くカップルたちの姿は、俺のような独り身をことごとく苦しめているだろうから、もはや犯罪である。どうにかして取り締まれないものか。

 俺は嫉妬に燃えたのち、焦燥感に駆られることを余儀なくされた。そうして心の中で「爆発しろ」と何度も唱えた。爆発しろ。

 なぜ俺の隣には彼女がいないのか。なぜ俺はクリスマスムード漂う街の中を一人で歩いているのか。気分転換にでたはずが、気分を害してばかりである。

 

 この三年間、彼女が出来そうな好機がまるっきりなかったと言えばそうではない。今になって思えば好機はたしかにあった。というのも、「あれ? もしかしたらあの子は俺に好意を抱いているんじゃ……」と思ったことが何度かあったのだ。それが俺の勘違い、もといただの自意識過剰だったかどうかはさておきとして、そう思ってしまうほど出来事だったのだから好機でしかなかったはずである。

 しかし、俺はそれらの好機をみすみす逃してきた。好機をものにするような積極性に欠けていたからであり、待てば来るという謂れのない自信が植え付けられていたからであり、早乙女と友人になってしまったからでもある。そうして今になって「あのときああしてれば……」と夜な夜な枕を濡らしているのだ。


 現在進行形でむなしい高校生活を振り返りながらトボトボと歩いていると、ふいにアヤシゲな女性の姿が目に入った。

 その女性は、もうすぐクリスマスだというのにまるでハロウィンの仮装をしているかのような衣服を着ていた。有り体にいえば、魔女っぽい格好である。

 その時点でも充分にアヤシイのだが、なによりもアヤシイのは、シャッターが閉まった店の軒下で座り込み、手づかみでケーキをばくばく旨そうに食べているところである。ときどきシャンパンを手にして、それを一気に喉に流し込んだりもしていた。当の本人はまったくもって人の目を気にしていないようだが、周りからは明らかに浮いている。

 奇抜な服を着て、地べたに座り込み、ケーキを貪り喰い、シャンパンをラッパ飲みする彼女だが、意外にもその顔はというと紛れもない美女であった。いや、大人にしてはあどけない顔をしているから、美女というよりは美少女といったほうが正しいかもしれない。

 それにしても彼女は、なんだかただならぬ雰囲気を醸し出している。得体の知れないオーラを纏っているかのようにも見える。

 それに俺はなぜだか不思議と吸い込まれていくような気がして、彼女の前で立ち止まってしまった。彼女のただならぬ雰囲気を前にして自然と足が止まったのである。

 彼女はいったい何者なのだろうと思いながら、俺があんまりにも凝視していたものだから、彼女もこちらに気づいたらしい。やがて、そのキラキラとした目が俺を捉えた。

 彼女は口の中にたっぷりと詰め込んだケーキをごくんと飲み込むと、


「なんだ青年、私の顔に何かついてるか?」


 と言った。

 そりゃもう、彼女の口周りにはケーキのスポンジやらクリームやらが縦横無尽につきまくっている。

 しかし俺は、言葉を発した彼女から止めどなく溢れてくる妙な凄みに圧倒されて、「あっ、いえ」と返してしまった。

 

「そうか。しかし、じゃあなんで私を見ていたんだ?」

 

 と言いつつ、彼女は腕で口周りを拭いた。そして自分の腕についた付着物を見て言う。「ん、なんだ、ついていたではないか。嘘をつくな、嘘を」


「す、すみません」

「いや、いいけど。で、君はどうした。私に何か用でもあるのか?」


 俺は言葉に詰まった。俺は彼女が醸し出しているただならぬ雰囲気によって、つい立ち止まってしまっただけで、べつに彼女に用があるわけではないのだ。まあ、気になることしかないけれど、面と向かって「何者ですか?」なんて聞けるわけがない。それは失礼すぎる。

 したがって俺は頭を下げて、


「いえ、すみません、何でもないです。……えーと、失礼しました」


 と精一杯の言葉を投げかけて、その場から立ち去ろうとした。

 しかし、彼女に「おい、ちょっと待ちたまえ」と呼び止められる。

 振り向くと彼女は納得したような表情を浮かべていた。


「青年よ。私には分かるぞ。きっと君は大きな悩みを抱えているのだろう」


 彼女はシャンパンをぐびっと呑んでから言った。「私にその悩みを打ち明けてみろ。きっと力になれるぞ」


 俺がどうしようもない大きな悩みを抱えているのは事実だが、なぜ彼女がそれを知りたがっているのだろうか。しかも「力になれる」だなんて何を根拠に言っているのだろうか。酔っているのではとも思ったが、顔色や口調からするにそうでもないらしかった。暇つぶしとかそんな感じなのかもしれない。


