Part4 闇

 ――逃げられない。


 俺の視界一面を、鉄の掌が覆い隠した。

 俺の身体は、巨大テクターが握り込んだ手の中で丸められてしまう。

 べきべきと、全身の骨が軋んでゆくのが分かった。テクターが、アラートを鳴らす事すら忘れてしまったらしかった。

 悲鳴を上げようにも、腹を丸めさせられており、声が出ない。


 暗い……

 外の様子が、全然分からなかった。


 俺は、〈パープル・ペイン〉という鉄の塊の中で、自身が壊れゆく音を聞いているしかなかった。


 痛い……

 痛いという事すら忘れるくらいに、痛い。

 そして怖いと感じる事が出来ない程に、怖かった。


 不意に、視界が開けた。背中に、重々しいなどという表現ではとても表せない衝撃が、走る。


 乳白色と赤黒を交互する視界の向こうに、俺を見下ろす巨影があった。

 どうやら俺は、あの巨大テクターの手から、地面に叩き付けられたらしい。


 巨大テクターが、ゆっくりと右足を持ち上げて、俺の視界を覆い尽くす。


 事故に遭う直前、人は、その光景をスローモーションで見るという。脳内で分泌された物質が、感覚を鋭敏にしてしまい、その詳細を記憶するからだ。


 だが巨大テクターは実際に、ゆるゆるとした動きで俺の身体を踏み付けようとしたらしい。


 普通の速度でストンプすれば、リアクティブ機能が発動するからだ。

 だからと言って、地面に押し付けられる形でテクターを解除しても、後は敵に踏み潰されるだけだ。


 それなのに巨大テクターは、わざわざ、俺をゆっくりと踏み付けて苦しめる為だけに、時間を掛けて脚を踏み下ろしたのである。


 逃げようと思えば、逃げられるだけの時間があった。

 しかしそれだけの体力がない。体力があったとしても、その体力を使って移動する骨や筋肉がない。


 俺の全身は地面と鉄の靴底に挟み込まれ、闇の底へと沈められてしまった。






 次に視界が戻った時、あの巨大テクターは姿を消し、俺を見下ろす少女がいた。


 少女はどんぐり眼を無表情に見開いて、俺を眺めている。

 足元の虫を見る眼だ。


 俺は、俺の身体が、あの踏み付けによってどうなってしまったのか分からない。全身の感覚が、全くと言って良いくらいには喪失しているからだ。こうやって心の中で色々と喋っているのが、奇跡である。


 本当ならばさっさと意識を手放してしまいたいのだが、俺の意識はすっかり冴え切って、眠る事を許してくれない。


 眠れない俺は、俺を見下ろす少女を見上げて思った。


 どうして、こんな事を?

 君は誰だ?

 何故、俺をこんな目に?


 そう思っただろう。しかしそれ以上に思ったのは、


 ――死ね。


 という事だった。

 イツヴァよりも年下に見える少女に向かって、死ねと思っていた。


 死ね。

 死んでしまえ。

 俺を見下ろしているという事は、まだ、俺に何かをする心算なのか。

 お前が見せるという“じごく”は、まだ続くのだろうか。

 ならば、死ね。

 お前がいなくなれば、俺はこれ以上の痛みも恐怖も感じなくて済む。

 だから、死ねよ。

 死んでくれ。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 死ね。

 いなくなれ。

 消えてしまえ。

 まだ俺を見ているのか。

 だったら、殺してやろうか。


 あの巨大なコンバット・テクターを着けているお前を、俺は倒せなかった。お前から逃げる事が出来なかった。


 だが、今のお前はどうだ。

 ただの小娘だ。

 殺せる。

 殺してしまえるぞ。

 どんな残酷な殺し方をしてやろうか。

 ぬいぐるみなんて抱いている場合か。

 そんなに好きなら、そのぬいぐるみの首を引き千切ってやる。


 それでお前がどんな顔をするのか分からないが、無表情を貫き通すならそれでも良い。

 若しも泣き喚くのなら、その涙を二度と流せなくなるよう、眼玉を抉り出してやる。

 二度と叫べないように、その咽喉を掻き毟ってやる。


 頭を、殴る。

 俺の拳が使えなくなるまで、お前の頭を殴る。髪の毛を、頭皮ごと引っこ抜いて、頭蓋骨を叩き割って、脳みそを掻き出してやる。


 おい……

 何処へゆくんだ。

 逃げる心算か。

 俺の視界から消える事が、許されると思っているのか。


 俺をここまでして置いて――そのまま逃げるなんてしても良いと考えているのか。


 糞。

 糞が……。

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