「そ、それはどういうことですか?」と俺は訊いた。

「そのまま意味だが」と彼女はさらっと答えた。


 ここで一つ考えられたのは、もしかしたら彼女は占い師とかなのかもしれないということである。そうだとしたら魔女みたいな奇抜な服を着ているのにも合点がいく。そして、彼女が占い師ならばその占いはもの凄く当たるような気がする。ただならぬ雰囲気を醸し出し、得体の知れないオーラを纏っているアヤシゲな彼女の占いが当たらないわけがない。占い師とはアヤシゲな存在である。きっと、彼女の占いは万人を正しき方向へと導いてくれるだろう。地べたに座ってケーキを貪り喰うのもシャンパンを呑むのも普通の人とは一線を画している鬼才の占い師であるからだ思うと、途端に妙な説得力が湧いて出てきた。いままで俺は占い師とかのすべてはインチキ、当てずっぽう、ヤラセ、だと思っていたが、どうも彼女だけはなんだか違う気がしたのである。

 しかし、俺の悩みは人に言えるような悩みではないし、言ったところでどうにかなる悩みでもない。そもそも俺の場合、悩みというよりは未練なのである。では、彼女に相談したところで……。

 といったふうに俺が打ち明けるべきかどうかの思案を巡らせていると、


「まあ、君はきっと童貞なのだろう」


 と唐突に彼女は言った。

 あまりに唐突だったので俺が呆気にとられて「え?」と声を漏らすと、「どうなんだ?」とさらに問い詰めてくる。

 女性にそれを訊かれるのはじつに恥ずかしいことだが、ここで見栄を張ってもしょうがない。あとでむさしさに襲われるだけである。それに相手は大人の女性であり、それも可愛げのある女性にそんなことを訊かれてしまっては、童貞をこじらせている俺がどうしようもなく変な期待を抱いてしまったのは言うまでもない。かくして俺は正直に答えた。

 

「……まあ、はい。そうですけど」


 すると彼女は嬉しそうに言う。


「おお、やっぱりか! そんな匂いがすると思ったんだ」

 

 童貞の匂いとはなんだろう、言葉からしてすごく気持ち悪い。俺は思わず脇の辺りの匂いを嗅いだ。もちろん無臭であった。強いて言えば、洗剤の匂いがする。 


「……それで、だから何だと言うんですか?」


 彼女は「うむ」と頷いた。


「おそらく君はこう思っているのだろう。あのとき、ああしていれば彼女が出来て、その当然の結果として童貞を卒業出来たのではないか、と。あのときあの場所で、たしかに目の前にあった好機を掴み取っていれば、輝かしい青春を送れたはずなのに、終わってみれば何一つとして青春といえるべき経験がなかったことを今になってひどく後悔している。もうすぐ受験だというのに勉強も捗らず、外に出てみればカップルばかりで腹立たしいと思いながらもまたひどく後悔する。ああ、輝かしい青春を送りたかった、と。それが君が抱えている悩みではないのか?」


 俺は唖然とした。それではまるで心の中を覗かれたみたいではないか。

 彼女は俺が常々思っていたことをずばりと言い当てたのである。もはや慧眼だとかそういうレベルではない。ドンピシャである。心眼である。やはり彼女はただ者ではないらしい。思った通り、相当な実力が備わっている鬼才の占い師であるとみた。あるいは超能力者なのかもしれないとまで思った。

 俺は身を乗り出すようにして問いかけた。


「な、なぜ分かったんですか!?」


 彼女は胸を張り、おかしなことを口にした。


「私は女神だからな。それくらい顔を見れば分かるものだ」

「はい?」

「いやだから、私は女神なんだよ。こう見えてもな」

 

 え、何言ってんの、この人……。女神? 占い師ではなくて? 超能力者でもなくて?

 それはいくらなんでも説得力がなさすぎる。そんなことを信じられるわけがない。だいたい、女神というのは、もっと清い存在ではないのか。魔女みたいな服を着て、こんなところでケーキを貪り喰ったり、シャンパンを呑んだりする女神がいてたまるものか。というか、女神って時点でおかしい。超能力者だったらまだしも、女神なんて存在するわけがない。あまりに超現実的すぎる。


「む。その顔は信用していないな?」

「そりゃ……はい。当たり前ですよ」

「ちなみに君が、私に対していやらしい期待を抱いていたのもお見通しだぞ」と自称女神は何気なしに言った。

「えっ? いや、それは、そんなこと……、す、すみません」

「いやまあ、べつにいいが。して、君はどうするんだ? つまるところ青春をやり直したいのだろう?」

「……たしかにそうなんですけど、もうどうでもならないことですし」

 

 俺がそう言うと自称女神は溜め息をついた。「力になれると言うておるのに、話を聞いておらんのか」と言ってまたシャンパンを呑む。


「いやだって、過去のことはどうにもならないではないですか。力になれると言いますが、具体的にどうするつもりなのですか? それを教えてほしいです」

「だからやり直せばよかろう」


 そのポンと出た一言に俺は首を傾げた。「やり直す……?」


「そうだ。過去に戻って、やり直してみればいい。もちろん、それからどうなるかは君次第だがな」


 普通であれば馬鹿馬鹿しく感じる話であろうが、自称女神の言葉は妙に真実味を帯びていた。


「そ、そんなことが出来るんですか?」


 俺が訝しげに訊くと、自称女神は何食わぬ顔で「当たり前だろう」と言う。

 

「私は女神だ、神様なんだぞ。人間一人を過去に送り出すことくらい容易である。案ずるな、大船に乗ったつもりでいろ」


 そうしてまたケーキを貪り喰いだした。神様らしい威厳など微塵もない。

 しかし自称女神の言うことが本当なら、それこそ神の領域である。やはり不思議にも嘘をついているとは思えなかった。この自称女神は自称女神ではなく、本当に女神なのではないだろうか。また威厳とは違った、ただならぬ雰囲気を醸し出しているのも得体の知れないオーラを纏って見えたのも、彼女が女神だからだとすれば、合点がいかないでもない。しかしそれでも、にわかに信じがたい。


「……じゃあ、お願いしてもいいですか」と俺は言った。


 信じられないが、この自称女神の話には乗ってみるべきだと思った。これもまた一つの好機あり、ここで逃せばまた後悔することになりそうだからである。仮に彼女がただの変人ですべてが虚言だったとしても文句を言うのは後からでもよい。どんな好機であれ、とりあえずは掴んでみるべきなのだ。


「よし、では後ろを向いてみろ」


 そう言われて俺は自称女神に背を向けた。


「いいか? 私はいまから君の背中をポンと押す。すると君は過去へと飛ばされる。あ、記憶は残っているからな。いわゆるタイムリープってやつだ」

「わ、わかりました」


 不安と緊張が入り混じる中、ふと、ここで一つ、気になっていたことを思い出した。


「あ、ちょっといいですか?」

「なんだ? 」

「どうして俺なんかの悩みを聞こうとしたんですか?」 

「そりゃあ女神たるもの、悩んでいる人を前にして目をつぶっているわけにはいかんだろう。といってもまあ、私の場合は気まぐれなんだけどな」

 

 自称女神は言った。「だからこそ早めに点数を稼いでおきたいのだ。去年はサボりすぎて、出雲で散々な目に遭った」


「そ、そうですか」


 点数とか言われてもよく分からない。しかし、なんだか神様っぽいことを言っている気がする。


「では、そろそろいいか?」

「あ、はい」


 そうして自称女神は俺の背中を押した。

 身体がふわっと浮き上がるような感覚がしたかと思えば、時が止まっているような感覚もした。

 

「ちょうど好機が訪れる前あたりに設定してやったからな。まあ、ほどほどに頑張ってくるといい、青年よ。未来から応援しているぞ」ともちゃもちゃとした自称女神の声が聞こえた。きっとケーキを口に含みながら喋っているのだろう。

 

 瞬間、辺りが真っ白になった。

 そして気がつくと、俺は教室にいた。

 どうやらあの自称女神は本当に女神だったらしい。

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